誤魔化すには
施設の備品を破壊した弁償代について頭を巡らせ、とりあえず毛布を壁に貼り付けようとばさりと広げたところで、
「ゼロ!!」
とマシューの大声が客間にこだました。
「ゼロ、大丈夫!? さっきすごく大きな音がして、」
「……大丈夫だ、問題ない」
「……。何をしているの?」
マシューが手に持つ鉱石ランプが俺の背中を照らす。
壁に向かって毛布を広げ、仁王立ちしている姿はそこまで珍妙に見えるだろうか。
「……眠れなくてモモンガの真似をしていた」
側から見てもモモンガの空飛ぶポーズに見えるだろう。俺にしては上出来の言い訳だと思ったが、マシューはまだ疑いの目をしている。
「どうしてモモンガなの?」
「……夜だからな。モモンガは夜行性だ」
「嘘が下手ね。何か隠しているでしょ」
「……」
だめだ。マシューには敵わない。
早々に観念した俺は、毛布を下ろす。
「……あら? なんだ、本当にモモンガの真似をしていただけなのね」
俺もマシューの視線を辿って絶句した。さっき壁に開けたはずの穴が、綺麗に塞がっているのだ。
「……そんなはずは……さっき、レギナ・スライムがいて」
「え!? スライムの親玉がいたの!?」
うっかり口を滑らせてしまった。片手で口を塞いで部屋をぐるりと見渡すが、あのサーモンピンクの目をした少女は何処にもいない。
「…………」
「ねえ、ぼーっとしている場合じゃないわ! 早く子供達を避難させないと!」
「……」
俺はやはり、夢を見ていたのだろうか?
床に転がっているロッドを拾って、魔法水晶を見る。
「……割れている……」
……そうか。落とした時にひびが入ったのか。
「……」
だがそれでも疑念が払えず、己の服をめくって脇腹を見た。あの魔法紋の一部がちらりと顔を出す。真っ赤なミミズ腫れのような痕になって、俺の皮膚に食い込んでいた。
「……」
俺は|形だけのつもりでロッドを構え、穴があったはずの壁を睨んだ。
「……ゼロ? どうしたの?」
「これは夢ではない」
俺の体を触媒にし、高位魔法の詠唱を口にする。
「火炎球」
火炎の豪球が壁を突き破り、また外の岩壁の溝を深くした。
***
「この大馬鹿野郎ッッ!! ぼくが騒ぎにならないよう、気をつかったやったというのにさ!!」
人間の姿をしたレギナ・スライムが、俺を目で殺さんと言わんばかりの勢いで食ってかかる。
「……すまない。魔法紋のこともあんたのことも、夢の出来事ではないと確認したかった」
結論から言うと、壁の穴を塞いでいたのはレギナ・スライムだった。壁に同化して身を隠していたらしい。
それに俺は気がつかず、もう一度魔法を放った。壁……いや、レギナ・スライムに魔法が直撃し、彼女が外に吹っ飛んだのだ。
「ぼくの擬態に気がつけとは言わないよ。でも、もう一度同じことをする必要はあるかい!?」
「……。その通りだ。俺は、本物の馬鹿なのかもしれない……」
「まさかこいつ、自覚がなかったのか……!?」
いや、あるにはある。ただ何をもって「馬鹿」と言われるのか、基準がよくわからずしっくりこないだけだ。
マシューも「馬鹿!」とよく言うが、もはやあれは口癖のようなもので、俺以外にも使っている。いついかなる時にも用いられ、男女分け隔てなく簡単に使われる侮辱が「馬鹿」だ。
人は、大臣や官吏のような明らかに自分より頭が良い相手にも「馬鹿」と言う。つまり頭の良し悪しだけが「馬鹿」につながるわけではない。おそらく、もっと深い意味があるのだ。
「……なるほど。侮辱にはTPOがあるということか。女性は『童貞』と罵しられてもぴんとこないだろう。男は『ブス』と言われてもぴんとこない。『馬鹿』もそういうことかもしれない」
「いやごめんわかんない」
「……ああ、すまない。そっちにはまだ早すぎる話だったか」
「未熟さとか関係あるの!? 確かにぼくは、君の超理論を理解できないという意味では素人だけどさ!!」
「俺からすれば全員素人だ」
「そうだろうねッ!?」
少なくとも、会話は苦手だ。俺は人と感性がズレていて、話が噛み合いにくいことは自覚している。だから黙ってしまうことが多い。
……俺は普段、自分自身を"出来の悪い凡人"だと思っている。だが今回は本当に愚かなことをした。
"馬鹿"という言葉が自分に相応しいという事実を生んでしまい、これでもかなり落ち込んでいる。
「……はあ。これはぼくの人選ミスかもしれない……こんな奴に魔法紋を渡すなんて……」
「俺以外に魔王の素質を持つ奴はいないのか?」
そう問うと、レギナ・スライムは「それは……」と、挙動不審に言葉を濁した。
「……君がその強大な魔力を使いこなすには時間がかかるだろうから、少し練習した方がいいかもしれないね」
そう切り返した後、サーモンピンクの瞳を持つ頭がふいとそっぽを向いた。
「……」
気まずい空気に俺もだんまりを貫いていると、コンコンと客間の扉が叩かれる。
「ゼロ、入るわよ」
マシューの声だ。
「ああ」
かちゃりと扉が開く。ミルク粥のいい匂いが漂ってくる。
「朝食持ってきたわ。女の子の具合は大丈夫そう?」
「……多分」
「あ、それ朝ごはんですか!?」
と、不意に明るい声を出したのはあのレギナ・スライムだ。
「すごくいい匂いがしますね! わあ、美味しそう!」
マシューに近づき、キラキラした目でお盆の上に乗った二つの皿を眺める。
「……ふふ。むしろこんなものしかなくて申し訳ないけれど」
「全然いいです! というより、むしろ突然訪ねたのにごめんなさい! 見ず知らずのぼくに、こんなによくしてもらって……」
「ここは孤児院であって、教会よ。困っている人を助けるのが私たちの役目なの。遠慮しないで食べて頂戴」
「……うう……ありがとうございます……」
涙声を出しなが俯き、レギナ・スライムは手の甲で目元をゴシゴシとこする。
「あらあら、泣かないで。ね? 私もゼロもついているから」
マシューがレギナ・スライムの頭を撫でると、魔物はひしと修道女に抱きついた。
「ありがとうございます、お姉さん……! このご恩は一生忘れません……!」
「……お前、そんなキャラだったのか……?」
マシューとレギナ・スライムから同時に睨まれたので、口をつぐむ。
「ゼロ、まだ女の子のそばにいてあげてね。”逃げたレギナ・スライム”がどこに潜んでいるかわからないし、今外に出たら危険だわ」
「……」
「あと変なことはしないように……迷える子羊ちゃん、もしこのお兄さんが悪いことをしたらすぐ私に言ってね。お姉さんが成敗するから」
「うん、わかった!」
明るい少女の声にマシューは笑顔を返すと、すぐに客間から出て行った。
「……ふう。教会のニンゲンもある意味単純で助かった」
茶番を終え、声色を元に戻したレギナ・スライムが、顔に貼りつけた無邪気さを崩す。
……今に至るまでの経緯はというと……。
外に吹っ飛び岩壁に激突したレギナ・スライムは元の姿に戻り、その場からぽよんぽよんと逃げるように姿を消した。
そして夜闇の向こうから突然『助けて!』と少女が現れて俺に飛びつき、『一言でも喋ったら殺す』と小声で俺に囁いてきたのだ。
俺がその凄みに押されて黙っているうちに、マシューは何かに怯えるか弱そうな少女 (の姿をしたレギナ・スライム)を哀れんで、施設内に引き入れたのだ。
……壁を破壊については、俺が魔物に気がつき応戦しようとしてロッドを構え、察したレギナ・スライムが自らの魔法で壁を破った……ということになっている。
……最初は俺も話の流れについていけなかったが、後々、レギナ・スライムが自分の正体を誤魔化す芝居だと気がついた。証人であるはずのマシューも、持ち前のお人好しのせいか、ニセ少女の説明を信じ込んでいる。
「さすが魔物だな。これこそ人の善意につけこむ悪魔か」
「誰のせいでこんなことをしていると思ってるわけ? ……というかぼくは別に、誰かに危害を加えるつもりなんて最初からなかったさ」
「俺には散々脅し文句を言っていたが。嘘をついたのか」
「ああ、それは攻撃体勢の君を牽制するための嘘だよ」
「やはり魔物は信用できない……」
「……ぼくの魔物の血が騒ぎかけているね。そろそろ君に対して本物の殺意が生まれそうだ……」
……まあ、一件落着か。魔物がやったことになれば、俺も弁償の心配をしなくて良さそうだ。院長に対して罪悪感はあるが、ギリギリの生活を営む俺に支払えるような額ではない。
……ちらりと少女を模した魔物を見る。『レギナ・スライムは人を直接襲わない』という話は、本当なのかもしれない。彼女は皆殺しや口封じといった野蛮な行動はせず、むしろ子供らしさを演じることで、物事を温和に乗り切ろうとしている。
……高位な魔物ゆえに警戒していたが、案外、そこまで悪い奴ではないのかもしれない。




