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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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46、一人前

「裏切られた気分だった。でも、私も中途半端に大人だったからな。彼の未来を考えたら、子供が出来たことは言えなかった」


 うっすらと涙を浮かべて話を聞くナンネルに、レナはそう語った。


「彼が簡単に獄所台へ行くことを決めたわけじゃないことは分かっていた。リスカスで唯一、人を裁く組織だ。重圧も責任感も私たちの比じゃないだろう。ほぼ命令とはいえ、魔導師として相当な覚悟をもって決めたはずなんだ。

 だからこそ自分の存在が相手の足枷(あしかせ)になってはいけない。そう思ったんだ。お前も、エスカに妊娠を隠したいのは同じような理由なんじゃないのか」


「……医長の仰る通りです。彼は魔導師として、正しいことをしている。わたくしはそう信じています。リスカスの未来か、私か。彼にそんな選択をさせることは出来ませんから。私も、中途半端に大人なのでしょうか」


 ナンネルは目元を拭い、弱々しく笑った。


「そうだろうな。で、これからどうするつもりなんだ? 周りに妊娠を隠し通せるのも、最初のうちだけだぞ」


「私の仕事はそもそも内勤ですので、しばらくは続けるつもりでいます。でも、お腹が目立つようになる前には、自警団を辞めます」


 ナンネルの言葉からは躊躇いが感じられる。


「苦労して入った場所ですから、悔いは残りますが……妊娠が分かれば、父親が誰なのか詮索はまぬがれない。第二隊の仲間にはきっと知られてしまいます。そうなれば彼の耳にも入りかねません」


「その前にエスカが戻ってくれば、何も問題は無いってことだな。お前は信じているんだろう。だったら、帰ってきたあいつに責任を取らせるくらいの気持ちでいた方がいい」


 レナはそう言って、ナンネルの肩を優しく叩いた。


「一人で思い詰めるな。そうなると取り返しのつかない悪い選択をしがちだ。イーラも上手いことやってくれるだろうし、私もお前の力になれる。子供のことだけ考えていればいい」


「……ありがとうございます」


 ナンネルは涙ぐみながら、しっかりと頷いた。


「じゃあ、私は仕事に戻る。何かあったら遠慮せずに呼べ」


 部屋を出ようとしたレナを、ナンネルは呼び止めた。


「あの……医長は、隠し通せたのですか? お子さんが獄所台の魔導師との子供だと」


「今も隠し通しているさ。子供の存在が明らかになれば、その子が父親と母親……獄所台と自警団を繋ぐ役割を果たしていると疑われる。幼いならまだしも、もう立派な大人だしな。

 そもそも、周りは私が子供を産んだことすら知らない。それにあの子は……もうとっくに、私の子じゃない」


 それ以上は語らず、レナは背を向けて部屋を出ていった。





「次の合流は南7区にある病院だ。ベロニカが先回りして待っているらしい」


 まだ夜が明けきらない早朝の宿で、出発の準備を終えた隊員たちにエスカが説明した。


「病院ですか。それって、患者を巻き込んだりしません?」


 まだ寝ぼけ眼のオーサンが尋ねる。


「問題ない。今は使用されていない場所だ」


「え、廃墟ってことですか?」


「真逆だよ。建てられたばかりだ。これから開院する予定の病院だから。ベロニカ肝煎(きもい)りの、精神病院らしい」


 一同は少し驚いた表情になった。


「ベロニカさん、病院作ったんですか。すごいなぁ。でも、どうして精神病院なんでしょう」


 エーゼルが言った。


「詳しくは聞いていないが、彼女は心の治療に力を入れたいそうだ。今は専門の医務官集めに苦心しているらしい。心の病は怪我と違って目に見えない分、治療も難しいから」


 エスカの言葉に、カイの指先がひくりと動いた。今もまだ病院の精神棟にいる、自分の母親を思ったのかもしれない。

 エスカは一息吐いてから、こう続けた。


「さて、人数も増えたことだし、三組に分かれて出発だ。カイとセルマは俺と一緒に。ルースはブロルと、エーゼルはオーサンとだ。行き方は任せる。死ななきゃそれでいいさ」





『自警団所有品』とのラベルが貼られた大きなトランクを、エスカは軽々と抱えて二頭立ての馬車に乗り込む。カイは何故か、それを落ち着かなげに見ていた。


「自警団の方、大きい荷物は屋根の上に乗せられますよ。中は狭いでしょう?」


 馭者ぎょしゃがそう声を掛けるが、エスカは首を振った。


「大切な物なので。ご心配なく」


「左様ですか。6区で乗り換えですから、着いたら教えます。二時間くらいですかね」


「ありがとう。()()()()でよろしく」


 エスカは馭者に多目のチップを握らせる。ここで見たもの、聞いたことは口外するなという暗黙のやり取りだ。馭者はにこりと笑い、キャビンの扉を閉めた。

 カイは馬車が動き出すと、床に置かれたトランクに向かって小声で話し掛ける。


「おい、大丈夫か」


 トランクからは返事とも呻き声ともつかない声が聞こえてきた。


「今出してやるからな」


 カイは手早く金具を外して、トランクを開けた。そこで小さく身を折り畳んでいたのは、他でもないセルマだ。


「鞄に詰められたのは、生まれて初めてだ」


 セルマは顔をしかめながら出てきて、大きく伸びをした。それを見て、エスカは少々申し訳なさそうに言う。


「お疲れ様。すまないね、無理を言って」


「長時間は無理だけど、まあ、安全のためには仕方ないだろ。誰も、巫女が鞄に詰め込まれてるなんて思わないだろうしさ」


 セルマは笑った。


「しばらくは出ていてもいい?」


「ああ。ただ、馬車が止まったらすぐ入ってくれ」


「他にもっといい方法、無いんですか」


 カイが不満げに尋ねると、エスカはにやりと笑った。


「全員木箱に入って、荷物として運ばれる手もあるぞ。お前が誘拐されたときに俺たちが使った方法だ」


「……いいです」


 カイはあの時エスカたちに助けられた手前、それ以上の文句は言えなかった。

 車窓の景色は流れ、森に入った。枯木の続く道は物寂しく、馬車ががたがたと走る音以外は何も聞こえない。


「なぁ、カイ」


 しばらくして、エスカが口を開いた。


「はい」


「俺は立場上、お前の母親の話を知っている。今は南6区の病院に入院しているんだろう?」


「えっ」


 セルマが思わずカイの顔を見る。彼の口からは、一言も聞いていないことだった。


「……そうですけど、それが?」


 動揺を隠すように、カイはエスカから目を逸らした。


「会いに行くなら、その時間を作る。遠慮しないで言え」


「俺は」


 カイは微かに赤くなった目で、エスカを見返した。


「ガベリアへ向かうこの旅に、私情を挟んでいいとは思いません」


 その声は尻すぼみになった。


「もう二年以上母親に会っていないんだろう。『僕から言っても、あの子は意地を張るだけだから』って、ルースに頼まれた」


「副隊長が……。でも俺は、一人前の魔導師になるまでは会わないって決めているんです」


 自分が弱いせいで、母親がメニ草の餌食になった。その責任感が、彼にそう決めさせたのだ。


「お前はもう一人前だ。セルマがここにいることが何よりの証拠だろう? 今のお前は、ちゃんと大切な人を守ることが出来る。俺たちは全員、そう思ってるよ。だから胸を張って母親に会いに行け」


「……はい」


 そう言ってからカイはすぐに鼻をすすって、窓の外に顔を向けた。何がなんでも涙を見せまいとしたらしい。


「じゃ、決まりだな。6区に着いたら、病院に向かおう」

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