【回想】フォチュアとリーリィの出会い①
私は、ラフルメで生まれたしがない村娘の一人だった。優しいお母さんと、快活なお父さん。お母さんのお腹には赤ちゃんがいて、私はお姉さんになるはずだった。齢9で、年相応にませていたのよね。
父は猟人だったわ……ああ、猟人というのは、森で獣を狩る仕事のことね。冒険者ではなかったけれど、職業柄、魔物も相手にすることがあったわ。大物を倒した時の自慢げな語り口は、今でもよく覚えている。
ある日、森の様子がおかしいと言った父は、大弓と短剣を抱えて森に入っていった。平和な森は鳥の声がするけど、何が悪いことが起きると、しんと鎮まってしまうそうよ。私とお母さんは父の帰りを待っていた。
突然だった。
狼の遠吠えがして、ふと外を見れば、たくさんのグラドウルフが家の周りをうろうろしていたの。
グラドウルフの対処法はお父さんから習っていた。魔物避けの香木をくくりつけた松明を持って、村の集落の方へ逃げようとしたの。
でも、それでもグラドウルフはしつこくて、食い殺さんと言わんばかりに追ってきた。私は走れたけど、お母さんは早く走れない。
「フォチュア、先に行きなさい!」
「だめお母さん、諦めちゃだめ! 頑張って!」
「お母さんは、もう……」
お母さんがグラドウルフの牙で腹を裂かれた。呆然としている私に、必死の形相でお母さんは叫んだ。
「逃げなさい!!」
南に走った。足の筋肉がもげてしまうと思うくらい、全力で走った。集会所に避難しろと、村に駐在している冒険者が叫んでいた。
私はその冒険者の中に、ハイドンがいることに気がついた。別の村から赴任したばかりだけれど、この村にすっかり溶け込んでいたハイドン。
頭が良くて、村から信頼されている彼なら、なんとかしてくれると思ったわ。私は迷わず、避難誘導をするハイドンに飛びついた。
「助けて! お母さんが魔物に襲われたの!」
「君は?」
「フォチュア! 向こうの、向こうの森から、グラドウルフがたくさん出てきて、家の中に……!」
「落ち着きなさい」
ハイドンは私の両肩に分厚い手を置いて、私と目線を合わせた。
「今から冒険者を向かわせよう。君は安全なところに避難しなさい」
「でも……」
「お母さんは助ける。信じて待っていてくれ」
ハイドンはとてもまっすぐな目をしていたけれど、私は彼を信じきれなかった。私を子供だと思って、あやしているようにしか見えなかったの。
でも、任せるしかなかったわ。無力な私では何もできない。ギルドにお願いをする以外に方法はない。
私は避難所である集会場に行った。震える村民たちと一緒に、両親が無事であることを祈るしかできなかった。
「みんな大丈夫さ! ハイドンさんなら、森の魔物たちを蹴散らしてくれる!」
そう明るく言ってくれる麦農家のおじさんもいた。
「そうだな。ハイドンさんなら、なんとかしてくれる」
パン屋の店主が強く頷いた。
深夜になって、グラドウルフの遠吠えと共に、焦げ臭いにおいが漂ってきた。
何が起きたのかとどよめいて、みんなで窓の外を見た。
「おい、ドライアドの森が燃えてるぞ!」
暗い空が赤く照らされていた。ごうごうと火の勢いが増すのは、私の家の方角だった。
「お父さん……お母さん……!」
麦畑の心配をする人もいたけれど、私は森の近くにある自分の家が燃えてしまうことが怖くなった。大人の静止を聞かず外に飛び出して、守り番をしていた冒険者もまいて、家に戻った。
道端で母の死体は見つからず、家にまっすぐ戻って、現実を目の当たりにする。
「……あ……」
思った通りだった。家はとっくに火に飲まれて、真っ黒に変わっていくところだった。
……父も魔物の牙にかかって、とっくに命を落としていた。それは後から知ったことだけど、その時の私はもう、両親この世にがいないことを悟って、絶望に落ちていた。
大切なものを全て失って、周りの時を止まらせる。膝から崩れ落ちて、わんわんと、ひたすらに泣いた。
たった9歳の子供が、あれだけ大声で泣いていたのに。魔物に襲われなかったのは奇跡だったのかもしれないけど、森の魔物は火を嫌うから、必然だったのかもしれない。炎に焼かれた木材の弾ける音が、私の声をかき消してくれていた。
……そのあとは、確か、冒険者に保護されたのかしら。あまりよく覚えていないわ。
避難所にて、ハイドンは戦いの勝利を宣言した。そして、森のドライアドを服従させ、魔物たちと調和しながら村を発展させていくことを提案した。
魔物と仲良くするなんてとんでもない。そういう意見もあったけど、魔物と協力することで、村人が襲われることがなくなる。新たな犠牲者が出なくて済む。さらにドライアドの力で農地をさらに良くできると知れば、たちまち反対意見は「まずはやってみよう」という空気に変わっていった。麦畑を失った人たちもいたから、冬の寒波を乗り越えるためにも、復興の鍵は命綱だった。
私は孤児になってしまったけど、大人たちが私を憐れんで、協力して面倒を見ようと提案してくれた。私は恵まれているわ。ええ、恵まれている。運だけは昔からよかったから。
でもどんなに優しくされたって、両親のことは忘れられない。日が高く登った頃。私はとぼとぼと、家の跡地に向かった。
家屋が焼け焦げた匂いがあたりに漂っていた。
「お父さん……お母さん……」
大人たちの前では強がっていたけど、誰もいないこの場所だと、勝手に涙が溢れてきた。絶え間なくぽろぽろと落ちる涙をぐしぐしと拭いながら、「頑張るよ」ってつぶやいた。
これからは一人で生きていかなければいけない。生き残ったからこそ、両親に報いなければいけない。私は覚悟を決めにきた。
腫れた目の奥に痛みを覚えながら、帰ろうと踵を返したその時。
どさりと、私の目の前で倒れた子がいた。
森の奥から来たらしい。ドライアドの若木であることはすぐにわかったわ。
魔物。
どくりと、心臓が跳ね上がった。
私は、魔物を憎んでいたから。
お父さんとお母さんと、生まれるはずだった兄弟を奪ったから。
村人の支配下にあるドライアドは、今や見下されることもある存在。私は護身用に持ってきていた短剣をすらりと抜いて、じりじりとドライアドに近づいた。
「……だ……れ……?」
ぴたりと、私の体が止まる。
私はませていたけれど、両親の言いつけは守る、どちらかといえば真面目な子供だった。森の住民たちと共存するためにどうするべきか。弱々しいドライアドの怯えたような瞳を見て、事あるごとに父が語っていた言葉を、ふいに思い出してしまったの。
『猟師は感情的に生き物を殺してはならない。狩る側は堅実さを持ち、狩られる側に対して敬意を払うこと』
どうして敬意を払うの? と聞き返すと、父は「感情の報いを受けるからだ」と答えた。
『敬意を忘れるということは、驕ることだ。自分の無力さを思い出した時に、大きく後悔する』
感情は連鎖する。
悔しいと思った。でも両親は復讐を喜ばないって気がついたから。私は持ち手を強く握りしめながら短剣を下ろして、ドライアドを助けることに決めた。




