半魔の想い(レギナ視点)
「誰だこの小説」と驚かせてすみません。今回実験的にタイトルを変更してみました。
旧題:マイペースな落ちこぼれ冒険者は魔王という最強職を得ることにした
今回はスライム娘が捕まった後どうなったのかという話です。
柔らかいものの上で意識を取り戻した。ところどころの体のスースーする感覚から、外殻が半壊していることに気がつく。
「……ゼロ?」
ぐらりと体が平衡感覚を保てない感覚で、すぐに思い出す。ぼくはニルスの影虫に吸血されたんだ。それで気を失った。
体内でタンパク質を合成。桃色が露出しているところやひび割れにパリパリと新しい外殻を発生させて、人間態となる。
「……ここは……」
真っ白な部屋だった。二、三歩人間の足で歩いたら糸を束ねて不恰好に作られた格子に辿り着く。その外に、さらに大きな空間が広がっている。ぼくはその空間の一部の壁に貼り付けられた小部屋にいるのだ。
「……ニルス特製の牢獄か」
舌打ちする。森の中の匂いがするから、この空間はおそらく、木を柱に見立てて蜘蛛の糸を張り巡らせて作ったテント。蜘蛛糸は鋼のように頑丈で物理攻撃に強い。しかもところどころに絹が混じっている。魔法を通さない性質がある絹は炎魔法で破れない。原始的な着火なら別だけど。
火を起こすには摩擦熱が必要なんだっけ? けど火口に使う落ち葉や木の枝は合成できない。植物細胞のDNAデータはあるけど、それを乾燥させるのが難しい。
ダメ元でゼロに仕込んだ小さなスライムに意識を集中させるが、繋がらない。声も聞こえない。ため息をついた。
「ああ、気がついたんだねレシーナ」
嫌な声がした。あの気持ち悪い蟲使いが下からぼくを見上げている。
「部屋は気に入ってくれたかな? 人間の中では絹と蜘蛛糸で編まれた服は高級な代物だと聞くけどね。配合に気をつけたから寝心地はいいと思うんだけど」
「ニルス……!」
「そう怖い顔をしないでよ。私は魔法紋を奪って逃げたことには怒ってないから」
ニルスが足元を爪先で蹴ると、ざわざわとニルスの足元から黒い虫がたくさん這い出して来た。縦長の山のように積み上がった虫たちが、ゆっくりとニルスを上へ上へと持ち上げ、ぼくの前まで運ぶ。
「とりあえず、ここにいれば安全だよ。兄上も私がレシーナを匿っているとは思わないだろうし」
「匿う? 何処が? ぼくを閉じ込めて監禁しているようにしか見えないけど」
「まあ、そうとも言える。私はレシーナを囲いたいと思っていたから」
ニルスが魔物の求愛に近いことをしているのは知っている。でも面倒なのは、ずっと執着してくることだ。普通の魔物なら、ぼくに拒絶されてボコられて死にかけたら諦める。
魔物は恋をしない。でもニルスは半魔だ。半分人間だから、人間の恋のような感情を持っているのだろう。
ぼくだって長く生きているから、恋というものを知らないわけじゃない。男女が惹かれあい、その存在を求める、また求め合うことだと。実感したことはないから「こういうものだろう」という憶測だけど。
檻がぐにゃりと曲がって、ニルスが入ってくる。直後に何処からか蜘蛛の魔物が現れて、それを元の状態に直す。
「ゼロならもう来ないよ。私の影虫に吸い殺されたからね。死体もこの目で見ている」
「なっ……!」
愕然とする。ゼロ、まさかニルスに接近したのか? 逃げてって言ったのに。
嘘だ。
「……周囲・察知!」
「無駄な魔法を使うのはやめなよ。絹でジャミングされるんだから」
「……」
「これでもう選択肢はないだろう? レシーナ、私の元に来なよ」
「冗談じゃない! ぼくはゼロが死んだなんて信じないよ」
「私が嘘を言っていると?」
「ゼロは魔法紋を持っているんだ。死んだ時だけ外れるそれを、どうして持って来なかったのさ?」
「ああ、証拠を持って来なかったのは確かに失敗だね。首くらい持って来ればよかった」
「……」
「死体を見た、ということは確かに証明できない。私の非を認めよう」
「やっぱり嘘を」
「嘘はついていないよ。私が死体を確認した時には、魔法紋が消えていたのさ」
「は?」
「だから回収できなかった」
ニルスが何を言っているのかわからない。魔法紋が消えた? そんな馬鹿な。
ぼくがゼロに渡したのは偽物? いや、あの魔法紋は確かに本物だ。アンティフォドスから直接預かったんだから。
「何処かに吹っ飛ばされたのかなとも思ったけど、見つからなくてね。まあ消失したならいいけどね。これで兄上が化け物になるリスクもなくなった。万事解決だ」
「解決なわけないだろう! 魔王がいなければ生態系のバランスが崩れる!」
「バランスが崩れたら、どうかするのかな? 弱いものが駆逐されてしまうのは仕方がないことじゃないか」
「ふざけるな! 魔王がいなければ弱い者はみんな死ぬ! 魔王は最強だから存在意義があるんだ!」
「いつまで最強神話にすがりつくんだ?」
ニルスの苛立ったような声を聞いて、はたと口を閉じる。
「レシーナが仕立てた魔王は私に殺されるほど弱かった。それで、誰が最強なわけ?」
「ゼロはこれから、」
「成長を待てば最強になれるって? ひたすら時間の無駄だよ。魔王は最初から強くないと意味がないんだ。素直に兄上に渡していれば、こんな面倒なことにはならなかったのに、それがわかってないの? ねえ、レシーナ。身勝手もいい加減にしなよ」
「……」
「父上への忠誠を守り続けようとするのはまだわかるよ。けど、君が魔法紋を持ち逃げしたせいで、怒り狂った兄上に何十もの魔物が殺されたんだ。それで弱いものを守るためって言えるのか?」
「……」
「矛盾しているよ君の考えは。ただ私や兄上が魔王になって欲しくなかったからって、わざわざ遠ざけられた存在を探して巻き込むなんて」
「違う……」
「違う? ならゼロを魔王にしろっていう、父上からの遺言なのか?」
「そうだよ。アンティフォドスはゼロを魔王にしろって言った。ぼくも賛同した。それだけだ」
「魔王の魔の字もわからなそうな人間モドキを魔王にって……父上なりの考えもあるのかもしれないけど、納得いかないね。理由があるなら説明してくれればよかったのに、勝手にくたばって……」
「……」
「君が忠誠心の強い魔物であることはわかっている。寝首を掻いたわけじゃないだろう。けど、どうして父上は殺されたんだ? 魔法紋を外すためだけか?」
「……」
「父上がそんな自己犠牲心のある人だとは思えないからね。誰もがそう感じているはずだ。真相を話してもらえないかな、レシーナ」
「嫌だ」
「どうして?」
「お前みたいなクソ野郎に話したくないからだよ」
「はあ、悲しいなぁ……。そんなに嫌なら言わなくてもいいけどさ、今更後継者争いのことはどうでもいいし。でも他の魔物はどうだろうね?」
「他のって?」
「もう忘れたのかな? 父上の配下が私についたと言ったはずだけど」
ニルスはまだ苛立ちを抑えきれないようで、不愉快そうに顔をしかめる。
……だから面倒なんだよねこいつ。機嫌悪いと小さなことでも気にするから。
自分の趣味に合わないものはとことん否定して好みを押し付けてくるし。
「レシーナのことを気にかけている魔物もいるけど、同時に疑心暗鬼になっている者もいる。どうしてアンティフォドスを殺したんだ、なんでレシーナがやったんだ、ってね。君は同僚の不安も無視するのかい?」
自分の言いたいことを集団意見であるかのように誇張する。ぼくが答えるのを拒否したから、そう言われるのは想定していたけど。
「ぼくはアンティフォドスの命令に従って、ゼロを魔王にする。まだ狼狽えている奴がいるならそう言ってあげてよ。それ以上の答えはない」
ニルスはため息をこぼす。やれやれと言わんばかりに腕を組んだ。
「……本当に、君というのは……自分の意思がないのか?」
「忠誠がぼくの意思だ。文句を言われる筋合いはない」
「ならあの唐変木の愚弟を育てるのも忠誠か? レシーナが得意な洗脳で操ってしまえばいいのに、それをしないのが忠誠か」
「人間の騎士だって王の子供を守る。自分の強さばかりを求めるニルスにはわからないだろうね」
「……何もわかっていないのは君の方だよ。立場をわかっていないのは」
ニルスは急にぼくとの距離を縮めて、ぼくの手をつかんだ。
「何だよ! 離せっ……うっ!?」
ぶつりと指に鋭いものが立てられる。外殻を突き破った犬歯がぼくの本体を貫いて、桃色の体液を滲ませる。
「レシーナ、あまり私を怒らせないでくれないか? 我慢できなくなりそうだ」
「……っ」
「愛が無害なものだと勘違いしているのかもしれないけど、何もしないと思うのは大間違いだよ。血を飲まれることと私に辱められること、どちらがいい?」
「……っ、変態野郎……!」
「私は半分魔物で、人の子だ。その分だけ悪言に敏感で感情的だ。乱暴な手を使われたくなければ、その騒がしい口を閉じることだ」
ばんと突き飛ばされるように離されて、牢屋から出て行った。
「……」
震えを抑えながら指の傷を消す。屈辱感でへたりと座り込む。
ニルスのぼくを見下す視線が不愉快で、怖かった。
……もうアンティフォドスは後ろにいない。従っていた理想の”最強”がなければ、ぼくはニルスに気圧されるほど無力だったのかと。
ぼくだって弱くない。弱くはない。この状況から脱するには、自力で逃げ出すかニルスを倒すしかない。だけど、考えれば考えるほどどうしたらいいかわからなくなっていく。明るいビジョンが浮かばない。ニルスの言葉ばかりが何度もリピートされる。ゼロがニルスに殺されたって。魔法紋が失われたって。
……ぼくはどうしたらいい?
誰のために生きればいい?
前が見えない。誰にも縋れない孤独感が、ぼくをどん底の淵まで追い込んでいく。
「ゼロ……」
縋れるはずのないぼくの希望。うっすら浮かぶ幻想の中で、あの眠そうな瞳をした青年がぼくの背中を見ている気がした。




