76話目 ボス部屋 6
『オーク』達の騒然としていた声は、その主と共に消え去った。
飛び交っていた殺意も、その主と共に溶けて無くなった。
たった一手。それだけで戦況を覆した。実に凶悪で、危険な、敵を殲滅するための技だ。広範囲な故に回避は難しく、抵抗力を持たなければ即座に溶かし消え去る。
あの技の影響は生物だけに留まらない。地形にすら効果を及ぼしていたのだ。壁や天井は、まるで空間を抉りとったかのような綺麗なドーム状に形取られていた。地面もそうだ。範囲内の石レンガには、それ特有の凸凹部を無くし、大理石のようなツルツルとした表面を作っている。勿論、その空間には塵一つ落ちてはいない。素材たり得る牙や骨、皮も無ければ血の1滴すら落ちていない。
この場には元々何も無かった。そう言われた方が納得出来る。あれは幻術だった、夢を見ていただけだ。そう解釈した方が理解出来る。
この現状に対し、誰もまともな言葉を発することは出来ない。先程まで存在していたはずの数百体の気配は消え去り、異常な静寂がこの場を占めていた。
この場に残る敵は、『オークキング』と『オーククイーン』、その傍控えていた『オークキャスター』、『オークリーダー』、そして範囲外に居た数体の『オーク』だけだ。その者達の顔には、絶望という感情がありありと浮かんでいる。項垂れる者、頭を抱えて震える者。そのどれもに反抗という意思は感じられない。勝てない、本能だけではなく事実として戦力差を把握してしまったからだ。
完全に心をへし折ったと言えよう。
それ程までに俺の放った技が強力だったということ。嬉しいのやら危険な技だと省みるのやら、とても複雑な心境でいる。街中なんかで使えば、それだけで更地に出来そうだぞ。...絶対やらないけど。
「......私達は、生きているのだろうか」
「ここが天国...と言われた方が現実味があるっすね」
「もう訳わかんねぇよ...。オークの軍団が現れたと思えば、消えたんだぞ...!?」
「ははっ、ははは、はははは...」
騎士さん達の捻り出したような言葉が耳に届く。やはり混乱しているようだ。これを現実として受け入れるのは中々難しいだろう。術者である俺でさえ戸惑っている。想像通りとは言え、想像通りになるか普通、といった具合にだ。
けど、今は早い行動が求められる。相手よりも落ち着いた対応をしなければ、さっきの技で戦意を挫いた意味が無い。立て直されるより早く、討伐なり交渉なりを済まさないと。
『アリエルさん、さっきので奴らの心は折れただろう。どうする?王の首も獲るか?』
そう訊ねれば、ビクッと数人の騎士さんが反応した。無駄な魔力を使いたくなくて、姿を現したからだろうか。いや、でも。この反応は驚いたと言うよりはむしろ畏怖に近いような...?うぅん、これ以上は考えたくないな。
「あ、あぁ...聞きたいことは山ほどあるが、聞いても頭が痛くなるだけだろうから聞かないでおく。今はオークとのケリを付けよう」
『そうしよう。あと、さっきの技はもう使えないから怖がらないでくれ。小さいのなら出せるけど』
「はは、すまないな...。さっきの技が...いや、なんでもない。彼らの元へ行こう」
やはりアリエルさんは偉大だ。彼女だって例に盛れず混乱していただろうに、頭を切りかえて行動に移すのだから。使えない隊長──いつの間にか気絶していた──に変わり、副隊長として指揮を執っている。こういう凛々しい女性ってうつくしくて尊敬出来る。ほんと、良い上司だよ。
騎士さん達の頭にはまだ状況把握が足りていないようだ。理解を超えた出来事に対し、パニックに陥ってしまっている。
彼女の声で漸く他のメンバーは動き出した。それはもう恐る恐るというように。特にあの範囲内に足を踏み入れる時、罠を踏みしめるより慎重になって、そして何かが起こるのではないかと怖がっていた。先頭をアリエルさんが歩く、という形で何とか前に進む事が出来たようだ。
カツン、カツンとツルツルになった地面を歩いていく。奥に居るキング達へ向かって、堂々とした様で歩くアリエルさんに対し、他の騎士さん達は少々ビクビクとした雰囲気で歩いていた。この空間の異常さに、少なくない恐怖を抱くようだ。しかし、これはあくまで『オーク』達に向けて放った技なのであって...と、心の中で言い訳をしておこう。
やりようは幾らでもあった。しかし、手っ取り早いあの方法を選択し無ければ、危なかったのは騎士さん達だ。恐怖を仰いでしまった事に申し訳ないとは思うが、無傷で済ませたことを褒めて欲しい。
そんな風にボヤいていると、いつの間にかキング達の前方10メートルに辿り着いた。キャスター達が何かをやろうとしては止まる様を見て、どうやら相当精神的にきている事を察する。キングやクイーンも、歯を食いしばるだけで動こうとはしていない。
ここまで来れば良いだろう、とキング達を見張っていた分体をアリエルさん達の傍に移動させる。これで全ての分体は回収出来た。残っているのは全部で4機。魔力量はトータルで漸く俺一分、と言ったところ。一応、本体でせっせと魔力を回復させてはいるが、まだ分体1機と半分程度しか作れていない。結構ギリギリだが、絶望状態の奴らを殺るだけなら十分だ。
キングはゆっくりとアリエルさん達を見ていき、最後に俺へと視線を向ける。数分前、激昴していた奴と同一か怪しいくらい落ち着いている。
『我々の負けだ...。ククク、化け物はまだまだ居るものだな』
『あ?どういう事だよ』
負けを認めてくれた事は意外だった。ここまでやっても、最後まで牙を向いてくると思っていたからだ。応戦の準備をしていたのに、拍子抜けしてしまった。
しかし、その次に続く言葉には疑問を抱く。まるで俺を化け物として見ているんじゃねぇだろうな、ということでは無い。自分が化け物に近づいていると、ある程度自覚はしているから。
そうではなく、まるでコイツが化け物を見た事があるかのような口調なのだ。それも、どこか達観と言おうか、諦観と言おうか。非常に嫌な予感を覚えた。
『我々では勝てない化け物というのは存在する』
『化け物?それは、ここに居るのか?』
「シャウル殿...嫌な予感がする...!まだ不穏は断ち切れていない...!!」
その時だ。俺達が入ってきた扉の反対側。キングを挟んだ向こう側の扉が開き始めた。ギギギッと音を立てながら、ゆっくりと巨大な扉は開いていく。
皆がその方向に意識を向ける。扉が開いたことへ対する、この不安はなんだ。まだ伏兵が居たのか。それとも、キングが口にした化け物が居るのか。
それは、後者だった。扉を開いてから感じる、巨大で凶暴な気配。これはキングを超える存在を指している。つまり、俺よりも圧倒的な格上という事を示している。
その向こうから現れたのは、『オーク』よりも一回り程小さいが筋肉質な肉体、炎のような赤い皮膚、背に吊るしている身の丈程の大剣。それらを有する魔物であった。その者から放たれるプレッシャーに、思わず後ろに下がってしまう。
たった一体だと言うのに、数百体の『オーク』よりも恐ろしい。
『ハイオーク』──それが奴の名であった。




