不穏
今日の仕事の集合場所は、パルーバ街北側のフィールドの入り口だ。
彼らの分の報酬は昨日のうちに受け取っただろうと思っていたが。いや、それとも別の用事だろうか。少なくともここで二人に遭遇するとは思っていなかったため、面食らってしまった。
「……集合時間まではまだある」
「質問に答えろタコ。ここで何やってたんだと聞いてんだ」
「……私用だが」
「何の私用だ」
「……孤児院の近くで魔物が出た。その調査依頼だ」
「そうかよ」
聞いてきたのはアレスの方だが、返答に対していかにも迷惑そうな顔をされた。俺は何か間違ったことでも言っただろうか。
「オレは二日前に待ち合わせの時間を言ったよな? 十二時半に街の北口にいろと。あと十分で十二時半だぞ」
「……これから向かうところだが」
「だあほ! “十分前行動”ってのを知らねえのかてめぇは!! 予定時間より十分早く行くのが常識だろ!」
突然の大声に、ギルド内にいる人たちが「何事か」とアレスの方を振り返った。
アレスの声はやたらとよく通る。
「調査依頼だぁー? んなもん午前中のうちに終わらせろよ。こんなギリギリの時間にやる必要ねぇだろ」
「……依頼を受けてもらうのに時間がかかった」
「だから午前中に終わらせろって言ってんだよ! 二度も同じこと言わせんな!!」
「……アレスはギルドに何をしに来た? “十分前行動”はしないのか?」
「オレはてめぇと違って忙しいんだよ。さっさと行けノロマ」
どんと俺を押しのけて、アレスは依頼達成報告窓口に向かって行った。「いちいちウゼェな」という悪態を残して。
「……何あいつ。チンピラ? すごく感じ悪いね」
レギナ・スライムが不愉快そうにアレスの背中を睨む。
「あいつが勇者アレスだ。俺の所属するパーティのリーダーでもある」
「あれで勇者なの? ……ふぅん。聖人とは程遠そうだね」
「……この世に真の意味で聖人はいない」
別に、アレスも悪人ではないが。
……今日は一段と機嫌が悪そうだ。少し気が重い。
「……行けと言われたから、先に行こう」
同じ空間にいると息がつまる。さっさとギルドを後にして、街の北側に向かう。
ひょこひょことサーモンピンクの瞳の少女が後をついてくる。
「ねぇ、ぼくはどうしたらいいかな?」
「……そうだな」
仕事中にレギナ・スライムが一緒にいると厄介そうだ。子供を連れまわすとなればアレスは激怒するだろうし、俺にパーティメンバーを勝手に増やす権限はない。
「ぼくが邪魔になりそうなら、何処かで待ってるよ」
「……大丈夫なのか? 命が狙われていると言っていたが」
「ぼくもそこまで弱い魔物じゃないからさ。ある程度は自分で何とかできるよ。それよりも、ぼくは君の方が心配だな」
「……」
「まあ、ゴブリンくらい君一人で瞬殺できるだろうけど、魔王になったことを悟られないように、いつも通りを装ってね。あんな厄介そうな先導者がいるなら尚更さ。ぼくはこの依頼をぶっちすることをおすすめするけど」
「……」
「君の判断に任せるよ。ぼくは魔物だし、ニンゲンの事情を百パーセント把握できているわけじゃないからね。お金も責任も大事なものなんだろうし、仕方がないさ」
「……」
寛容だな、と思う。年長であるゆえの貫禄だろうか。本心としては急いで魔王城に向かって欲しいのだろうが、レギナ・スライムはずっと俺のペースを配慮してくれている。
……こういう相手と一緒だと、居心地がいい。何も強いてこない。無意地を望まない。俺は人に合わせて動くのが苦手だから、とても助かる。
「好感度が急上昇した。俺はやはり年上属性だ」
「え? 好感度?」
レギナ・スライムは「突然何のことだい?」と言わんばかりの顔をしている。
「俺は人と馴染めるまでかなり時間がかかる。だがあんたとはとても話しやすい」
「そうなの?」
「相性がいいと思った……俺にこう思われるのは迷惑か?」
「何でさ?」
「……」
最早何も言えなかった。俺と一緒にいるのを嫌がる人もいるのに、そう思われていない。無垢な瞳が、純粋に嬉しく感じた。
「……感謝感激だ」
「え、あ、うん」
「友達から始めて欲しい」
「友達というか……ぼくは君の補佐というか、秘書みたいなものなんだけど」
「愛人から始めるべきか」
「それって告白の一種? というか恋人じゃないんだ」
「それはだめだ。恋人はまだ早い」
「……君の基準ってよくわからないね」
俺は人との意思疎通が難しい。ただ“嬉しい”だけではない感情を表現するにも、なかなか意図を理解してもらえない。だがこれもまた、いつものことだ。
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〜閑話休題〜
所変わって、ギルド内。
ゼロ・ウラウスとレギナ・スライムが外に出て、数時間後のことである。
古代魔法の一つである洗脳の術式をかけられたギルド職員イアンナ・リンスは、酒に酔ってぐでぐでと所長室の床を転がっていた。
「……リンスくん。君は一体どういうつもりかね?」
うっすらと青筋を立てているパルーバ支部のギルド所長は、顎鬚を撫でることで気を落ち着けようとしているが、イアンナはそれに気がついていない。えへえへとだらしなく頬を緩め、「しょちょ~」と銅でできた人の半身をぎゅっと抱きしめている。
「ただでさえ君は勤務態度についてのクレームが多いというのに……とうとう勤務中に飲酒か……口頭注意で大目に見ていたが、流石にこれ以上の面倒は、」
「違いますよぉ~……あたしわぁ、お酒は一日ビア八瓶までって、決めているんですからぁ~」
「十分に飲んでいるじゃないか!!」
「うみゅう~、でもそうじゃなくてぇ~。魔物のダウジングぅが、やばいんですよぉ、飲まなきゃやってらんなぃくらぃ、や~ば~いぃのぉ~」
「ああー! もういい! イアンナ・リンス、君はクビだ! ギルド職員に相応しい人間ではない! 早々に荷物をまとめて出て行ってくれ!」
「いみゃ~ん~、ごろごろごろぉ~……」
立ち上がらせようにもイアンナを持ち上げることができないため、所長は仕方なく応援を呼びに行く。ちょうど鑑定士の若い青年の手が空いていたため、所長室に引き入れる。
「失礼します……あー……これは酷い……」
「起き上がらせようとしても、地面と垂直方向には全く動かなくてな」
「姉さん昔から寝起きが最悪でしたからねぇ……ほら、イアンナ姉さん、起きてください。所長が困っていますよ」
「邪魔するなぁ、おっとっと~」
鑑定士の青年は姉の手を掴む。所長より少し長い時間持ち上げるが、イアンナの体はまたでろんと、液体のように地面に落ちた。
「……所長。姉さんが持っている銅像、何キロあるんでしょうか?」
「七百キロだ」
「なら私たちで起こすのは無理ですよ。姉の怪力には敵いません」
「全く。どうしてこんな奴にギルドの受付嬢をやらせなくてはいかんのか……勇者イアンナとして活躍し続けてくれればよかったものを」
「姉さんは極度の面倒くさがり屋ですからね。冒険者になったのも勇者の称号も、本人は望んでいないものでしたから……」
やればできる人なのに勿体無いと、鑑定士は困ったようにため息をつく。
イアンナはごろんと仰向けになってすっと天井に腕を伸ばし、人差し指を立てた。
「ダウジングぅ~、やばい魔物がぁ、この街に向かってぇ、来ていますぅ」
「やばい魔物?」
「しょちょー、この前ぇ魔王が死んだって、本部から連絡来たって言ってたけどぉ~、この街の周りにねえ、大量の魔力反応があってぇ~」
「……何?」
所長は真偽を問い詰めるようにイアンナの顔を覗き込む。しかしイアンナの目の焦点は定まった方向を向いていない。
「昔見たぁ、魔王軍の軍勢の反応に似てるよねぇ~。パルーバ囲まれているからぁ、滅びるかもぉ。みんな逃げないと、みんな死んじゃうんだぁ~」
「……姉さん、それほんと?」
鑑定士が唖然として問い返すと、「イアンナわ嘘つかない~」と、子供がぐずるような返答があった。
「……ま、魔王軍の軍勢……?」
「姉さんは魔王討伐に向かったことがあるんです。門前払いされた後が相当大変だったみたいで、『もう勇者は嫌だ』と引退を決意したのですが」
「リンスくんが大変って、相当じゃあないか?」
「相当ですね。もしかしたら、かなりまずい状況なのかも……パルーバは明日、跡形もなくなくなっているかもしれません」
二人の曇った顔を全く気に留めず、元勇者として活躍した受付嬢は「うにゃ~ん……」と伸びをして、そのまま眠りに落ちた。




