47、予想外の印
南4区から出発する汽車の中に、ルースとブロルの二人はいた。二人掛けの座席が通路の両側に並ぶ二等列車だ。早朝で、彼らが座る席以外に乗客はいないようだった。
ブロルは帽子を深く被って、首元にマフラーをぐるぐると巻いている。その間に覗いた瑠璃色の目が、興味深く窓の外を見ていた。端から見れば、自警団とそれに連行される少年といったところだ。
「僕、こんなに早く動くものに乗ったことがない。……ねえ、ルース」
ブロルはマフラーの下で不安げな声を出し、傍らのルースに顔を向けた。
「ん?」
「僕は山から下りない方が良かったのかな。そうすれば、みんなを巻き込まずに済んだよね」
「気にしなくていい」
ルースは微笑んだ。
「君は大切な人を追ってきただけだろう。それに、ガベリアへ入るには君の力が必要だ。ところで、一つ聞きたいんだけど」
「うん」
「君はオルデンの樹について、どんなことを知っているんだい?」
「これ?」
ブロルは首元から紐を引っ張り出す。その先に揺れる透明な水晶の欠片――黒く染まる前のオルデンの樹が、朝の光に煌めいた。
「魔力の源っていうことくらいしか、知らない。あとは、樹の力を抑えるために巫女が必要だとか。きっと、ルースたちが知っている以上のことは知らないと思う。ごめんね、役に立てなくて」
ブロルは悲しそうに目を伏せる。
「いや、いいんだ。じゃあ、オルデンの瞳については?」
ガベリアの何処かに存在するという、瑠璃色の湖だ。ブロルの顔が、ぱっと輝いた。
「それね、一つだけ思い出したことがある。大昔、僕らの民族の一人がその湖に身投げしたんだって。それで、水が瑠璃色に変わったらしいよ」
「身投げ? どうして」
「若い男の人で、僕らの所へ来た研究者の話だと、巫女の恋人だったんじゃないかって」
「恋人……」
赤子の頃から王宮の中で育てられ、その後は洞窟の中で生きている巫女が、人間と恋仲になることなど可能なのか。ルースはそう思った。
例外はある。タユラとエイロン、そしてまだ確定はしていないが、イプタとロットの関係性だ。相手が洞窟に出入りする魔導師なら、可能性がゼロではない。
ブロルは少し考えた後、こう言った。
「大昔の巫女は、生まれてすぐに保護されたりしてなかったんじゃないかな。ある程度の年齢になったら、洞窟に入るような感じだったのかも。それまでは普通に街で暮らしていたのかもよ」
「なるほどね。それなら恋人同士になる機会もあったか」
言ってから、ルースの頭にもう一つ疑問が浮かんだ。
「その巫女も、君らと同じ民族だったということ? ずっと山に住んでいるんじゃ、街に住む巫女とは出会いようがないだろう」
ブロルは首を捻る。
「そうなのかなぁ。大昔は、僕らの民族もよく街に下りていたみたいだし。だけど民族の一人が人柱にされてから、山に籠るようになったって父さんは言ってた」
不穏な言葉を耳にして、ルースは微かに眉根を寄せた。
「人柱?」
「そう。僕ら、容姿がリスカスの人たちとは少し違うでしょう。特にこの目。だから、何か特別な力があると思われていたみたい。酷い水害が続いた時に、民族の一人を捕らえて、生きたまま川に沈めたんだって」
「……酷いことをするね」
「大昔の話だよ。今の人たちがそんなことをするとは思わない。ルースも、他のみんなも優しいからさ」
ブロルはそう言って笑い、また窓の外を見た。
「僕は人を信じている。ガベリアは甦るし、エイロンもきっと戻ってくるって」
時刻が正午に近付く頃、エーゼルとオーサンの二人は、運び屋を使って一足飛びに南7区に到着していた。
「俺たち、たぶん一番乗りですね。エスカ副隊長やルース副隊長みたいに人目を引かないから、移動も楽だ」
7区の街中を歩きながら、オーサンは軽く自虐した。街は昼食目当ての人々で賑わっているが、自警団の制服を着た二人に目を止める者はほとんどいない。
「副隊長と同じくらい目を引くなんて、おこがましい。口を慎め」
エーゼルが不機嫌な声を出すと、オーサンは思わず笑った。
「厳しいこと言いますね。さすがルース副隊長のストーカー。ところで、ベロニカさんの病院ってどこでしょう」
「お前、今聞き捨てならないことを……、まあいい。病院は街外れだな。巨大な庭園の端にあるらしい。心穏やかに過ごせるようにってことだろう」
エーゼルはポケットから地図を取り出して広げた。7区の外れ、広い庭園の敷地の中に『トワリス病院』と記された点がある。
「ベロニカさん、もう着いてますかね」
「ナシルンでも送ってみようか。……ん?」
エーゼルは不意に、自分の足元に視線を落とした。4、5歳くらいの少年が、外套の端をつんつんと引っ張っている。
「なんだい?」
彼は屈んで、少年に目線を合わせた。
「ねえねえ、お兄さんたち、魔導師なの?」
「そうだよ、少年」
そう言って笑う。意外にも、子供には優しいようだ。
「ぼくね、色んな魔導師見たことあるんだよ。赤みたいな色の服と、紺色と、黒!」
少年は自慢気に話す。それぞれ、近衛団と自警団、それと魔術学院の教官だろう。
「それはすごいね」
「マークも覚えてるんだ。赤はライオンでしょ。紺はワシで、黒は馬だった!」
それを聞いた二人の表情が、さっと険しくなった。
学院教官の制服に刺繍されている印は、自警団と同じ鷲のはずだ。一般市民がおよそ見ることのない、馬の印は――。
「獄所台……」
オーサンが呟いた。
「君、その馬のマークはいつ見たのかな?」
笑顔を絶やさないように気を付けながら、エーゼルは少年に尋ねる。
「えっとね、昨日! 街の人に、この街でいつもと変わったことは無いかって、聞いてたよ。僕も聞かれたからね、にんじん食べられるようになったよって言った!」
少年は満面の笑みで答えた後、母親に呼ばれて駆けて行く。エーゼルとオーサンは顔を見合わせ、声を落とした。
「獄所台が、街で聞き込みですか」
「只事じゃないってことだ。問題は何を調べているかだな。エイ……あの人のことだとしたら、どこかから情報が漏れている可能性がある」
「内通者ですか? 身内を疑うのは疲れますね」
オーサンは溜め息を吐いた。自警団か、近衛団か。疑いが深まれば深まるほど、仲間内の結束は乱れるものだ。
「少なくとも俺たちの中にはいない。そう信じている。……とにかく、病院へ急ごう」
二人は怪しまれない程度の早足で、病院への道を進んでいった。