気配
納屋の裏に井戸がある。そこで水を汲み、顔を洗ったり水を飲んだりすると、「おはよう」と声をかけられた。
「……おはよう」
「よく眠れたかい?」
「……思ったより」
「そっか。それなら良かったよ」
「……」
おそらく野菜を洗いにきたのだろう。レギナの手には、ニンジンやらキャベツやらが握られている。
「……食べないのに料理を手伝っているのか」
「居候させてもらっているからね。これくらいはしないと」
「フォチュアは戻ったか」
「残念だけど。でも何だか楽しそうで、鼻歌混じりに料理をしているよ。満更でもないんじゃない?」
レギナは太腿までの長さのチュニックと、足のラインを明瞭にした黒いズボンを履いていた。農夫たちの格好に似ている。
「……昨日までのワンピースはどうした」
「ああ、あれは分解したけど、合成すれば外殻として再現できるよ。ちなみにこの服は僕が合成したやつ」
「……レギナの力は、何でも合成できるのか」
「何でもと言ったら語弊があるかな。鉱物みたいな、無機物は作れないよ」
「……そうか。便利なような、中途半端のような、使えないような……」
「今、聞き捨てならない言葉を言われた気がするんだけど」
怒らせたのかと思い謝ろうとしたが、レギナはくすりと笑っていて、全く気にしていないようだった。
「ところで、今日はどうしようか」
「そうだな……人気のないところで、禁術の練習をするか……」
「<蘇生の術式>の方かい?」
「……優先事項はそうなる」
できればレギナも側にいてほしい。禁術の勝手はよくわからない。
「……レギナは待機していてほしい。また失敗した魔法で誰かを巻き込むようなことはしたくない」
「そっか。わかった」
「……」
本心半分、偽り半分だ。極力、二人きりになるのは避けたい。
「昨日さ。食事に出た時に気がついたんだけど、ここから南側にまっすぐ言ったところにちょっとした森があって、奥に小さな洞穴があったんだよね。天井が吹き抜けていたから焚き火もできそうだし、誰かがキャンプをするにはちょうどいいんじゃないかな?」
「……キャンプ? 第二の宿泊場所ということか?」
「ほら、君には隠さなきゃいけない人がいるだろう?」
「……」
そうか。アレスとナヴィを蘇生させたら、そこに監禁できるのか。
「行ってみる」
「うん」
その後も何気ない会話を交わしながら民家の方に行き、フォチュアにも朝の挨拶をした。フォチュアはやたらと声が明るかった。見事に魔法は解けていない。
朝食が出来上がった頃には、リーリィもぼんやり起きてきた。
「お兄ちゃんたち、今日は何するの?」
何故か、開口一番に予定を聞かれる。
「フォチュアを元に戻すための研究だ。南の森の奥の洞穴に行く」
そう言った瞬間、レギナがちらっと俺を見た。
「……すまない嘘だ。南の森の奥の洞穴には行かない」
「ふーん」
危ないところだった。秘密の隠し場所を暴露してどうする。
レギナの「もう遅いよ」というため息交じりの小声が聞こえた気がした。
遅いか。なら諦めよう。
「わたしもついて行っていい?」
「……ダメだ。魔法に巻き込まれたら危険だ」
「むぅ。残念」
「……森に帰る予定ではなかったのか」
「面白そうだから、予定変更!」
「……そうか」
拒否する。リーリィは三回ほど「お願い!」と粘っていたが、意外とすんなり諦めた。
朝食のメニューはキャベツスープ、にんじんのグラッセ、麦パンだった。
昨日と同じく、レギナは散歩という名の食事に出て行く。
「じゃあ、リーリィも帰るから」
ばいばい、とドライアドの少女も森の方に戻って行った。
「……そういえば」
フォチュアと二人きりになり、俺から話題を切り出す。
「リーリィとフォチュアは同い年と聞いた」
「ええ、そうよ。リーリィは昔から変わらないのよね」
「……リーリィはあまり大人っぽくないな」
「そうねぇ。他のドライアドたちに比べると、少し小さい気はするけれど……あれがリーリィなのよね。あどけないところが可愛いのよ」
「……」
確かに、森の中で見たドライアドたちに比べると、リーリィは幼すぎるように思える。他のドライアドたちは百年、千年単位の時を生きているのかもしれないが。比べる規模が大きすぎて、どうもぴんとこない。
「……リーリィとフォチュアはどうやって出会った」
「確か、私が十二歳の時だったかしら。ポリドンが村にやってきた頃合いね。怪我をしている彼女を納屋に匿って、手当てをしたの。それからたまに会うようになったのよね。リーリィが堂々と村に出入りできるようになったのは、二十年前ほどよ」
「……そうか」
「なあにー? 何か気になることでもあったかしら?」
「……いや」
……何か、妙な違和感を感じたが……気のせいだろうと思って流した。
***
さて。魔法の練習の時間だ。
レギナが指定した森に移動したところ、確かに洞穴があった。入り口は縦二メートルほどで、中に入って天井を見上げると、小窓のように穴が空いていて、日の光が差し込んでいた。
「……秘密基地としては最適だな」
俺は洞穴の外に出て、準備運動のごとく腕を回しながら、「<周囲・察知>」を唱えた。周りに誰もいないか確認するためだ。
「……」
魔物と思わしき気配。この影は……リーリィか?
「……」
森に帰るといっていたが、後をつけてきたのか。
「……<魔法障壁=我・尺・十>」
半径五フィート(*五メートル弱)ほどの魔法障壁が俺を囲んだ。これで失敗した魔法がリーリィに飛んで行くことはない。
「……<反復魔法=魔法障壁・尺・二十>」
俺を囲む<反復魔法>からさらに半径五フィート分拡大。入れ子状に二重の結界を張る。
<察知>で見えるリーリィの影が驚いたように体を動かしたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……」
一回目の<魔法障壁>は、失敗した魔力が外に飛ばないようにするための防御壁。
二回目に張ったのは、外部からリーリィに魔法が干渉できないようにするものだ。
……リーリィはよく俺の前に現れる。最初は子供の気まぐれだと思い気にならなかったが、本当は誰かとこまめに連絡を取りながら、監視役を担っているのではないか。
森の主はリーリィの存在を気に留めていないようだった。
だが、もしあのやりとりが演技だとしたら?
……魔物にとって、名前を名乗ることは敬意の証となる。そうレギナは言っていたから、俺の考えすぎかもしれないが。それに俺を見張る必要があるなら、レギナのことも見張らなければならない。
でもあの動揺の仕方を見ると、リーリィは誰かと交信をしていた可能性がある。特定の風魔法、例えば<精神感作>を使えば、遠いところにいる人と声のやりとりをすることは可能だ。
「……」
目的は余所者の監視。単なる好奇心。あるいは、禁術を盗むのが目的か。
「……」
まあ、俺が場所を漏らしてしまったのだから、仕方がない。逆に、フォチュアや他の人の目がないのは好都合だ。いざとなれば、魔法障壁を<変性の術式>で性質を変えて、物理的に閉じ込めてから、捕まえればいい。
動きがあってから対処しても間に合うと判断して、俺もあえて気にしないことにした。




