50、宝物
「刑務官が襲われた」
中央病院の休憩室。一人で遅めの昼食を摂っていたレナの元に、バジスが足早にやってきてそう告げた。
レナは食事の手を止め、鋭い視線をバジスに向ける。
「獄所台のか」
「それ以外に刑務官なんていないだろう。向こうの医務官からの情報だ」
「どうしてそんな情報がこっちに回ってくる?」
当然、獄所台にも専任の医務官はいる。獄所台の魔導師や囚人の治療は彼らが行い、情報が外部に漏れることはない。
「念のためベッドを空けておいて欲しいから、だそうだ。刑務官は意識不明の重体で、近い内、こっちに搬送されるかもしれないと」
「向こうでは手に負えないってことか。一体、誰に何をされた?」
同盟の仕業か、とレナは考えた。彼らが刑務官を襲う理由は、無いとは言えない。監獄にいる仲間を取り返すためだと考えれば、あり得なくはないのだ。
新たな同盟のことはバジスや他の医務官にも話してあった。これから増えるであろう同盟の被害患者に備える必要がある。
「恐らく、同盟だろうな。犯人は銃を使った。百戦錬磨の刑務官相手に、自分達の魔術が通用しないことを分かっての犯行だろう」
「どの程度の怪我だ」
レナは怒りを噛み殺し、唸るように尋ねた。医務官として、患者の状況は冷静に把握しておかなければならない。
バジスは眉間に皺を寄せて、言いにくそうに答えた。
「……頭部に被弾して、頭蓋が一部吹き飛んだ。9年前のクーデターと――」
「やめろ」
レナは遮った。脳裏に浮かんだ光景に、勝手に手が震え始める。彼女はそれを誤魔化すように、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「そうだったな。お前は……」
バジスはそこで言葉を切った。彼は知っているのだ。損傷の激しかったベイジルの遺体の修復に、レナが関わっていたことを。
その頃のレナは既に自警団の医長だった。近衛団には専任の医務官がいないため、関わらざるを得なかったのだ。遺体の修復は、当時の近衛団長セレスタ・ガイルスの命令だった。
レナは深呼吸し、自嘲するように言った。
「生まれて初めて人前で吐いたよ、あのときはな。惨たらしい以外の言葉が見付からなかった。……あのときのことは誰にも話すつもりはない。例えカイが知りたいと望んでもだ」
遠い目をした後、彼女は溜め息を吐いて話を戻した。
「それで、その刑務官は男なのか、女なのか。年齢は?」
彼女の中に微かな不安が生まれていた。撃たれたというのはもしかして――。
「獄所台に入ったばかりの男性らしい。36、7歳くらいだろう」
「そうか」
ほっとした。レナの頭に浮かんでいたのは他の誰でもなく、コールの姿だったのだ。
今更心配する義理などない。亡霊のような存在なのだから、どこでどうなっていようと関係ない。頭ではそう考えていても、彼女の心は真逆のことを思っていた。
「……若いなら、回復の見込みはあるだろう。ベッドは空けておく。もし運ばれて来たら、呼べ」
レナは早口に行って、立ち上がった。自分でもどんな表情をしているのか分からない顔を、これ以上バジスに見られるのは嫌だった。
「何処へ行く? まだ食事も途中だろう」
「食べる気が失せた。お前の間が悪いからだ」
背を向け、歩き出す。
「まあ、待て。まだ話がある」
バジスが引き留める。
「なんだ」
「犯人を追って、獄所台が珍しく街に出ているそうだ。お前はあまり出歩かない方がいい」
含みのある言い方だ。レナは振り返り、バジスを睨み付けた。
「何のことだ」
「コール・スベイズを知っているだろう」
バジスの口から出た名前に、レナは動揺した。微かに泳いだ目を彼は見逃さなかった。
「俺は心配しているんだよ、レナ。長年の仲間として。ずっと黙っていたが、お前が彼とどんな関係だったか知らないわけじゃないんだ」
「だったらなんだ。獄所台に通報でもするか」
敵意を剥き出すレナに、バジスは悲しげな表情を浮かべた。
「違う。お前は彼と繋がってはいないんだろう。彼が獄所台へ行ったそのときから。通報する理由なんてない」
「それなら――」
「守りたいものがあるんじゃないのか。いや、守りたい人、か。だから俺は、彼との関係を獄所台に疑われるような真似はするなよと言っている。今はそこかしこに獄所台がいるわけだから。それだけだ」
バジスはレナの横を抜けて、ドアへと歩いていく。
「知っているのか」
レナが呟いた。
「私の……娘について」
バジスは彼女に背を向けたまま、頷いた。
「何年か前に一度、怪我をして病院に来たことがある。俺が治療したが、その後に通り掛かったお前が聞いてきただろう。『あの子はどんな怪我だったんだ』って。
不思議に思ったよ。入院患者で手一杯のお前が、外来の患者を気にするなんて。後から診療録を見て分かった。その子の生年月日、それにあの顔。たぶん、お前が存在を隠し通してきた子供なんだろうって」
「そんなことで疑ったのか」
「それだけじゃないさ。あのときのお前は、母親の顔をしていた」
「……私はもう、あの子の母親じゃない」
背中で聞こえるレナの声は震えていたが、バジスはあえて振り向かなかった。彼女が他人に弱味を見せることをどれほど嫌うか、理解しているからだ。
「今もまだ母親、の間違いだと思うがな」
それだけ言って、彼は部屋を後にした。
広い王宮の一室に、金属を打ち付ける音が響く。しばらくしてその軽快な音が鳴り止むと、優しい声が言った。
「はい、直りましたよ。カタリナ王女」
銀細工職人のフリム・ミードは、花を模したブローチを幼い王女に差し出した。精緻な造りのそれは、色を付ければまるで本物にも見えるような出来映えだ。
「あなたやっぱりすごいわ、フリム。今度は壊さないように、大事にする!」
王女は屈託ない笑みを見せ、フリムもその大きな丸い目を細めて笑った。
「恐れ入ります、王女。では、失礼を」
彼女は道具を木箱に片付けて立ち上がった。質素な青いワンピースに、白い生成りのエプロン。髪は邪魔にならないようターバンの中に仕舞われていて、まさに職人といった出で立ちだ。
廊下に出ると、ちょうどそこを歩いていた近衛団員と目が合った。厳つい顔立ちの男性だ。フリムはよく王宮に出入りするから、何人かの近衛団員とは顔見知りだった。
「あなたも忙しいな、フリム。ついこの間も修理に来ていなかったか?」
そう言ったのは、ラシュカだった。
「仕事があるのは嬉しいことですよ、メイさん。魔力のない私が誇れるのは、この手先だけですから」
フリムは笑い、片手をひらひらと振ってみせた。
「その若さで王宮に出入りするなんて、立派なことだ。名前の通り、宝物を持っているってことだな」
ラシュカは表情を弛める。フリムは24歳、王宮に出入りする他の職人が皆60歳を超えていることを考えると、かなり若い方だ。
フリムとは古代キペル語で『宝物』を意味する言葉だった。
「ふふ。どんな思いで付けてくれたのか、いつか会えたら、聞いてみたいです。では」
フリムは少しだけ寂しそうな顔をし、歩いていった。