最強へ
「魔王になろう。その魔法紋をもらえるというなら」
レギナ・スライムは「何故?」と言わんばかりの顔できょとんとしていたが、
「……うん。君が魔王になってくれるならそれでいいんだ」
と、やや濁った声で返答した。
「俺が魔王になったら、とりあえず最強になっていればいいんだな?」
「え、ま、まあ……そういうこと、かな?」
「事情はわかった。それを渡してくれ」
レギナ・スライムの顔つきはやや不安げに見えた。「本当に理解しているのかな……」という呟きも聞こえたが、「つまり俺を魔王にするために必要なんだろう?」と切り返すと、それ以上何も言わなかった。
受け取った魔法紋は質量がなかった。俺の手のひらで静かにひたすらに、くるりくるりと踊っている。
「何処につけてもいいけど、顔とか手とか、目立つところにつけない方がいいよ。取り外しができないから。わかる人が見たら、一発で"魔王紋"とわかるからね」
「……なら頭がいいか」
「頭?」
「魔法紋が髪の毛の中にあればわからない」
「今はいいかもしれないけど、将来的に毛が抜け落ちる可能性はないの?」
「……」
やめておこう。
極力肌の露出が少ない場所を考えて、左の下腹部にした。「どうして左?」とレギナ・スライムに聞かれたが。
「利き手と逆だからバランスがいい」
そう答えると相手も特に何も言わなかったから、問題はないのだろう。
体の中で一番露出が少ない場所といえば下半身のアレだろうが、さすがに俺も勇気はない。魔道具を変なところにつけて大変な目に合う人を何度も見たことがある。魔道具も絶対安全と言えるものではない。
最近は腕輪や指輪の形をした魔道具が多いが、着け外しの利便性だけが目的ではない。万が一魔道具の暴発が起きた時に、致命傷を避けるためだ。
だが俺の場合、魔道具を弄る腕がなくなるのは困る上に、肌が露出する部分は魔法紋を刻む場所として適切ではない。
利き腕と逆の腰骨の一部なら、吹っ飛んでも大丈夫だろう。
「君のこだわりはよくわからないけど、もう何処でもいいから早く着けてよ」
やや苛立ったような口調でレギナ・スライムが急かす。
魔法紋をそっと腰に貼り付ける。真紅の光が一層強くなり、俺はその側の骨と内臓に無数の針が突き刺さったかのような、強烈な痛みを感じて唸った。
「……っ、痛い……」
「魔法紋が君の体と結合しようとしているんだよ。少しの辛抱だ」
「かなり痛いんだが……一度外していいか?」
「取り付けたら外せないと言っただろう?」
「……肉を切らせて骨を断つ……」
「肉ごと削いでも無駄だからやめろ、というか早まるな!!」
魔道具を作る時に使う小型のナイフを手にしたが、レギナ・スライムに取り上げられる。
とはいえ、魔法紋を取り付けるというのは、思った以上の苦痛だ。ロッドを杖代わりにしてしゃがみこみ、じっと痛みが去るのを待つしかなかった。
ようやく痛みが薄れて来た時には、冷や汗がぽたぽたと地面に滴って、顔から血の気が引いている心地がした。
「……魔法紋の光が消えたね。さあ、完了だ。晴れて、君は魔王となった」
「……女の子って大変だな……」
「へ? 突然何の話?」
「生理痛ってこんな感じなのかもしれないなと……」
生理痛は、内臓が滅多刺しにされるような痛みだと耳にしたことがある。吐き気や頭痛を伴うとも。魔法紋を取り付ける時のような痛みに何日も耐えているとしたら、女性というのは精神的にも体力的にも、男とはまた違った意味でタフなのだろう。
「さあ。ぼくも生理は来ないからわからないけど」
レギナ・スライムは棒読みのような声でさらりと流すと、まだ立ち上がる元気のない俺の前に屈み込み、サーモンピンクの瞳で顔を覗き込んできた。
「折角だからさ。何か難しい魔法を唱えてみなよ」
「……何でもいいのか?」
「うん。君が今まで使えたことのない攻撃魔法でいいんじゃないかな。君の”新しい全力”を、ぼくにぶつけてみなよ」
「……」
ふと思い出したのは、マシューの『かっこよく助けてよ』という言葉。
「……なら、火炎・球を……」
「そんな初級に近い魔法でいいの? もっと大規模なものでもいいし、何なら魔言語を連結させてもいいよ。遠慮なくぼくに撃ち込んで」
レギナ・スライムはひらりと俺から距離を取り、手を後ろに組んで、窓際に躍り出る。
「ぼくもちょっとやその魔法じゃやられないからさ。さあ、ぼくを攻撃してみなよ。ゼロ・ウラウス」
……名乗っていないのに、どうして俺の名前を知っているのか。
……この魔物は”俺が知らない俺の過去”を知っているようだから、そういうものなのかもしれないが。
痛みの名残できしむ体をゆっくり立ち上がらせて、前を見据える。
「……レギナ・スライム。できれば<魔法失>で打ち消して欲しい。俺も放火魔にはなりたくない」
「火球を投げた後、魔法をコントロールすればいいじゃないか。この掘っ建て小屋みたいな脆い施設に飛び火しないようにさ……まあ、ぼくも君のサポートが役割だからね。善処はするよ」
「……」
ロッドの先を、悠々とした表情のレギナ・スライムに向ける。
「……<火炎球>」
かっと周りが白く染まる。ロッドにはめ込まれた魔法水晶が、これまでに見たことがない輝きを放ったからだ。ぱきっとひび入るような音も微かにして、「あ、壊れたな」と思った刹那。
俺の目の前が灼熱の紅蓮に染まり、火球どころか豪球とも呼べる高速の<火炎球>がレギナ・スライムの胸を撃ち抜き、さらにその後ろの壁もばきんと打ち壊して、裏庭の岩壁に洞穴を作り、黒煙を立ち上らせた。
「……しまった……」
自分が夢の中で描いたような、美化した魔法のイメージを浮かべて唱えたんだが……これでは火の球ではなく大砲だ。
驚いたのはそれだけではない。大きな魔法を使えばどっと重くなるはずの足が、平然と起立を保てている。過度に魔力を使えば疲れが生まれ、最悪気絶することもあるほど、強い反動があるものだ。
「…………」
これが俺の使う魔法なのかと。現実味がなさすぎて言葉を失った。
「あははっ。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているね」
胸にぽっかりと空洞を作るレギナ・スライムがニヤリと笑って、俺が傷つけた部分に手を当てる。
「……すまない。無事なのか?」
「だからこの姿は外殻だってば。スライムはニンゲンみたいに心臓を持っていないんだよ。胸をぶち抜かれたってかすり傷さ」
レギナ・スライムの空洞から粘液がどろりと溢れて、傷を塞いだ。服の色と同化して、撃ち抜かれる前の姿に戻る。
改めて、俺の使った魔法の強力さを思い知る。
「……これが”魔王紋”の力か……」
国家直属の軍隊が持つ兵器を丸々一個与えられたかのような高揚感と、「こんなものを使いこなせるのだろうか」という低い自尊心から来る畏怖が、俺の心をぐるぐると搔きまわす。
「まあ、これでその魔法紋の威力はわかっただろう?」
「……。これは夢だ」
自爆の魔法を口にしかけたところで、「夢じゃないから!」と血相を変えたレギナ・スライムにぶん殴られた。
「君は本当に馬鹿だな! 生き終わりの魔法なんかどうして知っているんだ!」
「……十代の初めの頃に、そういう禁術に興味が出てきて」
「はいはい、どうせ高位魔法で発動できないから面白半分で口にしたくなるあれだね! 君は本当にどうしようもないな!」
床に転がった俺は、「肝を冷やした」と言わんばかりに肩で息をする少女を見上げる。
「今の君はどんな魔法も簡単に発動してしまうからね。不用意に魔言語を口にすると大変なことになるよ」
「……」
打たれた頬がヒリヒリして、「ああ、夢から覚めないな」と思った矢先。どたどたと廊下を走る音を耳で拾い、嫌な予感がした。さっきの轟音で誰かを起こしてしまったのだろう。
「……まずい。人が来る……」