ヴァヌサと客人
ラフルメの村、滞在三日目の朝。
アレスとナヴィの様子は変わらずだ。
食事を送り届けてから、あの長老の家があった場所のような、賑わいのある大通りへと向かった。
「……ギルドは、ここか」
パルーバほどではないが、なかなかの大きさを誇っていた。冒険者ギルドというものがいかに強い権力を持っているのかと、改めて思う。
「……そういえば、魔王ってどうやってお金を貯めるんだ……?」
冒険者にとって、魔王討伐は最も名誉を得られる賞金首だ。
俺は魔王になってしまったから脱ギルドするのだが。
魔王ギルドなるものがあるのだろうか。魔物が給料をもらっているとは思えない。そもそも何を食べて、どうやって生きていくものなのか。
レギナ・スライムのように、俺は食べるものを自給自足できない。魔法で作ったもので胃が満たされるのは、一時的。定期的にお腹はすくし、色々なものを食べたくなる。シチューなら毎日食べたい。
「……」
薬草液に漬けている魔物の骨を思い出す。俺の腕で作れるのは二束三文にしかならない魔道具だが、ギルドの換金なしでコンスタントに金を得るには、ものを加工して卸屋に売るしかない。聖水なら無限の魔力で大量生産できるか。
……それでもかなり生活は厳しくなるだろう。
俺は聖職者ではない。変に聖水を作って売れば、教会から目をつけられてしまう。
レギナは俺の意思を尊重すると言っているが、生活苦は気にしていないのかもしれない。食べ物でもお金でも、魔王は力技で手にいれることができるのだ。
「……」
王様といえば悠々自適、ではない。一歩間違えれば国を傾ける大きな責任を伴う。むしろ毎日が忙しいだろう。
だが、魔王の場合、人間の統率とは違う。ややこしい社会情勢や人間の心理戦に立ち向かうわけではない。しかも、民衆に値するはずの魔物からも、尊敬の念を集めることはない。
弱いものが強いものに食い潰されないために魔王はいる……と、レギナは言っていた。魔王は“最強”であることに意味があるのだろう。
……余計な考え事だ。ここのギルド所長と顔を合わせたくないという意思が、俺を熟考という現実逃避に追い込んでいる。
観念するようなため息をついてから、ノブに手をかけてゆっくり開ける。
「ねぇ、それはどういうことかしらん?」
ヴァヌサの声だ。
「村に来た客人を見守るだけの簡単な仕事よ? それとも、わたくしに反抗したいということ?」
扉の隙間からそっと覗きみる。あの大きな胸が見えて、その持ち主をたどるようにヴァヌサの表情を確認した。あのとろんとした目つきをしながら、口元を吊り上げている。
「まずあの人たちを村に置くように頼んで来たのは、あなたじゃなかったかしらぁ? ねぇ、リーリィ?」
……体の位置を変えて左の視野を確保する。
フォチュア特製のフリフリドレス。リーリィが、口をへの字に曲げて、ヴァヌサをじっと見ていた。
「あなたが嫌だというなら別にいいわよん? ギルドの誰かに頼めばいいものねぇ。空いていそうな冒険者は……」
「それもダメ!」
リーリィが大声でヴァヌサの言葉を制する。
「お客さんはリーリィが見張る」
「……もうぅ、どっち? やだと言ったり、やると言ったり……」
はぁと色っぽいため息をついて、ヴァヌサは続けた。
「これは旅人に危害を加えないためということ、わかっているわよねぇ? あなたが“ドライアドの人質”でいてくれないと、またあの時みたいになるわよん」
「……」
あの時?
「わかってる。姉様たちが変なことしないように、ちゃんと見てるから」
……。
リーリィに、俺たちの見張るように命令していたのはヴァヌサだったのか。
「しっかりして頂戴ねぇ。変に騒ぎを起こして、グランデリに“原始の分身”であることを知られるわけにはいかないのよん」
「……」
「フォチュアのこともあなたのお姉様たちのことも守るのでしょう? ギルド所長であるわたくしの言うことを黙って聞くこと。言いわねぇ?」
「……可哀想だよね」
唐突なリーリィの言葉で、一瞬だけ、ヴァヌサの表情が消えた。
「ヴァヌサも望んでないんでしょ? こんな立場」
「何の話かしらん?」
「言っとくけど! リーリィの方がヴァヌサより年上なんだからね! 赤ちゃんの時から知ってるんだからね! ヴァヌサがギルドを継ぎたがらなかったことも、無理に頑張っていることも、全部知ってるんだから!」
「……ええ、そうね。だから?」
人が変わったように、あの伸びたような声色が凛と冷たくなった。
「これはお祖父様が望んだことなのよ。グランデリをここに置くために。グランデリは森を、お祖父様は村を支配した。でも望んだのはあくまでも共生よ。弾圧ではないの」
「……」
「ドライアドたちには何十年と培ってきた不満があるでしょうね? グランデリも叔父様以外の人間と隣り合わせで生きるのを嫌がった。長老もこの村が魔物に頼って生きることを快く思っていない。でも、みんな妥協しているのよ。誰も不幸にならないために。もしも、このうちの誰かが力を持って、バランスよく拮抗し合う関係を崩すような事態に至ったら、森も村も、一体どういうことになるかしらん?」
「……」
「わたくしも、村人が魔物と殺し合うことは避けたいのよねぇ。おわかり?」
……お祖父様はポリドンのことだろう。
しかし、叔父様というのは?
グランデリは叔父様以外の人間と隣り合わせになることを嫌がった……この"叔父様"が誰かはわからないが、ヴァヌサと血縁があるのは間違いないだろう。
……ラフルメの村の長老ルソールは、ギルド所長であるヴァヌサと交流が深い。だが俺が魔王であることは、彼女に話していない。
ルソールは俺が考えついた『村ぐるみでフォチュアとリーリィを監視している』という推測を咎めなかったが、長老はドライアドも森の主も、ギルド所長のことも快く思っていないのだ。
……つまり、ルソールは村の指揮権を持っていない。いや、長老として取りまとめる役ではあるのだろうが、指針を示す存在ではない。
市町村の長と肩を並べられる権力を持つといえば、ギルド所長。数年前まではポリドンがその座を守り、今はヴァヌサに代替わりした。
ヴァヌサとルソールは、あまり仲が良くないのかもしれない。もし仲がよければ、ルソールの前で、村娘の胸について話題に出した時点でキレられるだろう。「面白い」と好意的に受け止められるはずかない。
……森の支配者グランデリ、ラフルメの村の長老ルソール、ギルド所長のヴァヌサ。
そして、重要な立ち位置らしい、ドライアドのリーリィ。
グランデリとルソールには、俺が魔王であることは伝えてある。リーリィも知っている。だが、「匿う代わりに誰彼を攻撃しろ」という話は出なかった。それも、この関係を崩したくないという証拠だろう。
問題はドライアド。
グランデリに森の支配権を握られている不満がある。だが、おそらくは村に貢献することを条件に、森を追い出されずに済んでいるのだ。
いや、むしろ出ていくのも選択肢の一つだが、ドライアドたちにはそれもできない理由がある。おそらくは、リーリィが村人に人質に取られているから。
ヴァヌサが原始の分身と言っていた。原始とは、森で最長寿の木のことだろう。ドライアドたちの女王だ。
……だが、分身というのは一体どういうことだ?
妖精はスライムみたいに分裂できないはずだが。
じっと考えていると、肩を叩かれた。
「おい、こそこそ何してんだお前」
ドスの利いた声だ。振り返ると、薬草の束を持った男が厳しい目で俺を見ていた。
「見かけない顔だな。村に立ち寄った旅人か?」
この大通りには宿屋がある。村の外の人間の滞在も珍しくはない。
フォチュアの家で過ごしているのは、リーリィが俺とレギナを魔物と察して、ヴァヌサや長老に報告したからだろう。レギナの交渉の結果もあるのだろうが。何にせよ、特例だ。
「……邪魔をしてすまない」
扉から離れて道を譲るが、男は俺から目を離さない。
「何をしていたかって聞いているんだが。答えられねぇのか?」
「……ここのギルド所長に会うつもりが、緊張して中に入るのを躊躇っていた」
ほとんど正直に答えると、男は一瞬きょとんとして、「ああ、そうか」と納得したように頷いた。
「うちのギルド所長に会うってなら、普通の反応だな」
すると、男は容赦なくばんと扉を開けた。
「ちょ……」
「おーい、ヴァヌサ! 客人だ!」
俺の静止は間に合わず。男の声でこちらに顔を向けるヴァヌサと、目が合ってしまった。




