8、お手柄
森の中は異様なほど静まり返っていた。生い茂る木々で月光はうっすらとしか届かないが、ランプは使えない。山賊や盗賊の格好の標的になるかもしれないからだ。
足元はぬかるみ、足跡を探すどころではない。だが、手掛かりが落ちていた。靴だ。所々穴が開いていて、セルマが履いていたものに似ている。
カイがナシルンを呼んでルースに応援を頼もうかと思った、そのときだった。
「助け……」
微かに声が聞こえた。同時に、数メートル先の茂みががさりと揺れる。
カイはサーベルを抜き払った。
一瞬の沈黙の後、姿を現した5人の山賊が素早く彼を取り囲む。それぞれ槍や鉈などの武器を手に、じりじりと間合いを詰めてきた。
「魔導師が一人で何の用だ」
一人が言い、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。舐められているな、とカイは冷静に考えた。その分、相手には隙があるということだ。
「見たことない顔だ。いつもの奴らじゃない」
顔にいくつも傷を持つ男が、そう言ってカイを睨め回した。いつもの奴らとは第三隊のことだろう。顔の傷は、手加減を知らない彼等にやられたのかもしれない。
「何とか言え、寝癖野郎め」
その言葉にぶちりと切れそうになるのを堪えて、カイは柄を握る右手に力を込めた。息を吐き、前方に伸ばした右手でサーベルを目線の高さに構える。顔に向いた切っ先が頬に触れないよう、左の指を刀身の峰に添える。独特の構え方はルースに教わったものだ。
そのまま限界まで集中力を高めていく。魔導師のサーベルは魔術によって切れ味を『調整』出来るのだ。魔術を使わなければ、紙さえ切れないただのガラクタと変わりない。
全員が動きを止め、空気がぴんと張り詰めたそのときだった。
「掛かれ!」
号令を皮切りに、山賊たちが一斉に襲い掛かった。四方を囲まれたカイに逃げ場はない。だが、彼が焦る様子は微塵もなかった。
刹那、金属の触れ合う衝撃音に続いて、折れた鉈や槍が回転しながら地面に突き刺さる。一つと数える間もなかった。
突然のことに息を呑んだ男たちが見たのは、翻る魔導師の外套と、涼しい顔でサーベルを構え直すカイの姿だった。
剣術でオーサンに勝てなかったのは学生時代の話だ。訓練を重ねた今、カイの腕前は自警団を率いる第一隊に相応しいものになっている。
「ちくしょう、こいつ……!」
用立たなくなった武器を手に、山賊は一歩後退る。
「お前らは、俺と同い年くらいの少女を誘拐したか?」
カイはそう言って山賊たちに視線を巡らせた。一人の男が、先ほど声が聞こえた茂みの方をちらりと盗み見た。やはり、セルマがあそこにいるようだ。
「あいつに何をした? 暴力を振るったか?」
誰も答えない。カイはそれを、イエスと捉えた。沸いてくる怒りを抑え、サーベルを低く構え直す。
「手加減しないからな」
カイは男たちに突っ込んで行った。薄い月光にサーベルが煌めくと同時に、容赦なく一人の足首を、返す刀でもう一人の肩を斬り付けていく。急所は狙わない。どんな理由があろうとも、魔導師は人を殺してはならない。
男たちは次々に倒れ込み、くぐもった声が森にこだましていく。最後の一人が倒れると、カイは声がした茂みへと急いだ。
勢いのまま草木を薙ぎ払うと、そこにセルマがいた。手足をロープで拘束されて地面に横たわっている。殴られたせいか頬は赤く、幾筋も涙の跡があった。彼女の潤んだ目はカイの姿を捉えると、驚きで僅かに見開かれた。
「大丈夫か」
カイはすぐさま側へ行って、拘束を解いてやった。よほど乱暴に縛られたのか、細い手首には赤い痕が痛々しく残っている。
セルマは無言のまま、ゆっくりと体を起こした。それから蚊の鳴くような細い声で、こう言った。
「ありがとう……助けてくれて」
「別に助けに来たわけじゃない。逃げたお前を追って来たら、こんなことになってただけだ」
険のある言い方には、照れ隠しも多少は含まれている。カイはおもむろに自分の外套を外してセルマの肩に掛けると、ぼそりと呟いた。
「まあ、無事で良かったけどさ」
「逃げたわけじゃない」
セルマはよろけつつも自分で立ち上がり、外套の胸元を掻き合わせた。
「あんたたちが敵じゃないのは分かってる。だから、逃げたんじゃない」
「じゃあなんで――」
カイが口を開きかけたそのときだ。
「お手柄お手柄ー。カイ! どこだー?」
けたたましい声が聞こえる。オーサンが来たらしい。
「こっちだ!」
カイが手を挙げると、オーサンはがさがさと茂みを掻き分けてきた。セルマの姿を見て、少し驚いた表情になる。
「その子が重要参考人?」
「ああ」
「へぇ。あ、君。もしかしてあの男らに暴力を……受けたみたいだな」
セルマの頬を指差して言った。やけに嬉しそうだ。
「あいつら、ついに現行犯逮捕だ。カイ、サーベルを返せ」
オーサンは奪い取るようにしてサーベルを掴んだ。カイに仕留められた山賊たちは、未だ地面に倒れ込んで呻いている。
「あの山賊たち、どうするつもりだ?」
「ん? 現場を押さえられていないだけで、余罪がたっぷりあるはずだから、吐いてもらうのさ。全部俺の手柄。にしても、カイ、なかなかやるな。あれ、一人で全部か?」
カイの剣術が学生時代の記憶で止まっているオーサンにしてみれば、驚きの成果だ。
「ああ」
「凄いじゃん。でも、甘い。もっとぎりぎりを攻めないと」
オーサンは男たちの元へ歩いていき、サーベルを素振りした。嫌な予感がし、カイは寸でのところでセルマに後ろを向かせる。
そのままオーサンは一人の腕を刺し貫いた。聞いている者の身がすくむような悲鳴が上がり、セルマもびくりと肩を縮こませた。
「逃げ回るのもこれで終わりだ。他の仲間はどこにいる?」
半ば楽しんでいる様子で、オーサンは訊いた。しかし男が答えないと分かると、突き刺したままのサーベルを容赦なく捩じった。更に断末魔の悲鳴が上がる。
「オーサン、それくらいにしろ。やりすぎだ」
カイは顔をしかめつつ窘めた。見る限り、オーサンは学生時代よりも格段に嗜虐性が増している。まだ一年と経たないのに、第三隊は一体どうなっているんだと思わざるを得なかった。
「悪いことをしたら反省させるのが自警団の役目だろう? 俺は任務に忠実なだけだ」
オーサンは山賊の腕からサーベルを抜いて血振りし、言った。彼には彼なりの理念があるらしい。それから、カイに向き直った。
「悪い奴を野放しにすると、更に悪い奴が出てくるんだ。気を付けろよ。カイ、この世で一番悪いことって何だか分かるか?」
「殺人だろ」
「それはそうだ。ただな、もっと悪いのは……巫女を殺すことだ」