取引をする
どんと激しい地面の揺れに、平衡感覚を保てなくなった俺は床にへばりついた。これが地震というやつだろうか。ミシミシと家が割れそうな音がして、自然の脅威というものを初めて感じた気がする。
「ゼロくん、何をしているの! 早く外に逃げなさい!」
フォチュアに言われて、俺は素直に従った。不測の事態では年配者 (今は見た目が若いが)の話を聞くことが最善になると、ノース先生に教わった記憶がある。
外に出て、妙な状況を目にする。南の方向……つまりさっきまで俺とヴァヌサとリーリィがいた集落の方で、大きな土煙が上がっていたのだ。
「何ですのあれは!?」
ありえないものを見たと言わんばかりにヴァヌサが叫んだ。
俺は目を瞑り、「<周囲・察知>」を唱えて、遠くの状況を探る。
「……すごいことになっている……」
村人たちが右往左往している。しかも土の下に生命反応がある。
単なる地震ではない。文字通りの天変地異だ。パンケーキみたいに、地面がひっくり返っている。
自然現象でこんなことがありえるのか?
さらに探ると、大きな魔力のうねりを捉えた。
パルーバで感じ取ったものだ。あの大量の魔物を召喚した魔法師の魔法紋。
「……追いつかれたのか」
次にレギナの姿を探す。食事に行っているはずだ。森の周囲に神経を集中させて、妙な状況に戸惑う。
……? レギナが七人いる?
分裂したのか。いや、だが、全部レギナと同じ反応なのはおかしい。レギナ・スライムと同格の個体は、異性の精液がないと分裂できないと本人が言って、
「……まさか浮気か」
「浮気?」そばにいたリーリィが首をかしげる。
俺がずっと渋って相手をしなかったから? プライドの高いレギナがそんなに尻軽だとも思えないが。
……どうやら、レギナも緊急事態に陥っているようだ。虫のような小さい魔物が、分裂したレギナを追い回している。あれは、蜂か? いやそれにしては平たい。見たことがない形だ。少なくとも、この国に生息していないものだと思う。
レギナの一人が虫に追いつかれた。虫に囲まれたレギナの動きが鈍くなり、やがて動きを止める。生きてはいるようだが、逃げる力を失っているようだ。
変な魔力の流れだ。虫がレギナの魔力を吸い取るようにして勝手に動かしている? 魔力酔いのような状態を強制的に引き起こしているのかもしれない。
「……合流しなければ」
レギナの方の状況もよくわからないが、危険に晒されているのは間違いない。
「レギナ、俺の声が聞こえるか」
反応は返らない。逆にレギナの声も聞こえない。
「フォチュア、リーリィ。俺はレギナを探しに行ってくる」
フォチュアにも声を掛けたが、ヴァヌサと話しているようで聞いていないようだ。
「リーリィも行く!」
「フォチュアと一緒に待った方がいい」
話さなければ。フォチュアとヴァヌサの会話に割り込もうとするが、声をかけるタイミングが掴めない。
「どう見てもギルドの方はもうダメよん。ここに対策本部を設置させて頂戴」
ヴァヌサはいつの間にか、魔法銃を長剣のように長い形に変えていた。スコープのようなものをつけているから、望遠鏡がわりにしたのだろう。
「それはわかるけど……でもヴァヌサ、私とリーリィは、」
「この災いをあなたたちのせいにする人はいるでしょうねぇ。でもそれどころじゃないのよん」
「……」
「今から冒険者をここに集めるけれど、この状況を作った敵も呼び寄せてしまうかもしれない。今からリーリィと一緒に、森へ行って頂戴。ここよりはマシよん」
「……逃げろと言っているようにも聞こえるけど、実質は私の家を戦場の拠点にするための強制退去。ギルドはいつまでも身勝手ね」
「恨んでくれて結構。平和ボケした奴らにギルドや冒険者の覚悟なんてわからないでしょうねぇ」
「私も冒険者の妻よ。わからないわけないでしょう」
「だったらそちらも覚悟を決めて頂戴な。あなたを守れなかったら、わたくしが天国の伯父様から呪われるのよん。何が言いたいか、お分かりかしらん?」
「……」
「伯母様は二人を放置するわん。森を守るなら弱くて小さいものを相手にしている暇がないもの。現状としてどうでもいいでしょうねぇ」
「……」
「早く行って頂戴。リーリィ、何かあったらわたくしに報告をするのよん? わかったわねぇ?
「……」リーリィは一瞬俺を見て、でもキリッと顔を凛々しくして、フォチュアのそばについた。
「わかった。リーリィがフォチュアを守る」
「リーリィ……」
「いじわるなギルド所長なんか知らない! リーリィはフォチュアのために頑張るんだからね!」
まるでツンデレのようだ。恨みのこもったリーリィの視線を浴びて、ヴァヌサは涼しそうにニヤリと笑った。
「そ。期待しているわん」
ヴァヌサはそれから俺を見る。
「あなたはここに残ってもらうわよん」
「……レギナと合流する必要がある」
「逃がさないと言ったでしょう?」
「集落を攻撃したやつは俺を狙っている」
「……どういうことかしらん? この状況に心当たりがあるのん?」
「魔王の候補に追われているんだ」
「候補?」
要所を隠して手短に話したいところだが、話し下手な俺には無理だ。それにこの状況を引き起こした根本要因は俺だ。情報をあやふやにしたら、ギルドが対処するにもできない部分が出てくるだろう。俺は自分のシャツをめくって、脇腹の魔法紋を見せた。
「それは?」
「魔王の証だ」
「……」
「アンティフォドスはすでに死んでいる。今は俺が魔王だ。だから魔王城に行く」
「……あなた、冗談がうまくなったのねぇ?」
「集落をひっくり返した相手は、俺とは違う魔法紋を持っている。パルーバで高位の魔物を大量召喚した化け物だ」
「……」
「ここから少し離れたところに、アレスとナヴィもいる。少しは戦力になるはずだ」
長く伸びた魔法銃が俺のこめかみに突きつけられた。
「あなたまさかネタバラシをするだけしてトンズラするつもり? 頭を吹っ飛ばされたいのかしらん?」
「俺が魔王城に行かなければ、いつまでもあちこちの町や村が襲われる」
魔王城に行こうとレギナは言った。完全な推測だが、俺の魔法紋を狙っている魔王候補は魔王城を拠点としていない。そうでなければ、俺たちの目標が逃げながら敵陣に突っ込むかのような矛盾が生じる。
レギナは魔王城に行けば何とかなると考えているのだ。だから俺もそう考える。
「逃げ延びて、俺たちは早く行かなくてはいけない。世界のためだ」
「ふざけないで頂戴。あなたにとってラフルメは小さな村でしょうけど、その世界のための生贄にされる側からすれば溜まったものじゃないわん」
「死んだ人は俺が責任を持って生き返らせる。これで手を打ってほしい」
「何ですって?」
「俺は蘇生の術式が使える。すぐには無理だが、あとで必ず」
「そんなおとぎ話みたいな取引を信じろというの?」
「俺が嘘が下手なことを知っているはずだ。だから今、隠していたことを全部話した」
「……」
「アレスとナヴィもパルーバでは死んでいた。だが俺がこの村で生き返らせた。本人に聞いてみればわかる」
「……」
「ヴァヌサは頭がいいと聞いている。俺に託すかどうか考えてくれ」
「……」
ヴァヌサがようやく考え込むように黙った。俺もこんなに力んで一気に話したのは久しぶりだ。普段は声を張らない分、意外と疲れる。俺は肩で息をする。




