表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
90/230

55、囮

 街の賑わいから遠ざかり、鬱蒼うっそうと繁った森を抜ける。拓けた視界の向こうに遠く、()()が姿を表す。

 隊員たちの視線の先には、スタミシア監獄を囲う高い煉瓦塀がそびえていた。塀から所々突き出して見えるのは監視塔だろう。時折その中で、小さなランプの明かりが移動している。

 視線を下ろすと、東西に長く伸びた深い谷が此方(こちら)彼方(あちら)を隔てているのが見えた。谷底では月光を映した川が穏やかに流れている。しんと静まった冷たい夜気の中で、その音が耳に届く。


「間違ってもサーベルは抜くなよ。月明かりが反射したら、獄所台や同盟の奴らに気付かれるかもしれない」


 エスカが呟く。彼らは皆、フードの付いた黒い外套をまとって夜陰に紛れていた。

 近衛団の援護のおかげか、ここへ至るまでに彼らが同盟に襲撃されることはなかった。だが、まだ安心出来る状況ではない。最大の目的は、獄所台に気付かれずに山へ侵入することだ。


「それより、これ、渡るの……?」


 目の前にある古びた吊り橋を指差して、ブロルが恐る恐る尋ねた。橋は辛うじて向こう岸まで繋がっているが、長い間風雨にさらされていたせいか、縄は千切れかけ、床板は所々腐り落ちている。踏み外せば谷底に真っ逆さまだ。


「監獄へ繋がる正式な橋はもっと東の方にあるが、そこを渡るのは危険すぎる。まあ、こっちは別の意味で危険に見えるけど……心配するな、落ちはしないから」


 エスカはそう言って進み出ると、吊り橋を支える柱にそっと手を触れる。途端に、橋は真新しい姿に変化した。


「すごい。直したの?」


 ブロルが目を輝かせるが、エスカは首を振って否定した。


「いや、橋の元々の姿がこれだ。一般市民が渡ったりしないように、魔術でわざとこんな見た目にしてある。リスカスにはこんな仕掛けが何ヵ所か存在するらしい。……さ、行こうか。ちょうど月もかげってきたし」


 雲がゆっくりと流れて、月を覆い出していた。エスカは吊り橋に一歩踏み出し、隊員たちも粛々と後に続く。

 橋を渡り切ったところで、最後尾に付いていたルースがふと後ろを振り返った。

 そして、息を呑んだ。

 ほんの数歩の距離に、自分達と同じく黒い外套を纏った男が立っていたのだ。足音も気配も、何一つ感じなかったというのに。

 雲間に覗いた月明かりに照らされたのは、ルースがよく知る人物の顔だった。


「ロット隊長……!」


 全員が一斉に振り向き、ロットの姿を捉える。カイは咄嗟にセルマを後ろに庇い、他の隊員たちも一歩引いて身構えた。

 ロットは無表情のまま彼らに近付くと、一人ひとりの顔に視線を移していった。


「どうした。私は人殺しだぞ」


 静かにそう言った。それは言葉の綾などではなく、紛れもない事実だ。自警団の魔導師を殺した犯人――それを分かっていても、敵だと切り捨てられない苦しさがルースにはあった。カイも微かに表情を歪め、エーゼルなどは明らかに目を赤くしていた。


「犯罪者を前にして、突っ立っていろと教えたか?」


「……ここへ来た目的は何ですか」


 ルースは葛藤を振り払い、毅然として言った。ただでさえロットの裏切りに傷付いている部下に、動揺した姿を見せるわけにはいかない。

 ロットはそれを知ってか知らずか、ルースから目を逸らし、質問には答えなかった。

 その時だ。


「エイロンを殺すのは許さない」


 ブロルがロットの前へ進み出て言った。彼らしくない、強い口調だった。


「ガベリアの悪夢が彼のせいだってことは、僕も知ってる。それであなたの大切な人が消えてしまったことも。でもエイロンは――」


「君がブロルか。スタミシアの、山の民族だな」


 ロットは生気のない目でじっとブロルの顔を眺める。その言い方から察するに、彼はどこかでブロルについての情報を得ていたようだ。


「私を説得するのは諦めた方がいい。道を踏み外した人間の心に訴えかけたところで、何も響かないのだから」


 次の瞬間、ロットは素早くブロルの手を引いた。体勢を崩したブロルはそのまま彼の腕の中に収まり、目を閉じてぴくりとも動かなくなる。


「ブロル!」


 一斉に向かってこようとする隊員たちを手で制し、ロットは言った。


「動くな。邪魔をしなければこの子に危害は加えない」


 魔術を掛けられたわけではないのに、隊員たちは身動きが取れなかった。ロットは既に人を殺している。本気になればブロルですら手に掛ける――彼の目を見て、それを感じ取ったのだ。


「お前たちは魔導師だ。……道を間違えるなよ」


 ロットはブロルを抱えたまま、じりじりと後退あとずさっていく。その後ろは谷だ。


「隊長っ!」


 ルースの叫びも虚しく、ぐらりとかしいだ二人の体は、そのまま谷底へと落ちていった。





 人気も無く静まった夜の空気の中、監獄へ繋がる正式な橋の上を、人影が駆け抜けていく。自警団の制服を着た少女だ。シルバーブロンドの髪とその背格好はセルマと見紛うようだったが、彼女の腰にはサーベルが携えられていた。

 同盟の男が二人、彼女を追っている。徐々に距離が縮まり、腕を伸ばせば届く範囲に男たちが踏み込む。次の瞬間だった。

 彼女は振り向いてサーベルを抜いた。敵が動揺したその一瞬に、肩口を切り付け、後ろへ回り込んで脚の腱を切った。

 反撃を予想していなかった同盟の人間たちは、為す術なく橋の上に倒れ込んだ。


「セルマが、なんで……」


 苦痛に顔を歪めながら、一人が少女を見上げた。巫女がサーベルなど使えるはずがない、そう思っていたのだ。


「私はセルマじゃない」


 彼女はそう言って髪を掴むと、唐突にそれを引っ張る。はらりと外れたかつらの下には、黒髪が覗いた。


「クロエ、大丈夫か!」


 第一隊のフローレンスが橋の上を駆けて来る。そして倒れた二人に視線を落とすと、魔力を封じるロープで手早く捕縛した。


「お前ら、たばかったのか。セルマはどこだ」


 縛られながら、同盟の一人が呻く。


「騙される方が悪いんだぜ。エイロンがいなきゃ、本物と偽物の区別も付かないんだな」


 フローレンスが鼻で笑ってその男の額に触れると、男はすぐに気を失った。彼はそのまま、男の上着の中をごそごそと探る。ややあって、そこから拳銃を取り出した。


「なるほどね」


 フローレンスはそれを手に、もう一人の男に近付いていく。そして側に屈んだかと思うと、拳銃の撃鉄を起こして男の額に突き付けた。


「魔導師がどうして銃を使わないか、教えてやろうか?」


 刺さるように冷たい声音だった。クロエは止めようにも止められず、固唾を呑んで状況を見守る。

 男は気丈にも、フローレンスを睨み付けていた。


「銃で魔導師が何人殺されようが、俺たちがこれを使うことはない。人を簡単に殺せる道具だからだ。分かるか?」


 男は答えない。


「どんな理由があろうとも人を殺してはならない、それが魔導師の掟だ。たとえ相手が、お前らみたいなクソ野郎でもな」


「綺麗事を並べるな」


 男が吐き捨てた。


「ああ、綺麗事だよ」


 フローレンスは撃鉄を元に戻して、銃を投げ捨てた。


「掟を破った魔導師なら、身近にいる。だからどうしたって話だ。俺には関係ない」


 それがロットのことを指しているというのは、クロエにも分かった。フローレンスは淡々と続ける。


「人を傷付けることが魔導師の仕事じゃないってのは、嫌というほど理解してるんでね」


 そう言って、その男も気絶させた。彼は立ち上がり、クロエのサーベルを顎でしゃくった。


「そんなもの、早く仕舞っちまえよ。こいつらは俺が切ったことにしとくから」


 本来、クロエはおとりになるだけの予定だった。念のためサーベルは持っていたが、剣を抜くことは事情を知るイーラに止められていたのだ。

 しかし、襲撃してきた同盟の人数が予想外に多かった。陽動作戦に参加した隊員はクロエも含めて7人。本物のセルマの一団と同じにしてあった。対して同盟は、20人近くいた。

 作戦が上手くいった証拠ではあるが、ここで偽物と気付かれてはセルマたちを危険に晒すことになる。少なくとも彼女らが山の入口に辿り着くまでは、時間を稼ぐ必要があった。

 そこでクロエは、恐怖におののいたふりをしてその場から逃げた。医務官とはいえ足は速い方だ。彼女が攻撃など出来ないと高を括って、同盟がたった二人で追ってきたのも運が良かった。


「はい」


 クロエはほっと息を吐いて、サーベルを鞘に収める。今回は自制心を失わずに戦うことが出来た。人を傷付けるのが魔導師の仕事じゃない――先程のフローレンスの言葉が、まだ耳に残っていた。


「カイが無事だといいな。君がこの作戦を言い出したのも、あいつのためだろ?」


 フローレンスはにやりと笑ってクロエを見たが、彼女は真顔のままこう返した。


「魔導師として自分が出来ることをしようと思っただけです。カイに、許されたかっただけかもしれないけど……」


 言葉に詰まった彼女の頬を、涙が一筋伝っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ