魔王の血
「<其・女王・車厘・着……>」
「調子に乗るな! <全属・魔法失・障壁>」
俺がピラ“ム”まで発音した瞬間、少女の声が割り込んできて、「しまった」と思った。俺の炎魔法はばちんと弾け、火の粉が散って消える。
……魔法失の詠唱は初めて聞いた。魔法を打ち消す魔法だ。だが、ナヴィでも魔法と失は分けて唱える。魔言語の連結は、高度の魔法師が使う発音だ。
少女の声を持つスライムは抜けた水を吸って膨らみ、びよんと縦に伸びた。やがてそれは人のような形となり、ぷるりと人の肌や髪の質感に変化する。
サーモンピンクの瞳がぱちりと生まれたかと思うと、あっという間に人間を模した姿になった。肌の露出は多いが、胸と腰を覆う服まできちんと再現している。
「……変幻の魔法か?」
「ふん。これは違うよ。ぼくが持っている、ニンゲンのDNAを元にして作った外殻さ。これなら塩をかけても無駄だ」
「<塩>」
「無駄だと言ったよね!? 君は人の話を聞かないな!?」
「本当だ。効いてないな」
「何なんだよさっきから! そんなにぼくの話が信用できないわけ!?」
「当たり前だろう。見ず知らずの魔物の言葉を信用するはずがない」
「……あ、うん。それもそうか……」
レギナ・スライムは納得したらしい。「何なのこいつ」とも呟いていたが。
「なら改めて自己紹介するよ。ぼくは魔王アンティフォドスの直属の配下であるレギナ・スライムの、」
「お前は女王ではないのか?」
「……それはニンゲンが勝手につけたんだろう? ぼくはスライムの親分ではあるけど、称号がついているわけじゃない。ニンゲンの言葉に合わせてこの言い方をしているだけだ。ただしぼくは普通のレギナ・スライムとは違って、」
「魔王アンティフォドスとは誰だ?」
「それは君にも関係していることだから追々語るよ、とりあえずぼくの名前は、」
「俺に関係しているとはどういうことだ?」
「うるさいなぼくが喋ってる時くらい黙れよっ!!」
「……」
まずい。相手を怒らせてしまったらしい。
「気に触ることを言ったならすまない」
謝罪を込めて取り繕う言葉を口にしたが、レギナ・スライムの目つきは変わっていない。
「言った言わない以前の問題なんだけど。君、人を怒らせる天才って言われない?」
「天才と褒められたことはないな。グズノロマ底辺落ちこぼれ、の類ならよく言われるが」
「……。ああ、そう……」
心なしか、レギナ・スライムが哀れんだ目をした気がする。
「……わざわざニンゲンの言葉を覚えてきたのに、こんなに話が通じないと思わなかった」
「それも初対面の相手にはよく言われる。俺も慣れていない相手だと、会話を噛み合わせることが難しい」
マシューや院長はまだいい。長い時間を共に過ごしてきたから、俺も相手の意図がわかるし、相手も俺のことを理解している。アレスやナヴィとは、半年経ってようやく話が通じるようになったくらいだ。
「……なるほどね、わかったよ。君がものすごくコミュニケーション能力に問題があることはわかったから、とりあえずひたすら黙ってぼくの話を聞いてくれるかい? おとなしくしてくれれば、ぼくも何もしないからさ」
「素性のわからない奴の口約束は信用ならない」
「君がぼくの自己紹介を妨害したんだろう!?」
ああ、もう! と、レギナ・スライムが頭を抱える。
「だったら結論から言うよ! いいかい、ぼくは君を魔王にするためにここに来たんだ!」
「魔王……?」
「そう、魔王! 魔物を統べる王だよ! 君は魔王になる素質があるからね!」
「……」
やはり事情がさっぱり理解できない。
「さっき、魔王アンティークが何とかと聞いた気がするが」
「アンティークじゃない、魔王アンティフォドスだっ! ぼくはその配下だったけど、彼は死んだんだ! だから後継者となる者を探して、君に辿り着いたんだよ!」
「何で俺が魔王にならなければいけない」
「君は自分のことをニンゲンだと思っているかもしれないけど、半分は魔王の血が流れている。つまり、君は魔物とニンゲンの混血。魔王アンティフォドスの実子なんだ」
「……」
俺は自分の両親のことを知らない。院長も知らないのか、詳しく話してくれたことはなかった。
少なくとも、魔王とやらが親だとは聞いた覚えがない。魔物の王という、そんな危険人物 (……人なのか?)の血がこの身に流れているなんてことが知れれば、マシューや他の人たちが、俺と気安く絡めるはずがないだろう。
……魔物は放っておくと毒になる。または魔道具の材料になる。それは魔物の血肉そのものが、魔力の“動力源”となるからだ。
毒と呼ばれるのは、意思の失われた肉体が魔力を制御できず、“勝手に魔法を使う”ために起こる波動のことだ。それに当てられた人は体調を崩す、精神が狂う、最悪の場合は命を落とすなど、狂った魔法の影響を受けてしまう。だから焼却処理が必要となる。
だがその血肉に篭った魔力をコントロールすることができれば、人間も”動力源”を使って魔法を使える。お偉い人の専門用語では“触媒”と言われるが。
……何が言いたいかというと、俺は薄々“普通の人ではない”ことをわかっていた。俺は感覚で魔法を使っているからこそ、俺の体があれば“魔道具がいらない”ことも知っていたのだ。
いつ気がついたかと言えば、孤児院を出てからだ。孤児院にいた時は、みんなと同じように、勉強用に与えられていた魔道具を使っていた。そうしなければ「魔法が使えない」と思い込んでいた。
……だからこそ、俺は“劣っていた”。
強い魔法師になりたかった。だが、俺は"普通の人ではない"ために、他の魔法師と同じやり方ができない。何度試しても理解できない。魔導書の示す攻撃魔法がどうしても撃てなかった。
持ち前のコミュ力も理由となって、師範となった人には「お前に魔法師は向いてない」と、匙を投げられた。
気休めだとはしても、”補助的に使うものとして”魔道具を極めようと考えて、わざわざ二つ隣の村まで行って就職したんだが。
マシューや孤児院の子供達はすごいと褒めてくれる。院長も俺の魔法を認めてくれる。だが、それは身内の褒め言葉に過ぎない。
俺の使える魔法は、魔法師としては最低限の、“当たり前”に過ぎないのだ。ここで俺の実力は頭打ち。実戦で役に立てなければ、俺の存在は、意味をなさない。
「……」
「急に静かになったね。まあ、驚いたのは無理もないと思うけど」
「……魔物と人間の混血。俺が変人と言われるのは運命だったのか」
「それはまた違う理由だと思うよ? ……って、そういうのは置いといて、とにかく! 君には魔王になってもらう。なってもらわないと困るんだ!」
「困る? 誰が」
「世界がさ」
それはまた大規模な話だ。
レギナ・スライムは腰に手を当てて、ぐっと前のめりになる。
「魔王は魔物を統括する。つまり、魔物の秩序を守るのが役目だ。魔物は種族が広いからこそ、ニンゲンよりもずっと優劣の差が激しい。秩序を守る者がいなければ、弱い者はみんな殺されてしまう」
「……」
「ただしニンゲンはそれを無視しているからね。ぼくも傍若無人なニンゲンは嫌いだけど。でも、先代のアンティフォドスはニンゲンのことも理解しようとしていた。だから君のような混血を作るのも躊躇わなかったんだ」
「……」
「アンティフォドスの意志を継いだ君は、魔王になるために生まれたと言ってもいい。まあ、君はニンゲンの暮らしが長いからね。わからないことはあるだろうけど、ぼくがサポートする。何も心配しなくて大丈夫だ」
「……」
俺の視線はずっとレギナ・スライムの胸に注がれている。ヤドカリやカニとは違う、やたらと生々しい外殻だ。双丘の膨らみまで忠実に再現されている。
「というわけだから、まずはこれを体に刻んでくれないかな」
「え……あ、ああ」
……何の話だったか。頭を捻らせていると、レギナ・スライムが手のひらにぼうっと真紅に輝く模様を浮かべた。俺はそれに注目する。
「……それは……?」
「魔法紋だよ。見たことくらいはない?」
聞いたことはあるが、さすがに目にしたことはない。英雄、賢者、最高権力者など、定められた人間しか持つことが許されない、特殊な魔法の触媒だ。全ての魔道具の原点でもあり、ある意味では、魔道具の中でも最高峰の代物と言ってもいい。
「これは魔王のみが持つ紋章だ。生きた皮膚に結合するタトゥーのようなものだから、持ち主が死なない限り、外れることがない」
「……それをつけるとどうなるんだ?」
「最強になるよ」
凛とした声が、誇らしげに魔法紋を掲げる。
「ニンゲンなら魔法紋と聞いて魔道具を連想するかもしれないけど、これは元々、魔王が作って受け継いできたものだ。体が触媒になる魔物の定常を超えて、大量の魔力を操るための動源力となる。この魔法紋を持てば、どんな魔法でも使えるようになるよ」
「……どんな魔法でも……?」
「そう。攻撃魔法でも防御魔法でも回復魔法でも、何でも使える。むしろ使えないものはないと言ってもいい」
「……」
「魔王は常に最強でなくてはならない。そのための魔法紋だ。君はこれを手にして、」
「わかった」
「へ?」
「魔王になろう。その魔法紋をもらえるというなら」