スライムの女王(レギナ・スライム)
「大丈夫? ゼロ」
「……………………」
マシューの声に返事をする気力もない。<塩>だけで大量の魔力を使ったため、疲労感が尋常じゃなかった。ナヴィが使う魔物避けの結界がいかに便利かを思い知ってしまい、自分の無能さを改めて認識してしまう。
「ゼロ、よかったらこれ飲んで。ホットレモネード作ったの」
ことん、とテーブルに置かれたのは、透明感のある黄色の液体が入ったマグカップだった。
「……これは飲み物か?」
「む……疑うなら口をつけなくて結構よ。院長の魔法で作った聖水に、私が味をつけただけだもの」
俺はさっとマグカップを手に取った。
聖水は聖職者が使う神聖魔法で作る、特殊な魔法水だ。魔力を使い果たした時に飲むと効果的だと言われ、冒険者の間でも重宝されている。
俺も院長にやり方を習ったから、自分で作ろうと思えば作れるが。過労死寸前のこの状態では無理だ。ありがたくいただくことにした。
「……どう?」
「……うまい……」
レモンの酸味の奥に、蜂蜜の自然な甘さがする。温かさが体にしみわたった。
「マシューは本当に飲食物を作れるようになったんだな……」
「ちょっと、どういう意味よ! ……もう」
また少し怒ったような口調だったが、「まあ、ゼロらしい感想だけどね」と、マシューは呆れたように笑っていた。
「今日はありがとう、ゼロ。お陰で何とかなりそうな気がしてきたわ」
「……」
「私も魔物にびっくりしたから、何度も取り乱してごめんね。ゼロには酷いことを言ったと思う」
しゅんと頭を落とすマシュー。それは『かっこよく助けてよ』のことだろうか。
「別に……変なことは言われたが、酷いことは言われていない」
攻撃魔法が使えないのは事実だ。
俺は、スライム一体すらスマートに倒せない。
「ゼロはかっこよくなったよ、本当に。私も院長も、子供達もあなたを頼りにしているわ」
「……」
頼りにされても、嬉しいという感情は上がってこなかった。
まず頼られたくない。期待分の働きができないからだ。
「……明日、ギルドに言えば調査はされるはずだ。強い冒険者が来て何とかしてくれる。それまでの辛抱だ」
俺はレモネードをぐっと喉に流し込んで、マグカップを置いた。
「……俺も、明日の昼間はフィールドに行く。不在にするから、日中は代わりの護衛を置けないかギルドに確認してくる」
「……。うん」
マシューの返事は不安げだった。護衛とはいえ、知らない人が孤児院の周りをうろうろしたら怖いだろう。気持ちはわかる。
「……できるだけ、子供好きな女性を派遣してもらう」
俺はそう言ってから、ふうとレモンの匂いが残る息を吐き出して、伸びをした。
「……ところで、マシュー」
「うん?」
「穴あけピックを持っていないか?」
「穴あけピック? 何に使うの?」
「素材を加工するのに使いたい」
今日は魔道具作りをするつもりだった。スライム騒動でこんな時間になってしまったが、使えそうな素材を選別して穴を開ける作業くらいは終わらせたい。
「素材って?」
「魔物の骨」
<手持ち倉庫>から一個の頭蓋骨を取り出すと、「ひいっ!」とマシューが一歩後ろに引いた。
「レモネード、本当に助かった。これで穴あけの補助魔法くらいなら使えそうだ」
「そんなものをここで出さないでよ!!」
そのためのレモネードじゃない! と叱咤され、結局穴あけピックを貸してはもらえなかった。
背を向けてずんずんと遠ざかっていくマシューの背中を見送ってから、俺も諦めて寝室として貸し出された広い客間 (ベッドのある部屋は空きがないらしい)へ移動することにした。
穴あけピックがなくても、できることはある。今日は<手持ち倉庫>から取り出した骨を仕分けする作業だけに留めた。仕上げの脱色処理と、可能なら研磨までやりたいという欲も出て来たのだが。まだ疲れが残っているのか、とろとろとした眠気が俺を襲う。
「明日ギルドに行く前に宿に戻って、薬草液に浸けてしまおう……」と睡魔に抗わずソファに寝転がり、用意された毛布をばさりと被って目を閉じる。
……それから、どのくらい経っただろうか。夢の中で、蝶番がきぃと擦れる音を聞いた気がした。俺は薄眼を開けて、客間に誰かの気配があることを感じ取る。
「……マシューか……?」
ぼんやりする体をゆっくりと起こそうとしたその時。
どろりとしたものが飛びかかってきて、俺は元の場所に押し倒された。
「……!?」
スライムだ。しかも大きい。瞬時に冴えた頭を働かせて、声を絞り出した。
「……っ、<塩>!」
俺から塩が飛び散る。スライムは「ぎゃあああ」と少女のような甲高い悲鳴をあげて、ばっと離れた。
ソファから飛び起きるとすぐにロッドを手元に寄せ、「<我・失・暗闇>」と、暗視の魔法を唱える。
相手の位置を掴もうと辺りを見渡すと……いた。部屋の窓側の隅だ。
「……痛てて……何だよ、君。ロッドに頼らなくても魔法が使えるじゃないか……」
スライムが喋っている。
「……レギナ・スライム……?」
人の言語を使えるといえば、知能が高い魔物でなければありえない。俺の悪い予感は、本当に当たってしまったらしい。
「……急に運が悪いと思えてきた」
俺にはまだやり残したことがある。
「せめて骨を薬草液につけてから死にたかった……」
「……。うん、ごめん、その事情はよくわからないけど。ぼくは君を殺すつもりなんてないよ」
少年のような口調のスライムがまた喋る。
「ぼくは君と話をしにきたんだ。言うことを聞いてくれれば攻撃はしない」
「話?」
「もう気づいているみたいだけど、ぼくはレギナ・スライムだ。抵抗しても勝ち目はないよ」
「<塩>」
「え、ちょ、」
「<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>」
「ちょ、ちょっと待って! わ、待ってってば!」
「<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>、<塩>」
「まず話を聞いてくれないかな!? ねえ!!」
鼻から勝とうなど思っていない。逃げる時間を稼ぐだけだ。
案の定、喋るスライムはしおしおと溶けた。
「……」
相手の反応がなくなったので、はたと詠唱をやめた。相手が強力な魔物だと知って必死に塩をかけたが、意外と呆気ない。
……いや、魔物の残骸を見ている場合ではない。早くマシューたちを起こして、避難させなければ。
一応、<着火>で燃やすかとも思ったが、ここは室内だ。下手をすれば孤児院が火事になる。
「……”魔物だけを燃やす“ことに集中すればいけるか……?」
相手は高位の魔物、レギナ・スライムだ。仮に失敗して火の海になっても「命には変えられないか」と思い、ロッドを構える。
「<其・女王・車厘・着……>」
「調子に乗るな! <全属・魔法失・障壁>」
俺がピラ“ム”まで発音した瞬間、少女の声が割り込んできて、「しまった」と思った。俺の炎魔法はばちんと弾け、火の粉が散って消える。