疑心暗鬼
「村の長老への挨拶はぼくがしたし、君は明日でもいいよ。了承もしてもらっているから」とレギナ・スライムは言う。俺は森の中に入り、森の主とやらの元へ向かった。
……魔物たちの好奇の視線を感じるが、敵意は感じない。
この世は弱肉強食。食物連鎖によって魔物と人間は敵対する。だがここの森がラフルメの村と協定を結んでいるため、人間は襲わない方針らしい。
おそらく逆も然りだ。村もこの森の魔物は襲わないようにしているのだろう。
「……あ! 魔物のお姉ちゃんと半分ヒトのお兄ちゃん!」
道中、ひょいとリーリィが姿を現した。
「お兄ちゃん、わたしドジしたね。フォチュアの家の毛布、持ってきちゃったの」
リーリィはマントのようにそれを羽織っていたが、俺の目を見て「あ、そっか」とそれを体に巻きつけた。
「ヌシ様のところに行くの?」
「うん。しばらくお世話になるからね」と、レギナ・スライムが答える。
「道わかる?」
「気配で何処に誰がいるかは、大体察せるよ」
「じゃあ道案内はいらないね」
「うん。大丈夫そうだよ。ありがとう」
だがリーリィはひょこひょこと俺の後ろに移動し、ついてくる。道案内まではしないが、同伴するつもりらしい。
「……」
チラチラ見ながら歩くと、リーリィは「はれ?」と首を傾げた。
「どうしたのお兄ちゃん」
「……俺が半魔だといつ気がついた」
「森で見つけた時からだよ。ニンゲン以外の匂いがするから、普通のニンゲンじゃないなって」
「……魔物は察しが早いな」
「お兄ちゃんは魔物なの? ニンゲンなの?」
「薄々人間らしくない人間だと思いつつ、人間だと思い込んで人間と一緒に育ってきた」
「はへー。ニンゲンもわかるヒトはわかるみたいだから、殺されなくてよかったね」
「……」
アレスが俺を殺そうとしたことを思い出す。
半魔は差別の対象だ。俺のように、見た目は普通の人間であれば生活に溶け込めるが、動物の耳や角といった、身体に人外の特徴が現れる場合は争いの原因になることもある。
とはいえ、魔物の血が入った人間は、普通の人間より魔法適性が高い。実力主義が全ての冒険者であれば受け入れ口が広く、ギルドにも半魔のワークランカーがいるくらいだ。
以前、『国は魔物の問題をギルドに任せきり』という話題があったが。ギルドが国の支配下から離れており、魔物の討伐を任されることがあるのは、ギルドにそういった独立性があり、国と対立できるほどの力(武力的にも財力的にも)を持っていることが要因でもある。
……。ああ、なるほど。そういうことか。
少し自己解決。魔物が必ずしも魔王に従わない義理は、ここにあるのかもしれない。半魔は人間に味方することがあり得るのだ。
ぼんやり何かを考えたり、リーリィと取り留めもない話をしているうちに、やたらと広い場所に出た。
大樹が円を描くように立ち並び、木の上にドライアドがたくさんいる。
『……おお。其方が次なる魔王か』
荘厳な女性の声がして、あたりを見渡す。
『こっちだ』
「……こっちとはどっちだ」
『ふむ。気配を察するの魔法の精度が低いようだな。貴殿の立ち位置より西南の方向ぞ』
「……。どっちが西でどっちが南だ? 手元にコンパスがない」
「右斜め後ろだよ」と、レギナ・スライムの呆れたような補足が入り、ようやく俺は森の主の姿を目で捉えた。
森の主は褐色肌の女の巨人だった。五、六メートルはゆうに超えるだろう。こんな大きな存在に気がつかなかった自分に驚きだ。思わず尻餅をついてしまった。
『この魔王は随分と箱入りに育ったようだのお。我の姿を見て腰を抜かすとは』
「……これが”灯台下暗し”という奴か」
「それって、灯台下にいるから見つけにくい、という意味じゃなかったっけ?」
レギナ・スライムのツッコミに、女巨人は『ほほほほ!』と高笑いする。
『少し抜けているところも良いのぉ。可愛い魔王ではないか。ほほほほほ』
「……」
マウント発言と判断。俺の苦手なタイプだ。
「初めまして、ラフメラの森の主、グランデリ。ぼくはレシーナだ」
『初お目にかかるぞ、スライムの女王』
レギナ・スライムは腰に両手を当て、堂々と名乗っていた。
「……」
今思ったのだが、俺とレギナ・スライムは互いに自己紹介を交わしていない気がする。
いや、名前は彼女の詠唱から何となく把握はしていたが。
しかも俺は無意識のうちに「レギナ」と呼んでいたような。何故彼女は突っ込まなかったのか。
「君も名前を言っておくんだ」
「あ、ああ……初めましてグランデリ、さん。俺はゼロ・ウラウスです」
『我に敬称は不要。魔王は堂々としてしかるべきぞ』
「……了解、グラ」
「いや急な略称はちょっと気軽すぎるから」レギナ・スライムが俺の脇腹を軽く叩く。
「グランデリ、この魔王はまだ魔物の感性に慣れていなくてね。多少変なこというかもしれないけど、大目に見て欲しい」
『相分かった。名乗る際にフルネームを語ってしまう時点で、産毛な証拠よ』
……魔物界ではフルネームを語ると失礼なのか?
どうも、魔物たちの間で名前のやりとりに関する認識は特殊らしい。レギナが俺からの呼称に何も言わないことと、関係があるのだろうか。
……文化の違いについていけない。
「あの、ヌシ様、」
俺の後ろから声がする。そう言えばリーリィの存在を忘れていた。
「わたしもここにいてもいいですか?」
『名を申せ』
「リーリィ」
『いいだろう。構わん』
「……今、何を基準に許したんだ」
解説を求めてレギナをみると、「あとで説明するよ」と返された。
「で、グランデリ。本題なんだけど……」
俺がレギナ・スライムの計らいで魔王を継承したこと。俺たちが他の魔王の子に追われていること。パルーバの街近くのフィールドで大規模な移動魔法を使ったこと。ラフメラの村長にも事情を伝えていること。俺は終始黙っていたが、サーモンピンクの魔物の少女はスラスラと事の流れを説明した。
『然して、レシーナよ。其方らはいかにして我らに利をもたらす?』
「今までと変わらない平穏を。先代は歴代の魔王に比べて平和主義だった。けれど、どんな支配者であれ、その意見に不満を持ち反対する奴が出てくるからね。彼以外の後継者は、先代の方針に反対していたんだ」
『彼の者以外のアンティフォドスの息子たちは、どのような征服欲を心得ている?』
「どちらも自己中心的で好戦的だよ。片方はまあ、ただの白痴者だからマシだけど……どちらにしても、魔物と人類が対立して、大戦争の種になるだろうね」
『……ふむ』
レギナ・スライムの話だと、俺の兄弟は最低二人いるということか。
彼女は先代寄りの意見を持っているからこそ、その二人の王子に魔王紋を託す気がなかったのだろう。だから俺を選んだ。
……無茶を言われているような気もした。俺は先代の魔王とは違う。魔物の価値観も倫理観もよくわかっていない。
……俺には期待をかけているのかもしれないが、もし俺を見限ったら?
レギナ・スライムが俺を見捨てる可能性がないと、信じられるのだろうか?
『血統が関係ないなら、ぼくが魔王になっていたね』と、彼女はそう言っていた。
その言葉に、あの約束の真意を繋ぐ。
「(……まさか……)」
魔王になる条件には、血統が関係する。
……今更だが、俺の身の危険性を把握して、身震いした。
レギナ・スライムからすれば……。
俺の子種を手に入れれば、俺が魔王でなくてもいいのだ。
俺の血を引く子供ができてしまえば、俺を殺して、魔法紋を継承させることができる。
……俺を誘惑した時の妖艶な姿。交わした口づけの甘美さ。
冷や汗が頬を伝う。浮かれていた時の気持ちが嘘のようだった。
……いや、これは最悪の想定であって、確定事項ではない。
だが倫理観が普通ではない彼女のことだ。
今は俺が調子づき、素直に受け入れているから温厚なだけで。
俺が約束を反故にしたら、強引に関係を作ろうとするかもしれない。
「ぼくらからの要望は二つだ。ぼくと彼をラフルメ一帯で匿ってくれること。追手が現れたら一緒に戦ってくれることだ」
『ならばこちらの要望も飲んでもらう。追手との闘いに村や森に被害を出さないこと。滞在する際にも、我らラフルメの地を荒らさないことだ』
「わかった。ゼロ、君もそれでいいよね?」
「……え? あ、ああ……」
「ちゃんと話聞いてた?」
「……俺は最強の二つ名に賭けて全力を尽くす」
「うん? ……自分の立場を自覚しているなら、良いけどさ」
「見捨てるとなったら容赦はしない」
「……やっぱり聞いてなかったね?」レギナの呆れたような、冷ややかな目。
『容赦はしない、とは? それは我らへの脅しか?』
「……グラへ言ったわけではない」
『ほう?』
「これは俺自身への戒めだ」
判断は俺に任せるとは言ってはいるが、実質の“魔王”の主導権はレギナが握っている。魔王としての味方は今、レギナ・スライムしかいないのだ。意見の不一致で対立しても力技でねじ伏せることはできるだろうが、後先考えずに行動するわけにはいかない。
彼女を完全に信用するべきではないが、今反発するのは危険だ。
……従順なふりをしつつ、万が一彼女と戦うことになったための対抗策は、しっかり練って置かなければならない。
『……ほほほほ!』と、女巨人が高らかに笑った。
『その威勢はあっぱれぞ! 若き魔王よ、我らラフルメの地にもたらす利に、期待しているぞ』
「……」
さて。どうしたものか。
「……このお兄ちゃん魔王だったんだ……」
リーリィが、大きな目をさらに丸くして、俺をじっと見ていた。




