古代魔法
「怪我人が出てないなら、『緊急性はない』としか言えないですねぇ。どうしても調査するというなら有料になりますぅー」
「……」
予想外の反応に俺も何を言えばいいかわからなかった。「レギナ・スライムが出た」といえばすぐにでも調査がされるかと思っていたが。大ごとにならないことはラッキーとはいえ、俺の話が全く信用されていないという悔しさもある。
先に、マシューたちに「もう脅威はない」と伝えるべきだったか。だが、俺にはレギナ・スライムを倒せる実力はないということになっている。確証を持って大丈夫だと伝えても、何らかの根拠がなければマシューと院長の不安は拭えないだろう。
考えあぐねていると、ちょいちょいと連れの少女から耳を貸すように促された。
「……どうした」
「拉致があかないなら、あのニンゲンを洗脳しちゃいなよ。説得するよりその方が早い」
「……。冗談がうまいな」
「本気だけど? 洗脳の術式、もしかして知らない?」
洗脳の術式は禁術だ。名前は知っているが、使ったことがない。
「……さすがに古代魔法は使える自信がない」
同じ禁術でも生き終わりの魔法は、稼働するマナが一京単位だ。ドラゴンのような例外は除いて、生物が使える魔力の最大単位は一億マナと言われるため、通常は発動できない。「ジョークで作られたも魔法」とも言われる。だから孤児院育ちの俺でも知っていたわけだが。
だが洗脳の術式は五百年前の戦乱の時代に発明され、実際に使われていた古代魔法だ。洗脳という人徳を無視した魔法であるため、使用できる魔法師は処刑され、伝承は途絶えたそうだ。現代に至っても、その使用方法を書物として記したものは流通していない……燃やされるのを逃れた古い魔導書であれば記載はあるかもしれないが……まず古代魔法の魔導書が希少すぎて手に入らない。
魔法は魔言語を唱えるだけで使えるものではない。魔言語はあくまでもスイッチの役割だ。スイッチを入れても、魔法が発動されるまでの条件を揃え、さらに段階的な手順を踏まなければただの言葉遊びだ。
特に、慣れていない魔法を発動する場合は、それなりの魔力が必要になる。魔法に必要なマナを操作するのはもちろん、それの維持に時間を費やせば、発動前に魔力切れを起こす。
「やり方がわからないなら、ぼくがやってあげようか?」
サーモンピンクの瞳がニヤリと細まる。
「<魔力補助>をぼくに使ってくれればいい。君は補助魔法が得意なんだろう?」
「……お前、古代魔法も使えるのか?」
「ぼくは先代魔王の直属の部下だよ。ニンゲンが忘れた魔法だって使えるさ」
待つのに疲れたのか、受付嬢の頭が、船を漕ぎ始めている。
「ねえ、お姉さん!」
と、レギナ・スライムが無邪気な声を出して、カウンターに手をかけた。「んう?」と目を開ける受付嬢に、レギナ・スライムが笑いかける。俺は小声でレギナ・スライムに魔法をかけた。
「お姉さんの名前って何て言うの?」
「え、あたし? ……イアンナだけど……」
「イアンナさん、ぼく、すごく言いづらいことがあるんだけど、耳借りてもいい?」
「うんー……? 耳……?」
受付嬢が傾けた耳に向けて、少女の姿をした魔物が魔言語を唱える。
「洗脳の術式=其・我が命に従え」
がこんと、不自然に受付嬢の首が揺れた。いや、体の力が抜けたように見える。
さらにレギナ・スライムが何かを囁くと、突然、受付嬢が悶えるような声を出して、体を震わせ始めた。
「……ふあ、や……わ、わかりましたぁからぁ。調査しますよぉ。だから、あん……息、息吹きかけないでくださぁいぃ……」
「ほんと? じゃあ、お願いします!」
「あう……」
受付嬢はいつもののんびりとした仕草をせず、そそくさと奥に引っ込んでいった。心なしか、顔が赤くなっているようにも見える。
「……何だ今のは。とてもエロいな」
「ストレートだね君は……洗脳の術式の効果で、命令以外のことが考えられなくなるとああなるんだよ。個人差あるから、絶対ではないけど」
「……」
「だけど永続するとなったら、ずっと魔力を維持しなくちゃいけないからね。とりあえず二時間くらいで効果が切れるようにしておいた」
ま、意味のない調査だしね。と、レギナ・スライムはくつくつと笑った。
「その術式、教えてくれないか?」
「それはいいけど、ただのエロいことを望むなら<魅了>の方がいいよ。洗脳の術式は無理矢理命令に従わせる魔法だ。術をかけられた人に強い副作用があるよ」
「……」
「というか、人を洗脳するのは嫌なんじゃなかったの?」
「それも嘘ではない。だが、禁術も覚えておけば便利だと思った」
「……現金だね」
レギナ・スライムは肩をすくめた。
……とりあえず、レギナ・スライムのおかげで孤児院の件は何とかなりそうだ。これでマシューたちも安心するだろうと胸を撫で下ろす。
それから外に出ようとすると、
「ゼロ。てめぇここで何やってんだよ」
ばったりとでくわした。
金髪長身のつんつん頭。勇者アレスだった。
傍らにナヴィもいる。
魔言語の"其"は色んな意味に変化するので、全然違う発音になることもあります。




