60、誤解
「魔術というものは便利だが、何にでも融通が利くものではないんだよ、ブロル」
ロットは落ち着いた声音で話しながら、足元にあった眼鏡をゆっくりと拾い上げた。
「魔術によって生まれ持った容姿を変えることは出来ない。これは傷を治すのとはわけが違うからな。だが自分を変えられないのであれば、魔術をかけた道具を使えばいい。簡単なことだろう? こうしてしまえば、目の色なんてどうにでも誤魔化せる」
彼は眼鏡を掛けてみせる。瑠璃色の目は、灰色がかった茶色に変化していた。
ブロルは立ち上がり、ロットから距離を取りつつ尋ねた。
「あなたが僕と同じ民族かもしれないっていうのは、分かったよ。でも僕を誘拐した理由は?」
「悪いが、目的は君じゃない」
ロットはそう言って、ブロルの後ろに目を遣った。
そのときだ。ブロルの横を青白く発光する燕が掠め、消えていった。それと同時に足音が近付いてくる。
「ブロル!」
姿を現したのはルースだった。彼はブロルを素早く後ろに庇い、ロットと対峙した。
「……お前が来るはずだと思っていたよ。ブロルに追跡の魔術を掛けていただろう。最初から気付いていた」
ロットが言うと、ルースは怪訝そうに眉根を寄せた。
「僕をここへ連れてくるために、わざわざブロルを?」
「そうだ」
そう言って、ロットは不意に眼鏡を投げ捨てる。露になった瑠璃色の瞳を見て、ルースは息を呑んだ。
「隊長も……山の民族だったんですか」
「お前たちは真実が知りたいと思っているんだろう? 全てはこれが始まりだ。誤解されたまま終わるのは、俺も本望じゃない」
「誤解?」
「俺がエヴァンズを殺したのは、家族の復讐のためでも、ベイジルの復讐のためでもない。それらがきっかけにはなったが……全ては自分のためだ」
ロットがすっと片手を差し出すと、ややあって、その手の平の上に青白く光る球体が浮かんだ。自分の記憶を他人に見せるための魔術だ。
「ルース、お前はこれからも自警団を率いていくことになるだろう。正しい道を行きたいなら、過ちを知ることも必要になる。……俺が最後に隊長としてお前にしてやれるのは、これくらいだ」
ロットの表情に憂いが浮かんだ、次の瞬間だった。光る球体が弾け、ルースとブロルの視界は暗転した。
――部屋の中は薄暗く、目の前には鏡があった。鏡の中から7歳くらいの少年が無表情にこちらを見返している。その瞳は瑠璃色に輝いていた。
(これは、隊長の記憶?)
ルースはそう思った。これは恐らく、ロットの過去だ。彼の記憶を追体験しているらしい。
「ブラット、行くぞ」
名を呼ばれ、振り返る。ドアのところに上背のある男が立っていた。ブラットというのは、ロットの本名だろうか。
男はブラットの腕を引いて部屋を出る。長い廊下を進む途中、左右にいくつも並ぶドアの隙間から、子供たちの顔が覗いていた。
ある者は興味津々に、ある者は怯えたように、ブラットの姿を見ていた。彼がこれから何処へ連れていかれるのか、知っているかのようだった。
建物を出ると馬車があった。ブラットは目隠しをされた上でそこへ乗せられ、そのまましばらく馬車に揺られていた。
次に目隠しを外されたときには、カーテンが引かれた暗い部屋の中にいた。中央には豪華なベッドがあり、そこに一人の若い男が腰掛けている。顔は影になっていて判然としない。
「おいで」
男は優しい声音で話し掛けるが、ブラットはその場から動かなかった。
「どうした。俺と会うのは初めてじゃないだろう?」
男は立ち上がり、側へとやって来る。そしてブラットの前に立つと、俯いている彼の顎を掴んで上を向かせた。
「綺麗な目だ。リスカスのどこを探しても、君みたいな子供はいない……」
男の指先がゆっくりと頬を撫でる。ぞくりと背中が粟立つ。ブラットが思わず顔を背けると、男は苛立ったような吐息を漏らし、彼の腕を強く掴んだ。
そのままベッドの上に押し倒されたブラットは、虚空を見つめたまま人形のように動かなかった。
「逃げたって行くところは無いんだよ、ブラット」
男は上から覆い被さるように、ブラットの首筋に顔を埋める。耳元で荒い呼吸が聞こえ、男の手は執拗にブラットの身体を這う。
手足が冷たくなり、やがて全身の感覚が無くなっていった。そのまま、視界は真っ暗になった。
次の場面は、最初にいた鏡のある部屋だった。そこに映るのは相変わらず無表情な顔で、頬の辺りにはうっすらとアザが出来ている。
部屋の外で話し声がする。ブラットはドアに寄り、耳をそばだてた。
「目を覚まして下さい、院長! こんなことが許されるなんて、おかしいですよ」
女性の声だった。かなり非難めいた口調だ。
「おかしいのは百も承知だ。けどな、この孤児院の子供たちが売られずに済んでいるのは、ブラットが犠牲になっているおかげなんだ……」
院長と呼ばれた男性の声が、消極的に答えた。
「無垢な子供が犠牲になること自体、間違っています。それにいつもあの子を買っている男……、自警団の人間ですよね」
「……」
院長は黙り込み、女性は言い募った。
「誰かが終わらせないといけません。私は獄所台に告発します。院長は知っていますよね、あの男のこと。私、ちゃんと調べたんですから! ガベリア支部の魔導師、第十一隊の、エヴァンズ・ラリー。違いますか?」