反撃
背中から腹部がずしりと重みを増した。何が起きたかわからなかった。
痺れのような感覚が手足に広がり、立ち上がれなくなる。
「……っ」
そうか、この痺れは失血によるものだ。背中から剣で刺されたのだとようやく気がついた。鋭い痛みが内臓を口まで押し出そうしていて、思わず嗚咽を漏らす。
「ナヴィ。こいつを焼け」
耳に届いた言葉に、さあっと肝が冷える。俺を生きたまま焼くつもりか。
「半魔の死体も放置するわけにはいかねぇからな。焼き殺しちまった方が一石二鳥だ」
ナヴィが詠唱を始めたのを視界の端に捉え、「俺も何か唱えなくては」と頭を巡らせる。
どんな魔法も使えるからと思い、油断していた。実戦経験は俺よりアレスの方が圧倒的に上なのだ。
頭の中で正確な詠唱を組み立てられずパニックになっている俺の耳に、
「<其・治癒>」
傷を癒す魔言語が届いて、ぷよんと体がピンク色のゼリーに包まれた。
同時に飛んできたナヴィの炎魔法が、ぷよぷよとしたものに触れて消失する。俺の背中にあった痛みも取り除かれた。
「自分から正体をばらすって……そんなのアリかい?」
レギナ・スライムの声だ。回復魔法で俺の傷を塞いだピンク色のゼリーは横に流れるように俺から離れ、人型に変身した。
「ぼくが間に合わなければ失血死していたかもね」
「……助かった」
「どういたしまして」
レギナ・スライムは俺とアレスたちを隔てるように立っていたが、俺が体勢を立て直した途端、俺を盾にするかのようにひらりと俺の後ろに飛んだ。
「……ゼロの言っていたレギナ・スライムだな。人に化けてのそのそ街に入りやがって」
「君がアレスだよね、初めまして。でも相手をするのはぼくじゃないよ」
どんと、レギナ・スライムが俺の背中を押した。
「ゼロ、今の君にとってこいつらは格下だ。三十秒で片付けてね」
「……」
片づけろと言われても。
「人は手持ち倉庫にはしまえない」
「君のボケに付き合っている時間もないんだ。殺しても構わないよ。あと始末はぼくが何とかするからさ」
「……」
「さあ、早く」
流石に人殺しまではしたくない。三十秒でケリをつけろと言われても、終着点がイメージできなかった。
「はっ。オレの動きにすらついていけない奴が、オレをどうするって?」
アレスは俺から一本とったことで自信を抱いたらしい。何処か余裕があるかのような、挑発的な笑みを浮かべていた。
「……レギナ・スライム。死んだ人を生き返らせることはできるか?」
「君が望むなら精進しよう」
「わかった。なら殺す」
「は?」
アレスが眉をひそめるのを目でしかとで捉えながら、俺は思いつく魔言語を口にした。
「炎の術式=其・周囲・業火」
俺の全身から生まれた炎が、アレスたちを取り囲む。
「うおっ!?」
「アレス様! くっ、<其・失・魔法>」
ナヴィが打ち消しの魔法を唱えるが、俺は「其・失・魔法・魔法失」で打ち消しの魔法を打ち消す。
「ぐ……」
ナヴィは「水の術式=周囲・其・失」と別の方法で炎をかき消そうとするが、俺は「其・増多・業火」でさらに火力を強め、放たれた水を蒸気にする。
「どけ、ナヴィ!!」
アレスが剣を振るい、その軌道が形となった<放刃>が俺に向かって飛んでくる。
「……変性の術式=空気・方角・我・前=土・壁」
俺の前にどんと壁が出現。しゃあっと土をえぐる音を立てて、放刃の勢いが緩まる。
次に「魔法失」でアレスの技を消し、「転写の術式・其・魔法・反方角=周囲・放刃」と唱え、アレスの得意技を三割増しにして返した。
「ぎゃあああああああ!!?」
炎の奥に赤い飛沫。「アレス様!!」という、珍しいナヴィの大声を聞いた。
「アレス様、アレス様、アレス様……あああ、ゼロ!! 貴様、良くも!!」
アレスは全身から血を滲ませて、すでに意識を失っている。
「反復魔法=其・周囲・放刃」
俺が短縮詠唱で同じ技の魔法を唱えると、ナヴィは目を見開いてばっとアレスに覆いかぶさった。
「……。すごい忠誠心だ」
今の魔法は、アレスのみを狙って放った。ナヴィは俺が口にした魔言語から、アレスを狙ったことに気がついたのだ。先のドラゴンの件で、俺を肉壁にしようとしたその思考回路も伊達ではなかったのかと。少しだけ思い直す。
ナヴィは悲鳴の一つも上げず、何枚もの放刃の餌食となった。
「三十秒経ったよ」
凛としたレギナ・スライムの声で、俺は己の臨戦体勢を崩した。
身動きひとつしない二つの死体が重なり合い、ちょうど業火に包まれて火葬されそうだ。
「……これでいいか?」
「やればできるじゃん」
レギナ・スライムが笑う。
「あとはぼくに任せて。こいつら消化して再合成するから」
「え」
耳を疑うような言葉が聞こえた気がする。
「待て。消化……食うのか?」
「今は敵に塩を送ってる場合じゃない。一旦全身を分解して、時間がある時に作り直すよ」
「……」
「というか、もう回復魔法をかけても無駄だからね。この二人は絶命している。でも今ぼくが食らえば、生き残った細胞からDNAを抽出して、後から新しい肉体を作ることはできるよ。それでいいだろう?」
……新しく作られたそれは、今のアレスとナヴィと同一人物なのだろうか?
「不満そうな顔だね。まさか、ぼくが蘇生魔法みたいな禁術も使えると思っていたのかい?」
「……使えないのか」
「使えないよ。どうしてもというなら、君が魔法を使いなよ。最も、生き返らせたらそれはそれで面倒だろうけどさ」
「……」
「どうするの?」
「……」
俺は燃え盛る炎を鎮めて、二つの死体を手持ち倉庫に入れた。




