蟲使いの兄
ヴァヌサの了承を得て、ようやく俺は解放された。
リーリィとフォチュアは西の森へ行き戦闘に巻き込まれるのを逃れ、ヴァヌサはフォチュアの家に冒険者を集めて事態の調査と収集に動く。俺はレギナの気配を追って、東の森の方に向かった。
「……あと三体……」
分裂したレギナはまだ走り回っている……いや、一体が虫の大群に捕まった。あと二体。どっちが本物だ?
とりあえず一番近くにいる方を目指す。レギナと合流したら、<移動の術式>で村を脱出し、今度は滞在する間も惜しんで魔王城に行く。あとの細かいことはレギナと相談すればいい。
レギナがこれからのことを詳しく説明しなかったのは、俺への配慮だろう。おそらくは。
魔王の城は、冒険者ギルドや勇者業の人間すら踏み入ったことのない未知の世界だ。人間界育ちの俺にいっぺんに話したところで消化が難しい話なのか……あるいは、俺の鈍臭さを見込んでわざと話さないようにしているのか。
レギナは何やかんやで、俺を魔王と認めている。魔王として存在する俺に忠誠を誓い、連れ添ってくれようとしている。俺が先代魔王の血を引いていることを知っていたとしても、今まで何の関りもなかった俺に、無条件でそんなことを考えつくなどありえない、本当は俺を支配してあわよくば殺そうとしているんじゃないか、そう疑ったが。
まだ完全に疑いを払拭できていない。でもだんだんレギナのことがわかってきた。彼女はとても誇り高いのだ。弱いものいじめを許さないし、簡単に人を裏切るようなことはしない。責任感が強くて、俺のことも一人前の魔王になるまで面倒をみるつもりだ。
だから俺に心を読ませる魔法を使った。レギナは隠し事をしていないと、俺に証明するため……。
……。何かいる。
慌てて立ち止まって周りを見渡す。六メートル範囲内。かなり近い。
何で気がつかなかったのか。<周囲・察知>は遠距離に至るほど探知能力が劣るため、俺が見落としていたのは間違いないが。
人間の気配が半分、もう半分は魔物の気配……半魔か? 魔物と言ってもおそらくアンデットだ。死体は魔力の流れを乱す。だから<周囲・察知>の魔力がきちんと通らず、存在が目立たなかったのだろう。
あと、妙なものがある。魔法で存在が探知できない空間を持っているようだ。
反魔道具に似ている。 魔道具なのに”反”というのも変だが、そういうものだ。少なくとも、魔力を通さない特殊な何かがある。
魔法で発動する魔法障壁は魔力を吸い込むことで威力を削ぎ魔法を防御する仕組みだから、防御できる時間や受け止められる魔力量に限界がある。だが反魔道具は魔法そのものを反射する効果がある。
だが不完全。反魔道具から、微かに魔物の気配がする。
魔力の流れがかなり弱いが、レギナの気配だ。
……まるで幽霊のように、いつの間にか目の前に現れたのは虫の羽のような服を着た男だった。
「君がゼロ・ウラウスだね」
「……そうだ。レギナの知り合いか?」
「知り合い? いいや、私は何年も彼女に関わってきた男だよ」
「……男。つまり元カレか」
「元カレではないな。悲しいことに、なり損ねたんだ」
何だかよくわからない相手だ。だがこいつがこの村の騒動の元凶だろうと、自分の冴えない勘が警鐘を鳴らしていた。
格好も珍妙だが、肩に乗っているものがやたらと気になる。左右対称に丸いものがついているが、あれは虫の巣だろうか? 中に大量の虫が……。
いや、肩だけではない。身体中に虫が回っている。まさかあの羽のような服の下にも虫がいるのか? よく気持ち悪くならないな。蠢いている小さな気配にゾッとして、俺の背筋に文字通りの虫酸が走る。
「……不快じゃないのか」
「うん? 何のことかな?」
「身体中に虫がいる」
「ああそれは私の友達だよ」
……虫が友達。どうやらかなりの変人のようだ。
「本題に入る前に挨拶を済ませておこうか。私はニルス・マクシムス。君のお兄様ってところかな」
「お兄様……」
この変人が俺の兄? 魔王の血を引いた後継者候補?
思い描いていたイメージと違っていて、呆然とする。
「ふふ、なかなか面白いリアクションだ」
「魔王の血を引く相手は二人いると聞いている。長男か?」
「私は次男だよ。兄上は君とよく似た感じだから、見ればすぐわかるさ」
「……」
「言っておくけど、私は争うことが好きじゃない。すぐにどうこうするつもりはないよ」
「レギナみたいなことを言う」
「レギナ? レシーナのことか?」
「俺はレギナと呼んでいる。本人が真名で呼ばれるのを嫌がった」
口を閉じてから改めて相手を観察する。
やたらとのんびりした雰囲気。余裕があるのだろうか?
「……レギナか。レギナ・スライムだからレギナ。でも私はレシーナの方が好きだな」
本当に俺を攻撃するつもりがないのか。
それともただ、魔王の側にいたものはみんなこんな感じというだけか?
なら先手を打つチャンスだろう。魔法の式を頭に浮かべ、間合いを取るために一歩引こうとする。
「おっと、下手に動かないでね。私の意思と虫の意思とは別だ。感情のない彼らは住処を荒らされれば容赦をしないからね」
「……」
なるほど。体が虫まみれになっているのは防衛の意味があるのか。危なかった。魔法をぶつけたら、虫が襲いかかってくる。
……子供の頃、マシューの遊びに付き合って虫の巣を叩き落とし、大変な目にあったことを思い出した。蜂に刺されると結構痛い。
「ということは、レギナがあんたを攻撃したのか」
だからたくさんのレギナが虫に追われていたんだろう。
だがニルスは肯定も否定もせず、静かに笑っている。
「……その繭玉みたいなものだが。レギナを中に入れているな」
魔力が通らないということは、おそらく絹でできている。魔法師の道具には絹がよく使われるが、魔力を反射する力が強いからだ。もちろん物理的な防御力には劣るが。あと高級品だから、絹で装備を固めるには財布が痛い。
「虫籠のこと? ふふ、気になるよね?」
ニルスはすっと腕を伸ばし、鳥籠のような繭玉を吊り下げる。
「レギナを離せ。取引なら受ける」
「威勢がいいね。でもそれはできない」
「……俺の魔法紋は渡せないが、魔法紋の力を使いたいというなら従う」
「なるほど。私がレシーナを人質にしていると思っているんだね」
「……」
違うのか? てっきり魔王の座を狙っているのかと。
「魔王の証となる魔法紋。私が継承権を持っているのは事実だけど、レシーナを取引に使うつもりはないよ」
「なら何と交換するつもりだ」
「交換もしない。むしろ頼みごとをしたいのは私の方だ」
「……?」
「レシーナから手を引いてほしい。その条件が飲めるなら、魔法紋は諦めよう」
……どういうことだ? 魔法紋よりレギナが欲しいということか?
「兄上は魔王になりたがっているから、ずっと君を追いかけ回すだろう。でも私は魔王になるつもりなんてない。魔物の筆頭として生きるより、自分のために生きたいからだ」
「魔王は異常な魔力を扱えるだけで、実質魔物を従えたり統括したりするわけではないだろう」
「いや、そんなこともないよ。魔物も人間のように社会を築くものだ。森にヌシがいるようにね」
「……」
「でも配下を選ぶことは難しい。主人を選ぶのは魔王ではなく魔物だ。魔物は強いものの下につくことで、足りない実力を補うことがある。魔王も愛想を尽かされれば、あっという間に味方を失うよ」
「……」
レギナが俺についてくる理由が少しだけわかった気がする。
主人を立てて、それに従うことが彼女の生き方なのか。
俺の下についているというより、平等な関係だったが。
……要は、友達作りを大事にしているということだろう。名前に関しては聞く時・語る時の礼儀もあったし、かなり密接なコミュニケーション社会。時に虫を友達にするくらい大事という……この解釈で合っているだろうか? 魔物のコミュ力の高さには脱帽だ。
「君は今、レシーナ以外の味方はいないね。しかも戦い慣れしていないように感じる。いくら強い魔法が使えても、兄上の手が伸びてくれば勝率は皆無だ」
「……」
「味方のいない中、どうやって魔王を続けるつもりかな?」
……結局、俺が殺されるまで高みの見物をするということか。レギナを狙った理由は”欲しいから”だとしても、相手にとって俺の存在は厄介かもしれない。魔王の証はこの世一つだけ。長男が俺を殺して魔王になったら、今度は継承権のある次男を狙うだろう。争いが好きじゃないなら、それを避ける狙いがあると考えれば自然だ。
「君が妹だったら少しは助けてやろうかと思ったけどね。生憎、男に興味はないんだ」
なるほど。
「なら女になればいいか」
「え?」
自慢じゃないが、珍しい魔法の知識ならいくらでもある。
……何やかんやで魔法が好きだ。そして魔法師に憧れた。俺の力では届かないと打ちひしがれる前に、膨らませた夢の中で蓄えた知識。例え自分で使えなかったとしても、全てが無駄になることはなく、役立っている。
だが無限の魔力を扱える今なら、これも使える。
「<変換の術式=我・性別>」
あまり使う機会のない術式で、文字通りの性転換をした。ぼんと張り出した胸の重みを触れて確認し、相手に向き直る。
「……これで妹になった」
「君って、冗談が通じない人って言われない?」
変身した俺を見ているニルスは唖然としている。
TSしたままにはなりません。ご安心ください。




