約束…
「さて。君は今日のスケジュールをわかっているよね?」
孤児院が影も形も見えない距離まで移動すると、レギナ・スライムが真面目な話を切り出す。
「冒険者ギルドにも所属しているみたいだけど、除名してもらった方がいいよ」
「何故だ? ……ああ、そう言えば、お前が俺を養ってくれるのか……」
「養うなんて言ってないけど。サポートすると言ったんだよ」
「だいたい同じような言葉だ」
「“だいたい同じ”は“同じ”じゃない。ぼくの認識では全然違うね。むしろぼくが君に養ってもらわないと」
「……」
「何だよ。ぼくの顔に何かついているかい?」
「……デリケートなことを聞いてもいいか?」
「ん?」
「お前は女か? それとも性別がない存在か?」
「生物学的にはメスに分類されるだろうけど。それ、そんなにデリケートな問題かい?」
「世の中には心の性別と体の性別が違う人もいるからな」
「ふうん。でもぼくにとってはいらない気遣いだね」
「あるだろう。魔王城まで旅立つと言っていたが、宿では俺と同じ部屋で寝るつもりか?」
「別にどっちでもいいよそんなの。路銀がかさむ心配をしているなら、ぼくの部屋は取らなくていい。ぼくは野外でも眠れるからさ」
「……」
俺は野宿に慣れていない。街から街を渡り歩くような冒険者と違って、俺は物心ついてからパルーバ街の周りと二つ隣の村までしか行ったことがないのだ。依頼のためにアレスとナヴィに着いて遠くへ行くこともあったが。命の危険を感じるほどいい思い出がなかったため、以降は遠い任務には行かないようにしている。
……このレギナ・スライムは旅慣れているのだろう。うさぎのように穴を掘って眠ることもできるのかもしれないが、俺は自信がない。快眠のためには宿を取るのが必須だと言ってもいい。
旅行すら経験のない俺は、旅支度すらよくわからず、用意するべきものについても迷っている。
孤児院で遠足に行った時を思い出し、「とりあえず弁当や菓子と言った食料か……ところでバナナは菓子と数えるのか?」などと考えながら黙っていると、レギナ・スライムが「ああ」と、何か納得したように声を漏らした。
「……なるほど。もしかして君、ぼくのことを意識しているのかい?」
「……意識?」
心なしか、レギナ・スライムの顔が意地悪そうにニヤついている気がする。ナヴィに嘲笑われた時のことと重なって、少し不愉快になる。
「まあ“意識”していると言えば当然だろう。俺は現在進行形でお前を無視しているわけではない」
と、半ばぶっきらぼうに切り返すと、レギナ・スライムは「ふうん」と言ってはたと立ち止まり。突然ばっと俺の胸に飛びついてきた。
「……どうした? また何かの芝居か?」
「……。へえ。何だ。昨晩も思ったけど、君はこんなんじゃ動揺しないんだね」
「一体何の話だ?」
「君は童貞なのかと思ってさ」
「っ!」
ぎくりと心臓が跳ね上がった。どうしてそんなことを知っている。
「あの修道女のお姉さんとも『何かありそう』ではなかったからね。少なくとも君の方は何も感じていなそうだ」
「マシューのことか?」
何かあるとは何のことだろうか。家族同然に過ごしてきた仲ではあるが。
「ストレートに言わないとわからないかい? 恋愛対象としてみたことはないのか、ってことだよ。あのお姉さん、すごく美人だったじゃないか」
「……マシューは俺の中では妹だ。恋愛感情を抱くわけがないだろう」
「そう。ぼくにもあまり過剰な反応は示さないね。ぼくの容姿もタイプではないのかい?」
「俺は子供に惚れるような変態ではない」
そう言い返すものの、昨日ちらりと見えたレギナ・スライムの胸の形が脳内でフラッシュバックした。それが今は俺のみぞおちあたりに押し当てられていることを認識する。ただの皮膚とは違う、確かな柔らかい感触があった。
「……。前言を撤回する。俺はロリコンだったようだ」
昨晩、双丘をじっくり眺めてしまったことは認めざるを得ない。
「あははっ! 君って、そう言うところは変に素直だね」
そう愉快そうに笑い、レギナ・スライムはぱっと俺から離れた。
「まあ、ぼくはこれでも、君よりずっと年上だけどね。君の母親よりも上だよ。先代の配下としてずっと仕えていたからさ」
「……さらに前言を撤回するべきか。俺は熟女マニアだ」
「そこは撤回しなくてもいいと思う」
「いや、俺の母より年上となれば、老女マニアになるのか?」
「うん君の認識はどうでもいいけど」
「ちなみに俺は巨乳派だ」
「趣味趣向もどうでもいいよ!」
「……。俺としたことが。ヒワイのない話がエスカレートしてしまった……」
「うまいこと言ったつもりかもしれないけど、それものすごく寒い」
「黙れ。人の気持ちを弄ぶお前に、俺の心境などわかるはずがない」
「え、逆ギレ? ……何をそんなに怒っているんだい?」
くそ。と、レギナ・スライムから目を逸らして、頭を抱えた。
ヤケになって自分でもよくわからないことを口走ってしまった。恋愛話を持ちかけられるのは苦手なのだ。マシューも俺を気遣って話題にしないというのに。
……男女関係は嫌な思い出しかない。
一番トラウマになっているのは、冒険者になってからのことだ。
ある時、ナヴィの知り合いだという女冒険者が仕事のパーティに加わったことがある。猫なで声で喋るその冒険者は「ゼロくんは好きな人いるのー?」「彼女いるのー?」と詰め寄ってきたため、「そんなことを聞いて何のつもりだ? 俺の彼女にでもなりたいのか?」と戸惑って聞き返すと、「調子に乗るな、童貞」と真顔で言われたのだ。
散々その気にさせるようなスキンシップをしてきたくせに、俺は最初から全く相手にされていないとわかり、かなり傷ついた。
俺には恋愛経験などない。村にいた時には好意を寄せたくなる相手はいたが、結局告白などする気も起きず、仲が進展するようなイベントもなかった。俺の中では「あの人いい人だったよな」という友達ですらない関係で完結しており、すでに過去の人となっている。
……女は俺を相手にしない。不器用な俺に恋などできるはずがない。
そうやってずっと諦めてきたのだ。
「……どうやらぼくは、君にとってあまり良くないことを言ったみたいだね。傷つけてしまったなら謝るよ」
「……」
「……まあ、もし君が望むなら、だけど……」
レギナ・スライムがさらりと髪を靡かせてるその仕草は、やけに色っぽく見えた。
「ぼくが君の相手をしてあげようか?」
「是非よろしくお願いします」
「欲望にも素直だねッ!?」
その場で膝をつき、丁寧に土下座をした。
チャンスがあるなら逃してはならない。
俺が人間に相手にされないというなら、魔物が初体験というのも妥協点とするべきではないだろうか。
……注釈しておくが、俺は人外に性欲を抱くことはない。あくまでもノーマルだ。
レギナ・スライムが人の姿形を取らなければ、頭を地面につけるほど必死にはならなかっただろう。
「……ねえ、君はもう魔王なんだからさ。<魅了>を使えば、異性を侍らせて酒池肉林もできなくはないよ? なのにぼくで妥協していいわけ?」
「興味がない。普段から酒はほとんど飲まない上に、人を魔法の力で操ったところで虚しくなるだけだと思っている」
これは本心だ。魔法で人間を操作すれば、人形で遊ぶ行為と変わらない。それに、遊びで男をその気にさせてくるような女と接する自信もない。もうあのような思いはこりごりだ。
「……そんなことをするくらいなら、好きになるかもしれない相手を選ぶ」
「ふうん。未来形なんだ?」
「……」
はっと羞恥が顔に登る。これでは告白同然だ。「一個人」と言う方が正しかっただろうか。
「……まあ、ぼくはいいけどさ……君を……ためなら」
この時に吹いてきた強い風がレギナ・スライムの言葉を攫ってしまい、俺の耳には届かなかった。
「君は案外ピュアなんだね、ゼロ」
「……」
またニヤリと笑うその顔が、何処か悲しげに見えたのは気のせいだろうか?
……こうして俺と魔物の少女は約束を交わした。
正直俺は浮かれていて、この後にしたレギナ・スライムとの会話はほとんど覚えていない。
やがて、パルーバ街へと辿り着く。




