幼馴染のシスター
魔物の耳を一袋にまとめたものと、バラバラになった骨を<手持ち倉庫>に入れ、俺は軽い足取りで拠点としている街、パルーバに戻った。夕方の買い出しに向かう街人たちの間をすり抜けて、ギルドに向かう。
達成申告窓口では、淡い赤毛を肩まで伸ばした受付嬢が、気だるそうに頬杖をついていた。
「依頼の達成を報告をしに来た」
単刀直入に声をかけると、「ふぁーい」と呑気な返事がくる。
「名前は?」
「ゼロ・ウラウス」
「ソロパの人?」
「アレス・ディスクとナヴィア・オーディラーのパーティに所属している」
「あの人のとこかー……ふぁーい」
魔物の耳の入った袋をカウンターに置くと、それを受付嬢が奥の事務処理をしている片眼鏡の男の所へ持っていく。緑のエンブレムを胸につけているあの人は、鑑定士だ。
「えーとぉ、グラドウルフの討伐ということで確認しましたー。貴方の報酬はこれですぅー」
ちゃらりと銀貨七枚と銅貨二枚が返された。七千と二百ダリス。思ったより少ない。
「勇者たちは後日取りに来るということでいいですねー?」
俺は「ああ」と生返事をして、習慣的に自分の懐から"冒険者の証"であるペンタンドを差し出す。受付嬢がそれに、赤い丸石に持ち手を取り付けたようなスタンプをかざすと、ペンタンドの前に赤色の魔法陣が浮かび上がった。
「"冒険者の証"に依頼終了と記録しましたー。手続きはこれで終わりー」
魔法陣はペンタンドに吸い込まれるように消えた。このペンタンドには魔法の"色"が入っている。専用の石で中の魔力を引き出すと、持ち主の経験や実力を示すことができるという、大事な身分証明だ。
「他に鑑定するものとかありますかぁー? 別料金ですけどぉー」
「大丈夫だ」
伸びた返事を待たずに、受付から背を向けた。
……七千二百ダリス。食うには三日が限界か。
いや、食うものよりも、折れた穴あけピックを新調しなければ。帰ったら集めたものを床に広げて、早速魔道具作りに取り掛かろう。
「夕飯はパン一つでいいか」と思い、噴水広場にあるパン屋に向かって足を進めた。あそこのクッペパンは美味しい。硬くてばさばさしているが、噛めば噛むほど味が出る。
……という夜の計画は、ばったり出くわした修道女によって崩壊する。
「ゼローーーー!」
小通りを抜けて噴水広場に辿り着いた瞬間だった。黒い頭巾をはためかせ、駆け寄ってくる女はよく知っている顔だった。
「……ああ、マシューか……」
「あら、げんなりした顔ね。酷いこと」
正直、今日ほど心浮き立つ日には会いたくなかった。
肩で息をしているこの修道者はシスター・マシュリー。俺と同じ孤児院で育った同士。言わば幼馴染だ。今はシスターとして孤児院の子供の世話をしている。大人っぽい雰囲気を纏っているが、俺より一つ年下だ。
「……ゼロ、なんだか、また痩せている気がするわね。ちゃんと食べているの?」
凛とした声を出しながら、シスター・マシュリーは俺の体をじろじろと眺める。
「……食べているが」
「嘘ね。だったらそんな死にそうな顔をしているわけがないじゃない」
「……死にそうな顔は元からだ……」
実際、孤児院にいた頃は色白さと真っ黒な瞳のせいで「死体くん」とか「幸薄少年」とか不名誉なあだ名をよくつけられていた。主にマシューから。
「また何かに夢中で不摂生してるんじゃないの? ねえ?」
「……」
「図星ね……仕方がないわ。教会で神様に祈っていきなさいよ。私からも少し恵んであげるから、感謝して頂戴」
神様の扱いが軽い気がする。そして何故、感謝を請求する。
……まあ、こんな感じに。マシューはかなりお節介焼きな節があるのだ。
「いや、そんな施しを受けるのはちょっと……」
急いでるので丁重にお断りしようとしたところ、マシューがぎろっと俺を睨んだ。俺は蛇に睨まれたカエルの気持ちになり、口を閉じて縮こまってしまう。
「あのね……あんたはパルーバ孤児院の子供なのよ! もしゼロの身に何か起きたら、院長も心配しちゃうでしょ? たまにはご飯でも一緒に食べて、自分の活躍を報告しに来なさい」
「今日の夕飯は何の予定?」
「え? シチューだけれど……」
「ならお言葉に甘えて」
「変わり身が早いわね!?」
食い物に吊られた。マシューはともかく、院長が作ってくれるシチューはうまい。
「マシューの言う通りだ。今日はご相伴に預かろう」
「……はぁ」
マシューから「相変わらずのマイペース」と言われた。
「まあ……いいけれど。誘ったのは私だものね。ついでだから、荷物持つの手伝ってくれる?」
「わかった」
マシューが抱えているのは、木の棒に巻かれた紡ぎ糸だった。修道院では十三歳を超えると内職をするのだ。服を裁縫したり、籠を編んだり、綿花から糸を作ったり。男は外で畑仕事をしたり、荷物運びに駆り出されたりするが。
「内職は女の仕事」とも言われるが、気が向いたら俺も手伝っていた。特に裁縫は学んでおいてよかったと思う。
マシューが馴染みの雑貨屋だと言う店に糸を卸した後、対価として貰った金で麦を含む雑穀と新鮮なミルクを買った。明日の朝食に使うらしい。俺もミルクの雑穀粥が恋しくて、「折角だから一晩泊まろうかな」とも思ったが。本来は孤児院の子供の分だ。晩飯ついでに朝食も……というのはさすがに大人気ない気がして、やめた。
樽一杯のミルクを運ぶのは面倒だから、<手持ち倉庫>の中に入れた。鞄も何も持たない身軽な俺を見て、「すごいわね」とマシューが感嘆の声を上げた。
「その<手持ち倉庫>っていう魔法、やっぱり便利すぎるわ。私も覚えたい」
「<手持ち倉庫>にも欠点はある。魔力切れを起こせば出し入れができなくなるからな。それを恐れて、必需品や薬は普通の背嚢に入れる冒険者も多い」
「確かに、手負ってから薬が取り出せないのは絶望的ね。その<手持ち倉庫>を使えるだけの魔力って、どのくらいなの?」
「単位として三十マナと言われるな。イメージとしては、初級の炎魔法を丸一日出しっぱなしにするくらいか」
マナは魔法を使うための素だ。それを動かす力を魔力という。マナは常に空気に溶け込んでいて、人はそれを元に魔法を発動する。マナは目に見えないが、偉い人が計算してくれたおかげで"魔法を発動するのにどのくらいマナが必要か"というのは、おおよその基準が定められている。
例えば、焚き火をするのに必要な初級の炎魔法は約三マナだ。
人の運動能力を飛躍的に上昇させる<身体強化>は約五マナ。
ナヴィが使っていた<周波・発破>は約十五マナだ。ただし、あれはかなり広範囲に使っていたから、実質はその二倍くらいかと思う。
「初級の炎魔法が丸一日……すぐ魔力切れして倒れてしまうわ。子供たちの面倒をみるどころじゃないかも」
「最初は、魔法師が分厚い魔導書を持ち歩くために生まれた魔法らしい。だから専門家ために特化していて、コストパフォーマンスが良くないんだろう」
炎魔法は簡単に火を起こし、水魔法は水瓶を運ぶ手間を減らす。風魔法は家の塵埃を一気に払い、土魔法は固い物を加工するのに便利だ。
魔法はこうして日常生活を彩る。だから簡単なものなら覚えようとする人は多いが、魔法師になるなら話は別だ。より多種多様で複雑な魔法が使えるようにならないといけない。
「ゼロも魔導書持ってるの?」
「数冊は。今は全然読んでないけど」
「読んでないの!?」
「魔法はいつも感覚で使ってるからな」
魔法を使うにはセンスがいるという。炎を形として生み出すまでに、ある程度の鍛錬と理論の補助が必要なのは確かだ。
しかし魔法に慣れてくると、だんだん無意識に使えるようになってくる。歌う時に歌詞がすんなり出てくるように。そうなると、他の魔法も少し捻れば、応用が効くのだ。
俺は小さい頃から魔法に興味があって、練習を繰り返していた。それは修行というより、一人遊びだ。
<手持ち倉庫>しかり、<身体強化>しかり。便利さばかりを求めていたら、いつのまにか色んな魔法が使えるようになっていた。
ただ、求めたのはあくまでも、日常生活の範囲だ。攻撃魔法といった強力なものまでは覚えられなかった。魔法を兵器として使うレベルになるには、また違ったセンスが必要になる。
強大な魔力を使って、マナを大量動員すれば力技で発動できるが、現実的ではない。使う魔力が大きければ、それだけ体への負担も大きい。寿命を縮めるようなものだ。
だから実際は、"魔力を最小限にして強い魔法を発動する"のが必要だが、それを独学で身につけるのは難しい。専門の学校に入った方が手っ取り早かったりする。
「昔から、ゼロは変わっていたわよね。部屋の隅っこでずーっと本を読んでるか、庭で魔法の練習しているか。遊ぼうと誘ってもいつのまにかいなくなっているし。『もっと協調性を持ちましょう』って、院長にも言われていたじゃない」
「……」
「まあ、ゼロが突然フレンドリーになったら気持ち悪いけれど」
「……気持ち悪いのか?」
「ええもちろんよ」
即答か。
「俺は、これでも少しは協調性を持とうと頑張っているつもりだ。所属しているパーティでは、あらゆる雑用を文句ひとつ言わずにこなしている」
「……それ、"こき使われてる"の間違いじゃないの?」
「俺はまだ冒険者として新米なんだ。しかも俺の面倒を見てくれているのは勇者でもある」
「そう」
「だから多少の不利は仕方がないし、取り分が少ないのも当然だ。アレスもそのうち俺の頑張りを認めてくれると、信じている」
「……そうね、何というか、ゼロって……おめでたい人よね……」
「何がおめでたいんだ?」
マシューは俺の努力を認めてくれているということだろうか。冒険者として歩みだした俺のことを祝福してくれているような気がして、少し嬉しくなった。
そんな世間話をしている間に、街の郊外に出た。この辺りであればまだ魔物は出ない。
はずなんだが。
「ひっ……!」
マシューが道端に落ちているものを見て、さぁっと顔を青くした。
「ぜ、ゼロ、あああああれって……!」
「……魔物だな」
路上のど真ん中に、べちゃりと張り付いた粘体生物。どう見てもスライムだった。