旅の始まり
俺が散々魔法を使ったことで、その魔力を察知したらしい。召喚された魔物たちは俺たちを追ってくるようだった。
狙いは間違いなく俺だ。だが正確な位置までは気がつかれていない。俺とレギナ・スライムは慎重に辺りを見渡しながら、フィールドを走ったり、止まったりを繰り返していた。
「移動の術式を使って、できるだけこの街から離れよう」と、レギナ・スライムが言う。
「何処に行けばいい?」
「普通は移動座標を指定して飛ぶんだけど……やったことないよね?」
「やったことがないな」
「せめて地図が手元にあればぼくが指定できるけど……あー、失敗した。街で手に入れておけばよかった」
レギナ・スライムが小さな舌打ちをする。
「……ところで。気になることがあるんだが」
「今度は何だい?」
「あの大量の魔物がパルーバの街に行くことはないのか?」
「行くかもしれないけど、魔物たちは実質、君狙いだからね。人質をとるつもりがなければ大丈夫だと思うよ」
「……」
マシューの顔が頭に浮かぶ。院長も、孤児院の子供達も危ない。
「俺を狙っているやつは、お前を追っかけてきていた奴だな」
「たぶんね」
「高位の魔物を大量召喚できる上で、地の魔力が低い奴に心当たりはあるか」
「……ないことはないかな。でも本当にそいつであれば、街は大丈夫だと思うよ。人質を取るなんて姑息なことはしないと思う」
「……なら大丈夫か」
「憂さ晴らしに破壊することはあるかもしれないけど」
「何とかならないか。マシューたちを巻き込みたくない。助けてくれ」
「無茶振りを要求してくるね。無理だよぶっちゃけ。できるとしたら、奴らに君を見失わせないことだね。目標が何処にあるかわかっていれば、街を無視して追っかけてくるだろうからさ」
「……」
「ここでドンパチやってもいいけど、高位の魔物たちは大技を使ってくるし、あのうざい勇者たちよりずっと厄介だよ。君は人を半殺しにする加減もわからないんだし。いくら頑張っても、このあたり一帯は灰燼に帰すかもね。結局多くの人が死ぬよ」
「……」
「先代が失われたことで、今は強大な力を持つ魔物たちの統率が取れなくなっているんだ。ぼくのように君を魔王と認めている奴もいるけど、そうではない奴もいる」
「……後継者争いみたいだな」
「まあね。というか後継者争いだよ」
「……しがない落ちこぼれ魔法師が、魔物の国の王子様か……吟遊詩人に高く売れそうな物語だな」
「君の冒険譚はまだ何も始まっていないけど」
「それはそれっぽく考えればいい」
「適当すぎないかい?」
「妄想するのはタダだ。パルーバの街に被害を出すことなく魔物をやっつけて、波乱万丈の旅を経て魔王城に至る。後継者争いも何やかんやでおさまり、ハッピーエンド。後世にはこう語り継ごう」
「いやまず現実を見ようよ! というかこんな時に話をそらないで!」
レギナ・スライムはやれやれと言わんばかりに首を降り、「話を戻すけど」と前置きする。
「今召喚魔法を使っている奴は、ぼくと同じ立場の魔物だ。指揮をしている親玉は別にいる。そいつを何とかしないと、あの魔物たちもおさまってくれないよ」
「……その親玉が誰なのか、目星はついているのか」
「もちろん。君と同じ、魔王の血を引いている奴だ」
「……」
少しだけ、胸の奥が熱くなった気がする。本物の兄弟がいたという事実は朗報のようだった。
天涯孤独だったはずの俺にも家族がいる。
……だが状況が状況であり、素直に喜べない。
「……っ」
レギナ・スライムが前を向く。俺も釣られて視線を辿ると、空飛ぶ骸骨が行く先を塞いでいた。
「レイ・リッチだ」スライムが言う。
「魔法が得意な魔物だから気をつけて。アンデットタイプだから、物理技は効かないよ」
「あいつに有効な魔法は」
「手っ取り早いのは神聖魔法だけど」
「神聖魔法……」
ちらりと、院長から魔法を教わった時のことが浮かんだ。
……実戦に使えるものとは縁がなかったが、神聖魔法は俺の原点でもある。最も得意とする魔法だ。
俺は手持ち倉庫からあの壊れたロッドを取り出し、地面と垂直になるように構える。
「<我が神の名の下に、>」
……魔王が神聖魔法を使っていいのだろうか。と、取り止めもないことが浮かんだが、今はスルーする。
「<我が道の邪悪を払うために、聖なる力を授けたまえ>」
ロッドの先を右に左にと振りかぶり、祈印と呼ばれる特殊な軌道を描く。ちょうど簡略的かつ効率的にした、祈りの儀式のようなものだ。
「<光擊>」
軌道を描いた場所の空間が裂けて、さあっと光が漏れる。
すると、白い光線が一瞬でレイ・リッチを貫き、魔物をさらさらと砂のような消し炭にした。
「……一撃か」
「へえ。それが神聖魔法なんだ」
「魔物は使わないのか?」
「ぼくは聞いたことがないね。そもそも神聖魔法は人間が作ったものだろう? 魔物に染みついているのは、古代魔法を起源とした魔言語が主体だからね」
レギナ・スライムの言う通り、神聖魔法に使われるのは魔言語ではない。俺が唱えたのは祈り文句のようなもので(意味が全くないわけではないが)、実質の魔法として効力を示すのは祈印だ。
魔言語の詠唱に比べるとマナの燃費が悪く、やたらと大袈裟な動きをするため発動までに時間がかかる。その効率の悪さから“手持ち技”として冒険者の間で使われることは少ないが、この国では神術として非常に大事にされている魔法だ。
特に人間を元にして魔物が生まれる場合……アンデットと呼ばれる魔物だが……それを退けるためには、魔言語の魔法より神聖魔法の方が効果的とされる。
「……魔王は神聖魔法も使えるんだな」
「魔法の使い方が違うだけで、魔力でマナを操作していることには変わりないからね」
……。しかし。魔王は魔法に関しては何でもありのようだ。あの魔法紋が作り出す魔力は本当に底なしなのだろうか。
アレスたちと戦った時、神聖魔法を放った時。どれだけ魔法を使っても全く疲れない体。魔法を使う度に手応えと自信が出てきて、何でもできると言う実感が芽生えてくる。同時に、人間らしさを失ったかのような妙な恐ろしさを覚える。
「……実際のところ、俺は人間ではなく半魔だったからな」
「人も殺してるしね」
「……」
「どう? ゼロ。今なら移動の術式も使える気がする?」
「……座標指定は自信がないが、変なところに飛んでも対処できるような気がしてきた」
「その意気だ」
だが、俺だけ何処かに逃げるわけにはいかない。
まずは発生している大量の魔物をどうにかしなければ。
「……一つ思いついたことがある」
「うん?」
俺はレギナ・スライムと視線を合わせる。
「レギナ。俺とくっつけ」
「……ああ。一緒に飛ぶつもりだね」
すたすたと俺の後ろに回ったレギナ・スライムは、ぐっと体をくっつけるように、俺の腰に腕を回した。
「…………。胸が」
背中に双丘の厚みを感じる。
「これだと途中で離れる不安があるかな。ゲル状に戻って巻きついた方がいいかい?」
「離れたらすぐわかる。問題ない」
「そう」
背中の存在感に意識を奪われつつも、ロッドを俺の肩と平行に構え、魔言語を頭の中で組み立てる。
「<周囲・察知・然・移動の術式=>」
「え? <周囲・察知>?」
レギナ・スライムが不思議そうに問うが、詠唱中なので答えられない。
「<=方角・運命>……」
ぎゅっと背中にあるものの押し付けが強くなった。
大丈夫だ、何も怖がらなくていい。と、自分の中だけで答える。
「<其・天・其・土・其・海・故……>」
「……え、ちょっ、まさか君……!」
「我・周囲・世界の彼方へ」
「いくら何でも、それは魔力の使いすぎだ!」
「反復魔法・然・反復魔法・然・反復魔法・然・反復魔法・然・反復魔法……」
「さらに五回もやるの!?」
俺が何をしているかわかるだろうか。
こんなに大規模な<移動の術式>、過去に例がないだろう。流石に俺も覚えがないから、継ぎ接ぎの魔言語で形づくる、非効率的で下手くそな魔法しか発動できない。
探知の魔法で見つけた魔物を一体ずつ、空へ、大地へ、海へと、ランダムに飛ばす。俺の周りの存在を世界各地の、よりずっと離れた遠くへ。
……大雑把に訳すればそう言う魔法だ。
「君と言う奴は……! 本当に、本当に、後でどうなっても知らないよ!?」
数えたところ、辺りにいる召喚された高位の魔物は十八体だ。一回の魔法で三体飛ばせるから、同じ魔法を五回繰り返せばいい。
辺りの気配が消えて、魔力で漲っていたフィールドがすっきりしてきた。
ふと<周囲・察知>が数百メートル遠くに佇む、召喚の魔法師を察知する。
……なるほど。神殿を持ち運ぶ必要がないわけだ。
相手は魔法紋を持っている。俺と同じように。
「……<反復魔法=其・然・我等>」
次は、俺たち自身が飛ぶ番だ。街から離れた何処かへ。ぐにゃりと目の前の空間が歪んで、気がつけば空にいた。
「<飛行の術式=我・然・其>」
自由落下がふわりと止まり、俺とレギナ・スライムはゆるゆると地面に落ちた。
「……はあ、びっくりしたぁ……」
レギナ・スライムの声はまだ背中から聞こえる。
辺りはとても静かだった。苔の生えた木々が立ち並ぶ森林が広がっている。鳥の甲高い囀りが聞こえることから、辺りに危険はなさそうだ。
「ここは森の中? みたいだけど……ゼロ、ここは何処だい?」
「……。さあ……」
答えてすぐ、ぐらりと眩暈のようなふらつきがして、俺は意識を手放した。




