82話目 仮契約
遅くなりました。進んでません
『人間達よ。よくここまで来たな』
最奥で偉そうに腰掛けている『ハイオークキング』が口を開いた。他の魔物よりもハッキリと聞こえたのは、奴が人語に近い発音で話したからだろうか。
『残り少ない命だ。せいぜい足掻いて我を楽しませろ!!』
その言葉を皮切りに、周囲に立つ『オーク』達が騒ぎ出す。ワイワイガヤガヤ、まるでこの場で起こるであろう惨劇を楽しみにしているかのよう。自分達の絶対的有利を何一つ疑っていない。その油断の原因は統括する王の力を信じきっているからだろう。
4体の『ハイオーク』の内、槍を装備している個体が歩いてきた。その他の『ハイオーク』は動こうとしない。俺を含めたこのメンツに対し、あの1体で十分だと相当驕り高ぶっているようだ。
本当に舐めてやがんな。
「武器を構えろ!全力で応戦する...!!行くぞ...!!」
アリエルさんが号令をだす。口調には少なくない怒りが見られることから、どうやら少なくない憤りを覚えているらしい。その怒りを体現するように、アリエルさんの体を青い魔力が覆っていき、そのまま剣にまで纏わせた。
「シャウル殿!皆を頼む!」
アリエルさんの言葉の意味を理解した。撤退をする気は無いが、おめおめと死ぬつもりも無いらしい。何らかの方法で騎士さん達を助けてくれと、そう言っているのだ。
全く無茶振り言ってくれるぜ。普通に考えて不可能に近いが、今の俺になら方法はある。アリエルさんの願いを叶えてやろう。
騎士さんそれぞれの足元の影に分体を潜ませていく。万が一な事があれば、飛び出して助けることが出来るだろう。
準備が整ってからアリエルさんが駆け出した。その後に騎士さん達が続いていく。皆、覚悟を決めた顔付きをしている。さっきまでとは大違いだ。
『ハイオーク』は槍先を天に向けたまま構えようとすらしない。どうせ効かない、やってみろ、と言わんばかりの仁王立ち。
その油断を打ち砕かんとばかりに、勢いよくアリエルさんは迫っていく。
「放てッ!」
距離が十メートルとなり、アリエルさんの声とほぼ同時に1つの魔法が放たれた。拳程の大きさをした魔力の塊。それは飛来して『ハイオーク』の目線まで昇っていき、そして効果を発揮した。
それは眩い光。その魔法は閃光玉という言葉がとても良く似合う。凝視していた俺の目をも潰してしまう、凄い効力のある魔法だ。こういう知恵こそ人間の優れる点であろう。
もちろん『ハイオーク』に効果はあったようだ。よろめく姿を捉えることが出来た。
「ハァァァァッ!!」
「らあぁぁぁっ!!」
アリエルさんとエリック君の雄叫びが響く。2人が横を通り抜け奴の太ももを斬りつけた。しかし傷という傷にはならない。
「エリック合わせろ!」
息付く暇も無くアリエルさんが叫ぶ。その声に合わせ、エリック君と2人で剣を振るった。ガンッという鈍い音を立てて、『ハイオーク』の膝裏へと剣が叩き込まれる。
これは、つまり──
アリエルさん達の狙いが分かった。実力差では勝てない以上、頭部や心臓という急所を狙うのは当然の事だ。しかしこの体格差では攻撃がまともに届かない。その為に膝を崩そうと言うのだ。次の攻撃への布石。それがアリエルさん達の役目だった。
アリエルさんの狙い通りと言うべきか、両膝を叩かれた事で奴はバランスを失った。元々不安定だった足を攻められ、もはや立っている事は出来なかったようだ。そのまま尻もちを着くように体勢を崩す事になる。
「らあぁぁっ!!」
「しゃぁっ!」
奴の体勢が崩れて間もなく、騎士さん2人が鉄製ハンマーを手に接近していた。なるほど。『ハイオーク』の皮膚は尋常じゃなく硬い。この中では一番強いアリエルさんの剣も通らないほど。なら、脳震盪を狙ったり、胸骨への打撃を考えた方がダメージとしては大きいだろう。
アリエルさん達が『ハイオーク』から距離を取った直後に、ゴンッゴンッという低く鈍い音が2度鳴り響く。騎士さん2人が振り放ったハンマーは、奴の頭部側面と顎にそれぞれクリーンヒットした。
しかし、効果は全くと言っていいほどに無かった。
赤いオークはビクリともしなかったのだ。見るからにダメージを受けていない。頬に止まった蚊でも掴み取るかのように、騎士さんが握るハンマーを指で摘んだ。
そして、その先に人が付いていることを忘れさせる程に軽々と持ち上げる。
「ダグラ手を離せっ!!」
アリエルさんの声は間に合わなかった。
太い腕が振るわれ、つままれたハンマーは放り投げられた。その人の影に潜んでいた俺の体も勢いよく揺らされ、何処をどう飛んでいるのか分からなくなる。
ここで俺は共に投げられた騎士さん──たしかダグラと呼ばれた男性──の意識が飛んでいることに気がついた。気絶しており、抵抗感がない。このまま壁にぶつかるよりはマシだろうと、ダグラさんの腕に噛み付く。
そして壁にぶつかる直前、《影潜み》を発動させる。影の中へと、ダグラさんと共にドプンと入った。影の中でもエネルギーは生きている。しかし、そのエネルギーを影の中で動き回る事に浪費させれば、肉体へのダメージは無くなるはずだ。
グルングルンと影の中で幾度も回されたが、うん、壁に直撃するよりはマシだったんじゃないか。
ふぅ、と人命救助を終え一息ついていると、もう一人の騎士さんも飛ばされた。手順は先程と同じ。タイミングさえ合わせれば助けられることは分かった。ダグラさんと同様に、壁にぶつかる直前で影の中へと潜りエネルギーを消失させることに成功した。
助けるべき肉体が中々の速度で飛んでいくので気を張っていなければならなかった。その為、他の分体へと気を向けられなかったのだ。
だからアリエルさんの危機に気が付かなかった。
槍を振って『ハイオーク』が立ち上がった。その立ち姿から、まるでダメージは無いのだと伺える。人間と魔物とでここまで差が出るものなのか。
「く、くそっ!俺達は最後まで闘うぞ!」
「行くぞ...!覚悟決めろ...!!」
「うおぉぉぉっ!!」
残る3人も声を大きく上げ、それぞれの得物を手に飛び掛る。
3人同時の攻撃に対し、奴は槍を横に薙ぐ事で圧倒した。その一振は騎士さん達には当たらなかった。しかし、3人は風圧で後ろに飛ぶ。
「ぐぁっ!?」
「な、振っただけでこれかよ...!?」
フラフラと立ち上がった騎士さん達を上から見る『ハイオーク』。何を思ったのか更に距離を詰め、片足をヒョイと上げた。その足を、騎士さんの1人に向ける。
「う、あ、うぁぁぁっ!!」
大きな足を向けられた騎士さんは、恐怖に陥り叫ぶ事しか出来なくなった。剣を震わせ、足を震わせ。ただ叫び見つめることしか出来ない。
そして、潰された。
「あ、ああぁぁ...!!」
「ライィィっ!!」
更に1人、仲間がやられた事で残る2人の心が折れた。故に動くことすら出来ないでいる。当然のように『ハイオーク』の蹴りを躱す事が出来なかった。
全員の救出は出来た。踏みつけられた人は簡単だった。抵抗を無くした騎士さんの足に噛み付き、『ハイオーク』の影に逃げ込ませた。蹴られた2人に対しては身を盾にして衝撃を和らげ、影の中へと引っ張り込んだ。
死んではいないがもう闘うことは出来ないかもしれないな。騎士としては死んだに等しいかもしれない。しかし、そんな事は俺にとってどうでも良かった。救えた、その事実だけを受け入れる。
他の騎士さんの救助は終わった。あとはアリエルさんとエリック君だけだ。
そしてようやく気がついたのだ。その時には、アリエルさんの背中から大量の血が流れ出ていた。その血は床に拡がっており、小さな血溜まりを作っている。明らかに軽傷ではない。
『だ、大丈夫か!?』
決して大丈夫では無いだろう。しかし、それ以外にかける言葉が見つからなかった。直ぐにアリエルさんを影の中に引き摺り込もうと試みる。しかし、抵抗されてしまい弾かれた。
「シャウル殿...皆は...?」
『他の人は全員地上に送っている!あとは2人だけだ!』
「ふふふ...そうか...」
こんな時まで他の人を心配するのか。今は自分の事を心配してくれた叫びたくなる。
『纏っている魔力を解いてくれ!そのままじゃ影には引き摺り込めない!』
「いや...私はいい...どの道この怪我じゃ後はない...」
『傷...治す方法は無いのか!?』
「質の良い回復薬じゃなきゃ無理っす。そんなもん、国に戻んなきゃ無いっすよ...」
『くそっ!』
助けると言っておきながら、この失態だ。自分の愚かさを呪いたくなる。なんとかなるだろうと甘く考えすぎた結果だ。
自分のミスに悔やんでいるとアリエルさんが頭を撫でてきた。まるで宥めるように、悪くないと訴えるように。その手は優しく気持ちが良かった。
「エリック...お前は行け...」
「は...?副隊長を残して逃げろと...?いやっすよ、俺だって騎士の一端なんすよ...最期まで、貴女と闘います」
アリエルさんが逃げないと言うなら、エリック君も逃げないと言う。
「副隊長。貴女が獣人である俺を拾ってくれたあの日から、死の時は貴女の隣って決めてたんすよ...。恩を仇で返すような真似、許してください...」
2人には俺の知らない過去があるのだろう。恩があるという事は理解出来た。エリック君の言葉を聞いたアリエルさんは酷く申し訳なさそうな目をする。小さく「馬鹿者め」という言葉が聞こえた気がした。
『俺から言わせりゃ2人とも馬鹿だよ!諦めんなっての!』
2人とも死を迎え入れようと言う。なんなんだ。そう簡単に諦めるのか?確かに相手は絶望的に強い。それでも最後まで闘えよ。
『俺が傷を無理やり塞いでやる...!失敗するかもしれないし、凄く痛いんだけど......やるからな!?』
「ははは...そこまでしてくれるシャウル殿も...大概だと思うがね...」
『うっせぇっ!!』
答えを待たずしてアリエルさんの背中を舐める。《溶解液》を発動させて傷口を消毒、及び火傷させて傷を塞ぐ要領で塞ごうと考えた。
傷口からうっすらと煙が立つ。これで傷が塞げるか、非常に怪しいがこれしか出来ない。血が口に入って溶けていく。
その間にも『ハイオーク』は迫ってくる。この場にいいる分体はあと2機。そのうちの1機を用いて仕留められるか...!?
影狼形態で『ハイオーク』に挑む。俺の姿を視認した奴はその槍を天に向けた。つまり、やってみろ、と?
後ろの事で手一杯な俺にとって、その挑発に耐えることは出来なかった。直ぐに飛び出し、バフもりもりの《引っ掻く》を繰り出した。
岩をも穿つ俺の一撃。《溶解液》をも付与すれば斬れないものは無かった。溶かし斬る、という新しい攻撃方法に、俺はかなりの自信があった。
しかしその爪を、奴は持ち合わせる防御力だけで防ぎやがった。
何度も何度も《引っ掻く》を繰り出したにも関わらず、ちょっと血を流す程度の傷しか与えられない。その度にガサツになっていく動き。遂には奴の腕に掴まった。
流石に掴まってもどうという事もない。するりと抜け出て地に降りる。
『なら喰らえ!とっておきだ!!』
胸部に向けて俺が出せる最強の技、【溶解液極細噴射】を放った。そこにあるであろう魔石を貫通させれば殺せるはずだ。
しかしその技は手で防がれた。ジュゥッという溶ける音はしたが、貫通までもいかない。
しくった、と思った時には宙を舞っていた。この技は危険だと気付いたのか、槍で分体が打ち払われたのだ。
『やられたっ!間に合わねぇっ!!何か方法...方法は...!?』
奴を止める、アリエルさんを救う。このままではどちらも出来ない。最悪の未来が訪れてしまう。
くそ!間に合わなかった!
せめて一撃、止めてやる。
潰されても死なない俺だからこそ、最後の肉壁となってやろう。《死力》《部位強化:脚》《硬化》《剛力》《怪力》。全てを使って防いでやる。
そして──
〈適合率58%──条件を満たしました〉
ポーンという高い音と共に、進化の際に訪れる声が頭に響いた。このタイミングでこの声を聞くのか。もう二度と聞くことはないと思っていたのに。
頭がこんがらがってくる。理解出来ずに居る俺へと、更に声は捲し立てる。
〈"仮契約"を行います。"形"をインストールします。《擬態》を開始します〉
そのまま俺の体に異変が起きる。何かが誰かと繋がり、魔力が抜けていく。代わりに何かを受け取り、それを形として再現していく。
先ず気付いたのは、視点が高くなっていくこと。今まで地面に近い視点だったが、随分と高い位置の目線になった。
視界に映り込むのは煌めきを持つ銀髪。『インビジブルスライム』のような、透き通った銀色だ。
自分の手を見てみる。白く細い綺麗な手。ちゃんと5本あり、俺の意思で思い通りに動いてくれた。
次に足。これまた綺麗な白い足。細いがしっかりとした筋肉を持った、鍛えられた脚である。
そして胸。...胸?そこそこの双丘が胸部に着いている。
これは、なんだ?何が起きている?それを考えるのを中断する。何故なら目の前にまで槍が迫ってきているから。
形が変わったとはいえ、性能に関しては変わらない。それが今までの常識だった。しかし、何故だろう。今までにない程の力が身の内より湧いてくる。
言うなれば。己のステータスを100%引き出せる、そんな感覚だ。『オーク』とは違う、俺の記憶に最も近い人型を得た事で、自分の力を完全に掌握した。
先程までよりも、迫ってくる槍が遅く見える。
そっと、まるで飛び込んでくる子犬を受け止めるかのように、柔らかく、優しく、軽々と。両手で槍を掴んだ。
腕、肩、腰、脚。それぞれに負荷がかかってくる。スライムの時には感じていなかった、痛覚がそれぞれに走る。
だが、耐えられないほどじゃない。
更に強く地面に足をめり込ませ、奴の一撃を受け止めて見せた。
「無事か?」
「なっ!?」
「ふ、副隊長!?」
背後に居るアリエルさん達へと振り向き声をかけてみれば、2人揃って驚愕の表情を貼り付けていた。驚き様は俺をも超えていたのはなぜだろう。




