魔物対策と飴玉
「……ふむ、なるほど。とても危険な魔物が近くにいるとなれば、すぐに対処せざるを得ませんが……」
院長はマシューと俺からの話を聞いて、考え込むように腕を組んだ。
「ゼロくんの話からすると、そのレギナ・スライムというものは、こちらから手を出さない限りは襲ってはこない……ということですね。だから明日ギルドに報告すれば、そこまで慌てる必要はないと」
「院長、それでも子供達が普通のスライムに襲われしまう可能性はあります。孤児院のドアノブに張り付いていたということは、この施設の中にも侵入しているかもしれません」とマシューが語る。
「ううむ……」
「そこで提案なのですが。ゼロを護衛としてここに置くのはいかがでしょう?」
「俺はここに泊まった方がいいのか?」
施設に塩を蒔いて夕食を取ったら完全に帰るつもりでいた。長居するのも悪いと思っていたからだ。
「当たり前でしょう? 危険に晒されている私たちを放って帰るなんて薄情よ……」
「ワタシからもお願いします。魔物に詳しいゼロくんがいてくれれば、みんな安心できますから」
「……」
ぽんと、雑穀のミルク粥が頭に浮かんだ。
「……普通のスライムなら何とかなりますが、レギナ・スライムが出たら勝算はないです。善処はしますが、極力は自分で身を守るしかないと、考えておいてください」
「わかりました。それでも頼りにしていますよ」
ということで、ミルク粥……いや、弟や妹達の護衛をするという名目で、俺はここに泊まることになった。
ロッドを出し、子供達が駆け回る庭でスライムがいないかと探しつつ、ぱっぱっと塩を撒いていく。
「なにしてるのー?」と、髪の短い少女が寄ってきた。
「塩を撒いているんだ」と俺。
「しょっぱー!」と少女。
「食べたら死ぬぞ」と優しく言う俺。
塩を食べた少女はびっくりした顔になり、泣き出した。いや、塩を食べ尽くしたらスライム避けにならないから、魔物に襲われて死ぬという意味のつもりだが。
「しんじゃうしおたべちゃった~! うわ~ん!」
「塩そのものを食べても死ぬことはない。泣かないでくれ」
子供の機嫌をとるために、空中で魔法陣を描いた。
「<生成の術式=土型…… 柔き結晶=糖>」
と唱えて、砂糖の魔法からころんと飴玉を生成した。
「……わ、これあまいっ!」
口に飴玉を含んだ少女は、また驚いた表情で、もごもごと頬を動かす。
「おじさん、もしかしてすごいまほーつかい?」
「……まだおじさんではない、全然ダメな魔法使いだ。護衛もできないくらいの」
「あたしもまほーれんしゅうしてるけど、こんなのできない」
「生成術は中級レベルの魔法だからな。俺も中級はこれしか使えない。魔法道具屋でようやく身につけたものだ」
「すごいのつかえないの?」
塩を撒く手が止まる。
「魔法にはセンスが必要だ。魔力を操るセンスと、魔法を学ぶためのセンス。両方がなければ、すごい魔法師にはなれない」
「……?」
「努力の開花にも、才能が必要なんだ。どれだけ足掻いても足掻いても、届かない場所はある」
「……よくわからない」
きょとんとする澄んだ瞳。まだ夢も希望もある子供に変なことを言ってしまった。少女から目を逸らし、塩を撒く作業を再開する。
「……魔法を使うのは好きか?」
「うーん……どっちかっていえばきらい。みるだけならすき」
「……そうか。でも、学ぶことは諦めない方がいい。魔法を覚えて損はないからな」
「おとなってみんなそういうー」
少女はざっざっと、地面を馴らすように足を動かす。
「ひはもえてるひからもらえばいいし、みずはくみにいったほうがたくさんだよ」
「……」
まあ、極論を言ってしまえば、そう言うことだ。
貰い火の当てがなく、水汲みに行くのもリスクがあるフィールドで過ごさない限り、魔法がなくても生活はできる。
……とりあえず、施設の周りにスライムは見当たらなかった。一通り塩撒きが終わった頃に、「ゼロ、ごはんできたわよ」とマシューが呼びにきた。普通の調子に見えたから、機嫌は戻ったらしい。
孤児院のメンバーに混じって神様への祈りの言葉を口にし、待望のシチューにありつく。
小さく切られたにんじんとじゃがいも、クリームの中に溶けた甘いたまねぎの味。ずっと腹を満たすための食事ばかり摂っていたから、俺の舌を満足させるのには十分すぎるご馳走だった。
「味はどうかしら?」
隣に座るマシューがやや誇らしげに聞いてくる。
「うん、うまい。さすが院長だ」
「これ私が作ったのよ」
「マシューが?」
はたとスプーンを止めて、まじまじと湯気の立つ一皿を眺める。
「……これは本当に食べ物か? まさか石灰を混ぜ、」
「失礼ね! 食べ物よ!! さっきから美味しそうに食べてたじゃない!」
マシューが作る料理で、食べ物らしいものは見たことがない気がする。
孤児院の子供は交代で料理を手伝うのだが、マシューはそれ以外にも、一人で材料を集めて作ることがあった。
……食材ではない。虫とか、花とか、水辺の泥とかだ。
味見係を頼まれた人は皆、言い訳を並べて逃げようと必死になっていた。
「料理の腕、上げたのか」
「そうよ。味見は院長にしてもらったけれど」
「よかったな。見た目もちゃんとしたシチューだ」
「……。ゼロの馬鹿」
褒めたつもりなんだが、また膨れている気がする。向かいに座る院長が苦そうな笑いをこぼしていた。
……院長、お腹を壊さないだろうか。まさか院長のシチューには道端の草が入っていたんじゃないかと、少し心配になった。マシューならやりかねない。
食事を終えたら、一足先に席を立つ。塩が効いているかを確認するために、外の見回りをしなければならない。
どっぷりと夜に浸かった外の景色には、何も悪い気配はない。空気も澄んでいた。スライムどころか、動物の存在感もない。
「……」
鳥の声も聞こえないとなると、さらに不安が募る。野生動物は人間より危機察知能力が高い。フィールドでは、鳥の有無で周囲が安全かどうか、判断することもあるからだ。
塩も追加で撒きながら、室内に戻った。
すると風呂を終えた子供達が俺のところに集まってきて、飴玉をねだられた。
……あの髪の短い少女が広めたのだろう。口封じの約束をしておけばよかった。
魔法で飴玉を生成するのは、塩を出すより大変だ。先の詠唱に「<其・増多>」を追加して、スライムのごとく一時的に飴玉の数を増やして誤魔化した。とりあえず、味だけ楽しめればいい。腹に入ってしまえば消えてもわからない。
子供達が満足した頃に、マシューが持ってきた小袋に、塩を詰める作業を始める。護身用だ。俺の目の届かないところでスライムに襲われた場合、これをぶちまければ少しは逃げる時間を稼げるだろうという、院長の発案だった。
中途半端な量だとスライムにダメージが入らない。むしろ“攻撃された”と判断したスライムが飛びかかってくる危険性がある。俺の魔法の他、孤児院にある塩もありったけ混ぜて、“お守り”を作った。
そして消灯時間。ベッドに入る子供達に一つずつ配り歩き、ようやくやることが終わった俺は、ぐったりとロビーの椅子にもたれ掛かった。