閑話休題 その頃のパルーバ(中編)
「ゼロくんが最後にギルドに来た日に、誰か連れ添いはいませんでしたか?」
「連れ添い?」
「ワタシたちが保護した少女です。桃色の瞳が特徴的な」
「ふむ……? 保護したとは?」
「レギナ・スライムが逃げた直後、魔物に怯えて助けを求めて来たのです。年は、そうですね、十六歳に至るか至らないかくらいでしょうか」
「その子供の気になる点とは?」
「下手に探るのも可哀想と思い、事情は尋ねませんでしたが。あまり見ない出で立ちだったので、もしや、今回の騒動と何か関係があるのかもしれないと」
マシューが驚いた顔をする。院長が人を売るような真似をするとは、思っていなかったのだ。
「……ノース先生、何故それをすぐに仰らなかったのですか?」
「当然のことだったからです。ワタシは神に仕える身として、救いを求める者を助けることが責務だと考えています。彼女がどんな出で立ちであれ、同じ命を持つ存在であることに変わりありません」
「その少女が悪人だとしたらどうするおつもりですか」
「この世に真の意味で悪人は存在しませんよ。悪人を定義するのは、人のエゴにすぎないことです。もしその者が悪人と呼ばれるのなら、誰かが悪人である理由を知り、正義を教え、正しい道を歩ませるべきではないですか」
「先生の高尚なお心内を聞けるのはありがたいことですが……ノース先生、いい加減、ストレートに言っていただけませんか? ゼロ・ウラウスはその怪しい少女の協力者であり、今回の騒動に関わっていた可能性があると」
「二人が被害者である可能性はないのですか?」
「それはありませんね。こっちはゼロ・ウラウスが変わった少女を連れていたことを把握しております。その子供が、ここの受付嬢に妙な術をかけたことも」
「妙な術?」
「まさか怠惰な受付嬢が、元々勇者業を営んでいたとは気がつかなかったのでしょう。術から解放された後、彼女は『何かかけられた』と申し出ました。魔力の痕跡を調べたところ、洗脳の禁術が使われた可能性があるのです」
「……何の洗脳ですか?」
「孤児院の周囲に魔物が出たため、ダウジングで危険な魔物がいないか調べてほしいと」
「……内容自体はワタシが頼んだことです。しかし、何故わざわざ洗脳をする必要があるのでしょう?」
「目撃した魔物がレギナ・スライムとは限らないと言ったら、ゼロ・ウラウスは抗議して来たのですよ。有料でなら引き受けると申したにも関わらず、連れ添いの持つ洗脳の術式で強引に押し切ったと考えるのが妥当でしょう。金銭の支払いを躊躇った、これは盗人の所業にも等しいことです」
「……」
「……法に関することは我々の仕事ではありませんので、一連の尋問は警軍にお願いしたいところですが……私はノース先生が思慮深いお方であると信じております。こちらも『パルーバ孤児院は関わりはない』として、ゼロ・ウラウスとその連れ添いの少女の件は不問にするつもりでしたが……事実を隠されていたとなれば、話は別です」
「何よ偉そうに! 話を隠していたのはそっちでしょう!!」
再びマシューが声を荒げる。ノースがそれを手で制した。
「ノース先生、まだ何か隠しておりませんか? 禁術を使える少女を匿った事実を隠蔽していたこと、ゼロ・ウラウスをかばうこと、それを一切に否定すれば、我々の監視の下に置かれることはありません」
「……」
くつくつと、部屋に小さな笑い声が響いた。ギルド所長は怪訝そうな顔をする。マシューは不安そうに首を傾げる。笑っていたのは、ノース院長だ。
「何がおかしいのですか」ギルド所長は目を点にして、ノース院長の小刻みに震える様子を眺める。
「いえ、分かったのですよ、ゼロくんが何をしたかったのか。あまりの嬉しさに感動してしまいまして。彼はやはり、素晴らしい子です……ああ、今度は涙が出て来てしまいました」
失礼、とノース院長はハンカチを取り出し、目元を拭く。
「……先生は、今自分がどういう立場にいるかお分かりですか?」
「ええ、もちろんですよ。ですがワタシは把握している事実を述べたまでです。見知らぬ少女を匿ったことも、間違っていたとは思いません。もちろんゼロくんも」
「悪足掻きか?」と言わんばかりの顔をするギルド所長に、ノースは嬉々とした声色で言葉を続けた。
「ギルド所長。ゼロくんは、この街を救ったんですよ」
「何?」
「つまりゼロくんが魔物のダウジングを依頼したから、パルーバは被害を出さずに済んだのではないですか」
「……」
「ゼロくんの本心や、禁術を使う少女の企みについては、ワタシにも分かり兼ねます。ですがワタシは、ゼロくんは人を救うために動いたのだと思えるのです。身元のわからない少女を助けたのも、ダウジングの依頼をするために禁術を使ったのも、助けを求められたから、あるいは人を助けたかったから。全て、ゼロくんが人に手を差し伸べた結果です」
「……」
「所長の仰る通り、あの少女はもしかしたら悪魔の化身だったのかもしれませんね。でも少女は助けを求めていたのですよ、震えながら、ゼロくんに。だから彼は、彼女を救う事を選んだのでしょう。彼女の本質を問わず。まるで聖人のようではないですか」
「詭弁だ。謎の少女と孤児院育ちの青年が街を救った? なら魔物が大量発生した容疑者に、他に誰が心当たりになるというのですか」
「ならば魔物たちが忽然と消えた理由にも、他に考えられることはあるのですか? ワタシは、ゼロくんや勇者たちが命がけで何かやってくれたのではないかと思いますよ」
「ぐ……」
「ワタシはゼロくんを信じます。彼が誰よりも美しい心を持った、この街の英雄であると」
「……ギルド所長である私が、勇者でもない新人冒険者を英雄と呼べるはずが、」
「それもまた珍しいことではないでしょう。人は人に支えられて生きているものです。孤児でも、老婆でも、ギルド所長として街を守るあなたももちろん。名もなき英雄はこの世にごまんといます」
「……」
ギルド所長はうなる。苛立つように頭を抱えるのは呆れている様子にも見えるが、論破できる言葉が浮かばず、悶々としているようにも見えた。
「所長。そろそろ子供達に夕食を作らなくてはならない時間なので、お暇させていただいてもよろしいですか?」
ノース院長の言葉に、ギルド所長はしばしの沈黙を経てから、ため息をつく。
「……ノース先生には敵いませんな」
「ギルド所長がこの度の事件のことで追い詰められていることは承知しています。調査も難航しているのでしょうね。明日、聖水を作ってお送りいたしますよ。他にも力添えになれることがあれば、何なりと申してください」
二人のやりとりを呆気にとられた顔で見ていたマシューは、「帰りましょう、マシュー」というノース院長の声を聞いてハッと我に返り、慌てて立ち上がった。
「ギルド所長と職員の方々に太陽神の祝福を。どうかあまり無理をなさらずに」
そう言い残して、ノース院長はマシューと共に所長室を抜け、居眠りをしている受付嬢の後ろを通り過ぎ、ギルドの外へ出た。
「……ああ、日が暮れてきていますね。急ぎましょう」
「院長」
マシューの声に、院長は振り返る。
「子供たちがお腹をすかせて待っています」
「……」
今は何も聞いてはなりません。
という合図だと捉えたマシューは、黙って早足に進む院長の後を追いかけた。
「(……ゼロ)」
ゼロが行方不明になったという知らせを聞いてからだ。
マシューの中で、彼の背中を見送った時の情景が、何度もリピートしている。「行ってくる」と、最後に聞いた声が、耳の奥でこだまのように響いている。
「(どうして、何で……何で、何も言ってくれなかったの?)」
生きているのか、死んでいるのか。それさえも定かではない。
ただ、ギルド所長とノース院長が考えているように、ゼロは何かを知っていたのだろう。あの少女も、ゼロと何か関係があったのかもしれない。
街外れの上り坂。登る途中でふと、遠くに沈む太陽を見た。
マシューはそれを見てふと立ち止まり、懐から魔法水晶のついた指輪を取り出した。人差し指に嵌めて、祈印を描く。
「……<我が導となる神よ、祈りに耳を傾けたもう>……どうかゼロを、お救いください」
祈印からキラリとこぼれた光が風に乗り、太陽に向かって飛んで行った。




