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カリファの2年間  作者: こじまき
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勇気をくれる人

庭のツツジが満開になる頃、私は体調の変化を感じた。吐き気に食欲不振。そういえば月のものもずいぶんと遅れている。まさかと思いお医者様に診察してもらうと、私は妊娠していた。


「カリファ、ありがとう!ありがとう…」

「旦那様、そんなに抱きしめられると痛いですわ」

「すまない、嬉しくて。デュエリンには、養子の話はキャンセルだと伝えよう」

「でもまだ性別はわからないので…」

「いや、一旦キャンセルだ」


喜んでくれる旦那様や使用人たちを見て、私もさらに嬉しくなる。私の赤ちゃん。来てくれて、ありがとう…


お腹が膨らんできたある日、夜ベッドに入って休んでいると、初めて胎動を感じた。隣で横になっている旦那様の肩をゆする。伝えたい、すぐに。


「旦那様、旦那様…!」

「どうした?具合が悪いのか?」

「いえ、赤ちゃんが動きました…!このあたりです」


旦那様の手首を掴んで、お腹にあてる。旦那様の手の温かさと重みに反応したのか、また動く。


「ね?わかりましたでしょう?」

「ああ、本当にいるんだな」


赤ちゃんがお腹の中で元気に生きている。育っている。二人で顔を見合わせていると、旦那様が「なんだか、カリファとの距離が縮まった気がする」と言う。


「これまでは、近くにいてもなんだか薄い膜がはっているような…どうしても立ち入れない領域があるように感じていたんだ。近づいたと思ったら、途端に扉を閉められてしまうような」


「ここ何ヶ月かで、前よりは近くなった」と微笑む旦那様に、思い当たることがある私は息を整える。


「理由を聞きたいが、カリファが話したくなるまで待つよ。無理強いはしたくないから」

「旦那様、私…」

「すまない。いいんだ、今は大切な時だ。子どものことだけ考えよう」

「ええ」


言えない。言いたくない。言ったら旦那様にどう思われてしまうのか。でももし生まれてくるのが女の子だったら…言わざるを得ないかもしれない。


どうか、どうか、男の子でありますように。




◇ ◇ ◇




冬の気配が近づきつつあった寒い朝、予定より少し早く、私は第一子となる女の子、アイリスを出産した。


「おめでとうざいます。可愛いお嬢様ですよ」と言われたときには、身体が沈み込んでいくような感覚に襲われた。


女の子だった。女の子はダメなのに。


けれど、アイリスを腕に抱き、毎日毎日極上の柔らかさと羽のように軽い抱き心地を感じ、いい匂いを胸いっぱいに吸っていると、愛おしさが勝ってくる。可愛い可愛い私の子ども。


旦那様もすっかり父親の顔で、よくアイリスを抱っこしてくださる。私が抱くよりも、旦那様が抱いている方が、よく眠るほどだ。


眠ったアイリスを旦那様がベビーベッドに下ろす。私は横からその様子を見ている。おくるみからちょこんと飛び出した、まだまだ細い腕と小さな手。指を差し入れるとぎゅっと握り返してくれる。「お母様」と呼ばれているようだ。


ただただ、健やかに育ってほしい。幸せに生きてほしい。誰にも傷つけられることなく。


アイリス、お母様はあなたを守るために強くなりたい。でも、少しだけ時間をちょうだい。少し、少しだけ。




◇ ◇ ◇




アイリスを産んでから3ヶ月、旦那様のご両親であるセルブリッジ伯爵夫妻がはるばる領地からやってきた。


息子が二人、孫もこれまで男二人だった義両親にとって、女の赤ちゃんは新鮮らしい。「次は後継を」などとは一言も言わず、「女の子は男の子より柔らかい気がする」「汗臭くない」などと冗談も言いながらアイリスを可愛がってくれる。お二人も、長く子どもに恵まれなかった私たちを心配していたのだろう、とても嬉しそうだ。


ふとお義母様が私に向き直る。


「カリファのご両親は、もうアイリスに会いにきたの?」

「いいえ、まだでございます」

「そうなの。お二人には初孫でしょう?会いたいでしょうに」

「父が高齢ですので、この寒い中、なかなか王都までは…」

「じゃああなたたちが行ってあげたら?実家までは馬車で3時間くらいでしょう。それならアイリスももう少し大きくなればなんとかなるんじゃないの」


少し顔を引きつらせながら「そうですわね」と答える。アイリスを連れて実家に帰るつもりなど、さらさらないのだ。


父の話をしたからか、その晩は久々に悪夢を見た。いつからだったか、繰り返し見る夢。私は仰向けで、上に父の顔がある。


「お父様、やめて!」


叫びながら燭台で父を殴りそうになるところで目が覚める。殺意は、ある。いつもそうだ。


旦那様が体をこちらに向けて「大丈夫か?」と聞く。


「悪い夢を見ただけです」

「…義父上の夢なのか?いつも」


うわごとで父の名を叫んでいたようだ。「いつも」という言葉に、これまでもうなされているのを聞かれていたのだと初めて気づき、「ええ」と正直に答える。


「エリッサのことや、カリファが心に壁を作っていることに関係あるのか?」

「ええ」

「聞こうか?」


話したい。話したくない。でもやっぱり話したい。旦那様に知ってほしい。知って、受け入れてほしい。


「幼いころ、人には見せないところを触られたのです。私だけだと思っていたら、エリッサも」

「エリッサはそれで心を…?」

「ええ、そう思います」


今でも思い出す。父の抑えた低い声。息遣い。何をされているのか、どんな意味がある行為なのか、そのときはわからなかった。


「まだ10歳にもならない子どもで…ずっと、私の記憶が混乱して思い違いをしているのだと、きっと悪い夢を見たのだと、そう思い込もうとしていたのですが…エリッサもだと知って…それで…」

「そうか」

「触られただけで、他には何も…」

「そうか」


私は父をかばっているのだろうか。触っただけだと。少しばかり怖い思いをしただけだと。それとも穢された娘が嫁に来たと思われたくないのだろうか。


「あれが親子の間にあるべきではないことだとわかってからも、父のことも、周りに知られるのも怖くて…」


「抱きしめても大丈夫か?」と旦那様が確認するので、コクコクと頷く。抱きしめられて旦那様の体温を感じたら、涙が溢れてきた。旦那様にしがみついて泣く。私の嗚咽が寝室に響く。


ようやく私が落ち着いたころ、旦那様が「ずっとひとりで苦しませてすまなかった」と耳元で囁く。いいや、気づかれないようにしていたのは私だ。それに四六時中そのことばかり考えていたら狂ってしまう。何でもないふりをしなければ、生きてこられなかったのだ。


「私を信頼して話してくれて、ありがとう」

「旦那様、私を責めないのですか。黙っていたこと。穢れた娘が嫁に来たと…」

「責めない」

「どうして…」

「簡単に話せることではないとわかるから」


旦那様は少し身体を離して私の目を見つめる。


「それに、愛しているから」

「愛してる…?」


予想外の言葉に、どう反応していいかわからない。「愛している…」ともう一度旦那様の言葉を繰り返すと、「愛していないとでも思っていたのか?」と聞かれる。


旦那様はずっと私を大切に、尊重してくださっていた。それは知っている。けれど…


「私には愛される資格などないと思っておりました」


言葉にして初めて、自分の気持ちを認識する。そうだ。私には愛される資格などない。こんな私が愛されるはずがない。旦那様に隠し事をし、心を遠ざけてきた私。なかなか子どもも授かれなかった私が。


「ずっと愛していたよ。見ているだけでこちらの心もほぐれるような、カリファのあの笑顔がずっと好きだった」


「ずっと、あんな風に笑っていて欲しいんだよ」と言ってくれる旦那様。その言葉を聞いて、また涙が溢れてくる。一点の曇りもなく幸せだった子ども時代にはもう戻れないけれど、旦那様となら、私はまた幸せになれるかもしれない。


涙を拭いて私はひとつの決意をした。


「旦那様、私、もう少し経って自分の体調が落ち着いたら、父と話をしてこようと思います。私と、エリッサと、アイリスのために」


アイリスが生まれたときから、いつかしなくてはいけないと思っていた。父を、アイリスから遠ざけなければ。


もしかしたら、父の反応によっては、父を許せるかもしれない。あんなことがあっても親子だと思えるかもしれない。


「わかった、私も一緒に行くよ。そばにいよう」

「ありがとうございます」


アイリスが6ヶ月になったころ、私は覚悟を決めて実家に「娘を連れて泊まりに行く。大事な話がある」と手紙を出した。

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