トラウマの理由(レギナ視点)
ゼロはギルドに向かった。ボクはいつも通り、スライムを回収しに村を見回りに行く。
普段はリーリィがついていたけど、彼女はどうやらゼロにつくことにしたらしい。
昨日から、リスのような魔物がぼくについている。
ポックルは巨人と行動を共にする魔物だ。つまりグランデリの差し金だろう。見張られているのは気分が悪いけど、敵意があるわけではなさそうだ。無視してぼくは歩いていた。
フォチュアの家からだいぶ離れて、畦道を抜けて少し登った。この村は山の斜面にあるから、森は山側と谷側で分かれている。森の主がいるのは谷側。超えた山の向こうにはドラゴンに襲われたという別の村があるらしい。
遠目に風で揺れる麦田を眺めながら坂道を上がっていくと、ピンク色の小さなスライムが草木の隙間からニョッキリと現れた。
スライムはぼくの分身でもある。呼び寄せたいと思えばぼくの前に姿を表す。
スライムを手の平に登らせて、人の皮膚を模した外殻に少し隙間を開ける。スライムはそこにずるんと滑り落ちるようにして、ボクと同化した。
……うん。特に危険な目にあったりはしていないようだ。
スライムは栄養を溜め込んでぼくに運んでくる。それがレギナ・スライムの食事方法。でも回収は食事だけが目的ではない。周りに危険がないか、妙な動きをしている奴がいないか確認するのだ。
ぼくはスライムが自分と一体化したことを意識で確認すると、次のスライムを見つけるためにさらに進む。
グランデリのことも、この村の長老のことも信用はしていない。もちろんギルドも警戒対象だ。冒険者ギルドは魔王を狙う。ゼロは怪しまれる前に正式に除名してしまえばいいかなと思っていたけど。
……一応、何かあった時のために、ゼロには小さなスライムを忍ばせている。
ぼくとスライムは遠隔でも意識を共有できるけど、<精神感作>とはまた違う。何故ならボクが今やっているのは盗聴で、ずっと意識を繋げるために気力がいるからだ。リアルタイムで情報が得られるのはメリットだけど、長時間は疲れる。この見回りみたいに情報を持ったスライムを直接吸収して、記憶を共有してしまう方が労力が少ない。
今のところ、ゼロは問題なくギルドに辿り着いたようだ。リーリィがいるみたい。ギルド所長に用事があって、ゼロより早くギルドに行ったらしい。
リーリィがぼくらを監視していることも、フォチュアの事情も知っていたけど、ゼロには余計なことを話さないようにしている。理由は、魔法紋を渡した時の反省があるからだ。
彼は大量の情報を処理できない。というか、まとめて話すと勘違いを起こしやすい。
ゼロ自身も話についていけなくて、結構混乱するようだ。でも、時間をかければ自分で消化して理解できるみたい。
面倒な性格だね。彼と会話すると疲れるのは良くわかる。理解していなさそうだなって感じるから。
「……!」
はたと立ち止まる。視覚的には状況を捉えられないけど、ゼロの心拍数が上がったのを感じた。
『……何の真似だ』
『それはこっちのセリフよん。ギルドの情報網を舐めてはダメねぇ? お尋ね者がのこのこ現れるなんて、随分な勇気じゃなあい?』
前者のおとなしい声がゼロ。後者の間延びした声がヴァヌサというギルド所長だろう。
「ばれたのか」
舌打ちする。どうだろう、ゼロが魔王であることも知っているのだろうか。
まあこんな辺境の村のギルドにバレたところで、大したことないけどさ。
ヴァヌサはわざわざ人払いをしている。村全体を敵に回すことはできないけど、ギルド所長一人くらいなら、ゼロの情報が広まる前に口封じができる。
……でも、村全体を敵に回すのは極力避けたい。
相手が多すぎるからだ。村人、冒険者、森の魔物たち。たった二人で敵対するのは得策じゃない。
でも逆に、追っ手が迫って来ても、”共通の敵”としてラフルメ全体を巻き込めば数で押せる。逃げる時間も稼げる。人海戦術というのは、何にも勝るものだ。
「……どうしようかな」
ゼロはぼくの助けが必要だろう。見回りを中断して、集落の方に進みながら対策を考える。
ヴァヌサを殺してしまってもいいけど、死というのは確実に口が封じれる代わりに、周りへの影響が大きい。どんな生物も、死は本能的な強い恐怖になる、リスクが高い手段だ。ぼくはあまり好まない。
生かすなら、一時的に洗脳して黙らせるか。
あとは辱めるか。スライムをけしかけて脅すってこと。
魔力を使う必要がないから楽といえば楽だけど、ヴァヌサは勇者の金魚の糞と違って隙が少ない。金魚の糞と仲がいいならあの勇者と同類かと思ってたけど、聞きかじった話を集約した感じでは「サバサバしていて努力家、冒険者や村人にとても慕われている」らしい。ヴァヌサを赤子の時から知っているフォチュアも「無神経なところはあるけど悪い子ではない」と評価していた。ルソールは「感情を露わにしないから、腹の中がわからない」と毒を吐いていた。
意志が強い存在には二種類いる。単純にプライドが高い奴と、覚悟を決めるのがうまい奴。
ヴァヌサはおそらく後者だ。屈服させようにも、一筋縄ではいかないタイプ。
そうなると、<洗脳の術式>を使うのがもっとも有効だ。
……ただ、ゼロのトラウマのことが少し引っかかる。かつてヴァヌサに色っぽく迫られて、好意があるのかと聞き返したら「調子に乗るな童貞」と罵しられたって話。
ヴァヌサは男っ気がまるでなくてレズビアンではないかという噂があるらしいけど、そんなに男を寄せ付けないなら、たまたまパーティが一緒になっただけのゼロを勘違いさせるような発言をするのだろうか? ゼロが一方的な誤解をしてヴァヌサを怒らせたのは間違いないだろうけど、どうもそれだけではない気がする。
何故って、ゼロは消極的な部類だ。酒に酔ってしつこく迫るゴロツキみたいな口説き方はしない……というかできないはず。
ヴァヌサが感情の制御が得意な人だというなら、一緒に行動をしなくちゃいけない相手にいきなりキレるとかまずしないと思うし、ゼロの斜め上の勘違いなら軽くあしらうことだってできたはずだ。
もしかしたらトラウマの話は、ゼロとのやりとりの中でヴァヌサの逆鱗に触れる何かがあったんじゃないかな。あるいはたまたまヴァヌサの機嫌が悪かったか。それとも村の外だから猫を被らないようにしていて気が緩んだのか。
……まあ、どうでもいいことか。ゼロがズルズルとトラウマを引きずるタイプなのは厄介だけど、「自分に力がある」という事実を自信に変えれば、胸だけでかい女の罵りなんて大したことじゃないって、思ってくれるはず。嫌な過去もつまらない笑い話になれば万事解決だ。
ゼロのことだから、また突拍子もない発想に至るかもしれないけど。「そうか、俺は力がありすぎてモテないのか」とか悟り出すのかな。魔王城にいた時にも、そんなことで嘆いている女幹部がいたけど。まさかね。
笑っている場合じゃないけど、思わずくすりと笑みが溢れた。ゼロなら、きっともっと変なことを言いだすよ。
ふとそよ風が外殻に触れたのを感じて、はたと足を止めた。
嫌な風だ。突然現れた気配を察知して、さっと距離をとる。
「誰?」
声をかけてすぐ、視界に映った存在にぞっとした。
警戒物質が体の中に放出されて、五感が過剰に研ぎ澄まされるような焦りを感じる。
……そうか、これが人間の言う、トラウマが引き出される感覚なのかもしれない。
「誰なんて……酷いことを。私を忘れたなんて言わせないよ、レシーナ」
一瞬、ゼロかと思った。
でもゼロよりのんびりしていて、どこか腹黒さを感じる、薄気味悪い声だ。
「ニルス……!?」
ぱっと見るだけなら、プラチナブロンドの髪を肩まで伸ばした美丈夫の人間。虫の羽で仕立てた服は珍妙で、弱そうに見えるけど油断ならない。彼も半魔だ。
「追いかけてきたんだよ。全く、大変だったんだからね。私の前から消えてしまって、どれだけ悲しい思いをしたことか」
スタスタと距離を縮めてくるニルスから、間合いを維持するために後退する。
「なんでぼくの居場所がわかったんだよ!」
こいつにも探されていると思っていたから、警戒していたのに!
「うーん。一言で言えば、『愛』かな?」
「気持ち悪い……」
「久しぶりの再会なのに、そんなことを言われるなんて」
ニルスは肩をすくめて、不満そうに腕を組む。
「君はいつもさ、ストーカーだとか変態だとか白痴者だとか、随分私の悪口を言っているみたいだけどね。私は君を助けるために、『兄上より早く見つけないと』って必死に探したんだよ。もし兄上の手下に追いつかれていたらどうなっていたかな? 一瞬で殺されてしまうだろ? いや、殺される程度では済まないか。他のスライムと共食いをさせて塩漬けかな? ふふ、ありえそうだよね。兄上のサディストっぷりは私もドン引きするくらいだから」
「……」
「でも私の元に来れば大丈夫だ。先代殺しのことも魔法紋を持って逃げたことも、私が何とかしてあげるから」
「お前について行く気はない」
「……なあレシーナ。どうして私をそこまで嫌っているんだ?」
「価値観が合わないから。それ以外ある?」
「価値観なんて経験次第で変わっていくものだよ。夢がある限り、人は無限に変われる」
「だから、ぼくはお前の夢に興味がないって言ってるだろう!?」
「……つまらないねぇ、レシーナ。君はいつも非情なものに囚われていて、可哀想だよ」
ふと口元を歪めるニルスに、今度は何を仕掛けてくるのかと警戒を強める。
「父上がいなくなったからには遠慮をする理由もない。私は欲しいものを力づくで手に入れる」
「……っ」
「どちらにせよ、兄上は君を殺すことしか頭にないから、私のそばにいるしかまともに生き延びられる方法はないだろうよ。君の同僚もレシーナのことを気にしているよ。父上の配下だった魔物たちだ。私についた奴もたくさんいるんだよ。兄上のやり方は横暴すぎるから、怖くてついていけないってさ」
「どの口が言うか。殺戮主義者のくせに」
「それは君もそうだ。私の価値観とレシーナの価値観は意外と近いと思うけどね? 言うことを聞かない相手は、力でねじ伏せて支配するべきだと思うから」
ニルスがひゅうと短い口笛を吹くと、その両肩にある虫の巣から黒い靄のようなものが立ち上った。へびのようなそれはぐんとうねり、ばあっと空中に広がって、ぼくを囲もうとする。
「影虫たちよ。レシーナの魔力を奪え」
ぼくは急いで森に飛び込み、外殻を分解して、ゼリー状の体を分裂させた。
ぼくと同じサイズになるように作ったのは、ダミースライム。レギナ・スライムがレギナ・スライムを生み出すには特殊な分裂が必要だけど、これは卵で言えば無精卵だ。ダミーはぼくとほぼ同じ力を持っているけど、だんだん弱くなって、数時間後にはただのスライムになる。
7体のダミースライムが散り散りになって、それぞれが影虫の追跡から逃れようと跳ねる。
ぼくはゼリー体の一部からグラドウルフの四つ足を生やして走り出した。人の足よりも、四足歩行の魔物の方が早い。
ニルスの虫はぼくの方にも追ってきたけど、予想通り、ダミーの方にもついていったようだ。大きく数が減っていた。
影虫は火に弱い。それにぼくのように、虫とニルスは意識を共有できない。
火の魔法を起こして燃やしてしまえば、追ってくる奴だけは全滅させて逃げ切ることはできるだろう。
でも逆に、追いつかれたらまずい。影虫に刺されると魔力を吸い取られて、やがて魔力酔いを起こして意識を失う。後ろには目算で数百体の群れ。前にやられた時の感覚を思い出して推測すれば、30匹に10秒間吸血されたら動けなくなる。
とにかく、ゼロと合流しないと。
ひたすら走っていると、がくんと地面が揺れて、遠くで大きな魔力の歪みを感じた。
何だこれ。土魔法? 大地を大きく抉るような、奇妙な感覚がする。
<周囲・探知>でその正体を探ろうとすると、人通りが多い村の南側で、魔法紋の存在を察知した。ゼロの”魔王紋”ではない。これは……。
「ーー逃げて、ゼロ!!」




