51、心配
第一隊の会議室には良く似た面立ちの、榛色の髪をした二人がいた。第一隊のグルー兄弟だ。
弟のフローレンスが机に寄り掛かり、以前には無かった唇のピアスを弄りながら話す。
「なぁ兄貴、質問」
副隊長補佐の兄、ライラックは窓の外を覗きながら無言だった。昼の太陽を翳らすように雪が舞い、それが徐々に地面を白く染めていく。ふとした沈黙に、暖炉で爆ぜる火の音がぱちぱちと響いた。
やがて口を開いた彼は、呟くようにこう言った。
「……こんな天気の日は、外がやけに静かだな」
「外だけじゃなくて、中もだよ。こんなに色々起きてて、自警団の中はいつも通りだろう。なんか気持ち悪くないか?」
「確かに」
ライラックは小さく笑い、フローレンスに向き直る。
「でも、今更か? 第二隊が本気を出したら、俺たちの想像の及ぶところじゃないだろう。彼らは徹底的に情報を止めるし、操作もする。自警団内部のことなら尚更、簡単だ」
「そうだけどさ。俺はカイが心配で、夜も眠れないんだぜ。……眠れないは言い過ぎか。寝付きが、悪い」
フローレンスは少し苛立ったように、こつこつと机を指で叩いた。
「途中まででもいいから、俺も同行出来ないもんかね」
「お前まで抜けたら第一隊はどうなる。柄が悪いと評判ではあるが、お前がいないと隊員たちの士気が下がるぞ」
「柄が悪い? 第三隊の方が似合ってるってか」
フローレンスは自虐したが、それでも兄の言葉に少し嬉しそうな顔をしていた。見た目は厳ついが、根は真面目なのだ。
そもそも彼がそんな容姿を好むのは、その名前のせいだった。フローレンスという女性名を付けられ、幼い頃から女の子に間違われてきたからだ。
彼らの母親の家系は性別に関係無く、可愛らしい名前を付けるのが好きなようだった。従兄弟にはリリアンやロージー、マーガレット、カレンデュラなんかもいる。おしとやかな子に育ってほしいという願いが込められているらしいが、残念ながら全員願い叶わずといったところだ。
「いや。お前が第三隊にいたら浮くと思うぞ。……静かに」
ぱっとドアの方に顔を向け、ライラックは低い声で言った。
「廊下に誰かいるな」
「見てくる」
フローレンスは小声で言い、腰のサーベルに手を掛けつつ、素早くドアの前に移動した。耳を澄ますと、落ち着きなく部屋の前を行ったり来たりする足音が聞こえる。それほど重さのある足音ではない。女性か、小柄な男性だろう。
盗み聞きにしては杜撰すぎるし、同じ隊の人間ならば、遠慮せずノックくらいはするはずだ。どちらでもないということか。
何にせよ正体を知る必要がある。フローレンスは勢い良くドアを開け、廊下に飛び出した。
「きゃっ!」
甲高い声と共に、誰かがそばで尻餅をつく。白衣を纏った医務官、クロエだった。
「悪い。驚かせたな」
フローレンスはサーベルから手を離して、クロエを助け起こした。彼女の手はひやりと冷たい。この寒い廊下に、長いこといたのかもしれない。
「何か用?」
「あの……」
クロエはフローレンスの顔を見て、口ごもった。緊張しているようだ。
「そんなにびびるなよ。あれだろ、君、カイの同期だろ」
フローレンスは何度か、カイが彼女と親しげに話しているのを見たことがある。仕事中は大体しかめっ面のカイが、その時は笑顔を見せていたのが記憶に残っていた。
クロエはほっとしたように表情を弛め、頷いた。
「はい」
「それで、第一隊に何か用か?」
「カイが無事かどうか、心配になって。個人的にあちらへナシルンを送るのは禁止されていますし、知る術が何もないんです……。何か、ご存知ないですか?」
なるほどな、とフローレンスは思う。自分でもこれだけ心配なのに、同期の彼女が心配しないはずがない。
すがるような目でクロエに見上げられて、フローレンスは少し胸が痛くなった。思えば彼女らはたったの16歳なのだ。いくら魔導師といえども、命を懸けるにはまだ若すぎる。
「今のところ全員無事だよ。彼らの安全のために、何処にいるのかは言えないけどな。心配するな。カイは俺が知っている部下の中で、一番しぶとい奴だから」
それはクロエを安心させるための嘘ではなく、彼の本音だった。
「良かった」
そう言って、クロエはその目を潤ませた。
「それだけ確認したかったんです。絶対、みんな無事に帰ってきますよね」
「ああ。俺もそう信じてる。……というか君、カイのこと好きなの?」
遠慮というものをあまり知らない彼は、素直に疑問を口にする。だが、クロエは動揺もせずに答えた。
「もちろん仲間として、好きです」
「そうじゃなくて、その、恋愛対象というか」
「……私にそんな資格はありません。教えて頂いて、ありがとうございました。失礼します!」
クロエは軽く頭を下げ、逃げるように去っていく。
「資格って、なんだ……?」
フローレンスは首を捻りながら、彼女の背中を見送っていた。
「じゃあ、同盟の仕業じゃないんですか?」
エーゼルが驚きの声を上げる。夕刻になり、一行は全員が目的地、南7区のトワリス病院に到着していた。ベロニカが建設に携わった精神病院だ。
彼らは医務官の詰所らしき部屋に案内されていた。とはいえまだ使われていない病院だから、机と椅子以外には何も無い。天井から急遽吊るされた質素なランプの明かりも相俟って、犯人に尋問をするための聴取室のような雰囲気だった。
その部屋でエスカが、本部からの報告を伝えていた。獄所台の魔導師が街にいた件についてだ。刑務官が銃撃され、獄所台はその犯人を追って街に出ていたこと、犯人は確保され、それが被害者と同じく刑務官であったこと。
意識不明だった被害者は中央病院で意識を取り戻し、レナに真相を語ったそうだ。
「そうだ。加害者は趣味で狩猟をやっていて、猟銃を所持していた。武器も腕も申し分なかったというわけだ」
「獄所台の人間がそんなことをする理由って、何ですか? 逃げ切れないのは分かっているはずなのに」
オーサンが尋ねる。
「端的に言うなら口封じだな。加害者は獄所台内部の情報を誰かに渡そうとしていた。被害者はそれを、上官に報告しようとしていたそうだ。焦った加害者にとっては逃げ切る云々よりも、確実に口を封じることが先だったんだろう」
「誰か、って」
「それはこれから明らかになるはずだ。まあ、同盟の人間と考えるのが妥当か」
一瞬、場の空気が張り詰めた。獄所台は凶悪な犯罪者を社会から隔離する為の、最後の砦なのだ。そこが同盟の手に落ちれば、リスカスの平和は露と消えることになる。
「警備情報、あるいは監獄の囚人に関する情報でしょうか」
ルースが言った。
「監獄を襲撃して、自分たちの仲間に出来そうな囚人を脱獄させる。完全な外部からの攻撃では不可能ですが、内部に手引きをする人間がいれば可能です」
「本部の医務室襲撃っていう、実例があるしな」
エスカは肩を竦めてみせる。端の方で黙って話を聞いていたベロニカが、ほんの少し身じろぎした。彼女が今、支部の地下で匿っているエドマーは、その医務室襲撃の手引きをした人間だ。自分が責められたわけではないが、少し苦々しい気分になった。
「外側が頑丈に見えるものほど、内側は脆かったりする。例え獄所台でも中から崩せば容易いと同盟は思っているんだろう。事実そうでないことを祈るけど」
それを聞いて、エーゼルが焦ったように尋ねた。
「もちろん、同盟に情報を渡す前に加害者は捕まったんですよね?」
「それはそうだろう。加害者は逃げることに必死だったろうし、獄所台もそこまで馬鹿じゃない。この件は、もう俺たちには関係無いとイーラ隊長も考えている。俺たちが考えるのはどうやってガベリアへ向かうか、それだけだ」
一同がそれぞれの思いに沈黙したところで、ベロニカが控え目に口を開いた。
「……あの、とりあえず夕食にしませんか? 皆さんお疲れでしょうし。厨房は使えるので、良ければ私が作ります」
「いいね。お腹も空いたし。僕も手伝うよ」
ぱっと顔を輝かせたのはブロルだった。そのおかげで、暗く重々しい空気が不意に和らいだ。
「料理出来るのか?」
セルマが尋ねる。
「もちろん。鳥とか鹿の解体、得意だよ。火もすぐに起こせるし」
「……そういえば、山の民族だったな」
そう言って、オーサンが笑った。あまりにも馴染んでいるから、それをすっかり忘れていたのだ。
皆が談笑を始める中、ルースは一人、すっと部屋を抜け出した。病院の外へ出て小さく口笛を吹くと、すぐにナシルンが飛んでくる。
彼はそれにメッセージを吹き込もうとして、止めた。別れ際の彼女の顔が頭に浮かぶ。ガベリアへ行くと覚悟を決めたのは自分なのだから、こんな女々しい真似をしてはいけない。
(ミネが無事でいてくれますように)
ルースはナシルンを夕闇の空に放つ。ナシルンに心を読み取る能力までは無いから、きっと真っ直ぐに小屋に戻ることだろう。
かさりと草を踏む音がして、エスカが姿を現した。
「こっそりナシルンなんか飛ばして、密告か?」
「まさか」
ルースは寂しく笑う。
「知ってるよ。冗談だ」
エスカも笑い、視線を上に向けた。紺色に染まっていく空に、月が小さく浮かんでいる。風もなく、辺りは静けさに包まれていた。
「……キペルに残してきた仲間が心配か?」
「ええ。でも、全員そうでしょう」
「まあ、それはそうだけど」
エスカにも思い当たる人物がいた。彼女がどんな気持ちで自分を待っているかと思うと、途端に普段の軽口も叩けなくなる。
沈黙が続いた後、ルースが口を開いた。
「エスカさん。ガベリアが甦ったとして……、僕らはまた、悪夢で消えた人たちに会えるんでしょうか」
「会える、って?」
「死んだ人間は甦らない。それは分かっています。でも、幻でもいいんです。この目で見て、お別れを言いたい」
ルースは上を向き、目から溢れそうになるものを必死で堪えた。
彼がガベリアの悪夢によって家族も友人も、故郷さえも失ったことを、エスカは知っていた。だからこそ、気休めの言葉は言えなかった。
「セルマをガベリアへ連れていくことが出来れば、答えは出るはずだ。それまで……、たまには弱味を見せたっていい」
エスカはポケットから皺の無いハンカチを取り出し、ルースに差し出した。
彼に顔を向けたルースは、赤くなった目を少し細め、笑った。
「その手には乗りません。エスカさんは人たらしですから」
「可愛いくない奴」
エスカも笑って手を引っ込める。そしてルースが新人だった頃の、屈託の無い笑顔を思い出していた。ガベリアが甦れば、彼はまたあんな風に笑うのだろうか、と。