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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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40、沈下

 闇に紛れた黒いローブの上に、表情のないロットの顔が青白く浮かんでいた。彼はサーベルを手に、ゆっくりとエイロンの方へ歩を進める。

 眼鏡の奥で、かせの外れた狂気がぎらりと光る。彼は既に一人の人間を殺している。どんなことでもやりかねない。その危険を承知で、エディトは彼の前に立ちはだかった。


「何をする気ですか」


手緩(てぬる)い真似はやめよう、エディト。生かしておく必要はない」


 ロットの視線はエイロンに向けられたままだ。


「そいつはとっくに人間をやめているのだから」


「人間をやめたのはあなたも同じですよ、ロット。あなたは憎しみに駆られてエヴァンズを殺した。人の命を前にして立ち止まることを忘れた人間は、人間ではありません」


 エディトの冷ややかな言葉を聞き、ロットの目はゆっくりと彼女に向けられた。


「……あなたも同じ目に遭えば分かる。愛すべき、大切な者を全て奪われてみれば」


 痛切な言葉だった。エディトは同情心が顔を出しそうになるのを、ぐっと堪える。

 ロットの妻と幼い娘がガベリアの悪夢で消えたことは知っている。魔導師という職業柄、家族に危険が及ぶ可能性も考えて、彼が籍を入れずに離れて暮らしていたことも。

 いくら危険な仕事とはいえ、そこまで徹底する魔導師は中々いない。彼がどれほど家族を愛し、守りたかったか、エディトにも分かっていた。


「自分に言い訳をするつもりですか。どのような理由があろうと、私たち魔導師は人をあやめてはならない」


 微かな願いを込めて、エディトはロットの目を見返した。今ここで彼が立ち止まってくれれば、かつての仲間に刃を向ける必要もなくなる。

 だが彼女の言葉は、ロットの固く閉ざした心には届かなかったようだ。


「残念に思うよ、エディト。団長になると頭が固くなるみたいだな」


 ロットがサーベルを振りかぶった。最早、彼を言葉で説得するのは難しい。エディトは攻撃をかわしつつ、覚悟を決めた。


「あなたの手足を切り落としてでも、止めます」


 彼女もサーベルを構える。


「やってみろ。誰が止めようと、俺は必ずエイロンを消す」


 火花が散りそうなほどの視線が絡み合う。二人は同時に、地面を蹴った。





 カイはセルマを背負ったまま、薄暗い雑木林の中を走っていた。『丘屋敷』を脱出してすぐの、北側にあった雑木林だ。恐らくは冬の北風を遮るための防風林だろう。風くらいではびくともしなそうな太い幹と、細く伸びた枝が見渡す限り続いている。

 一度立ち止まり、後方を確認する。追手の姿はまだない。カイはひとまず安心し、この林もそれほど長くは続いていないはずだ、と再度足を踏み出した。


「えっ」


 ぐにゃりと地面が沈み込んだ。何事かと考える暇も無く、二人の体はぽっかりと口を開けた穴に飲み込まれていた。

 全身に衝撃が走ったと同時に、冷たい何かが鼻と口を満たした。音は聞こえず、視界は暗い。そして妙な浮遊感がある。


(水の中か……!)


 カイは気付いた。幸いにも、すぐそばにセルマの体があった。彼はセルマの服を掴んで、必死で上を目指す。水を掻くと、手足が壁のようなものに触れた。ずいぶん狭い空間のようだ。

 すぐに水面に出ることが出来た。カイは手探りで壁の突起に片手を掛け、もう片方でセルマの体を引き上げる。


「げほっ……なんだこれ」


 セルマは咳き込んで声を発した。水に落ちた衝撃で目を覚ましたのだろう。


「大丈夫か?」


「カイ? ごほっ、大、丈夫。ここ、どこだ? 真っ暗……」


「たぶん、井戸の中だ。急に地面に穴が空いて、落ちた」


 カイは上を見る。自分が落ちてきたはずの穴は見えない。


「古い井戸を魔術で塞いであったんだ。これと似たような事故が、何年か前にしょっちゅう起きてた」


 昔、手間も費用もかからないからと、魔術で井戸を塞ぐ工事が各地で行われた時期があった。だが、魔術も老朽化することがある。故に、数十年経って同じような時期に事故が多発していたのだ。


「穴が塞がったってことは、とりあえずまだ()()()()魔術ってことか……」


「明るくしてみようか」


 セルマが言うと、光る羽虫がぽつぽつと現れ始めた。その柔らかい光を見ていると、この状況なのにすっと心が落ち着いてくる。

 徐々に、井戸の内部が見えてきた。二人を丸く取り囲む壁は苔むしていて、上に登る足掛かりとなるような突起はない。地上までは、ざっと7メートルくらいありそうだ。


「カイ、唇が紫になってる」


 カイの顔を見たセルマが慌てて言った。


「水が冷たいからな。気にすんな、川より数倍ましだ」


 口ではそう言いつつも、長時間は耐えられそうになかった。何とかここを出る方法を見付けなくてはならない。


「みんな、無事かな。私のせいで……」


 セルマの声は消え入りそうだった。


「お前のせいじゃないし、誰のせいでもない。それにみんな、危険は承知なんだ。しっかりしろよ。絶対にガベリアへ行くんだろ?」


 カイは怒ったように言った。痛いほどに真剣な彼の視線が、セルマに刺さる。

 覚悟が出来ていないのは自分なんじゃないか――セルマはそう思い、はっとした。


「ごめん。もう、甘ったれたことは言わない。パトイにも約束したし」


「約束?」


「うん。例え一人になってでもガベリアへ行くって」


「……ずいぶん格好つけたこと言ったな」


 カイは真顔のまま言ったので、その真意は読み取れない。


「無謀かな……?」


 セルマは恐る恐る尋ねた。


「俺だってお前を巫女の洞窟に連れていくって約束したんだ。すっかり忘れやがって」


 カイの声にはふて腐れた響きがある。セルマはそれを聞いて思わず、笑った。


「ごめん。忘れてなんかないよ」


「冗談だ」


 カイも表情を弛めて笑う。しばし目が合って、お互いに、やっと心が通じたような嬉しさを感じていた。


「……とりあえず、ここから出ないとな」


 先に、ぎこちなく視線を逸らしたのはカイだった。


「うん。ねえ、そこに何かある」


 セルマはカイの足下を見た。水の中、壁から細い鎖が一本出て下に垂れている。鎖の先には拳大の、黒い石がくくりつけられていた。


「何の石だろう」


「重石か? ちょっと持ってくるから、お前、ここ持ってろ。溺れるなよ」


 カイは壁の突起をセルマに掴ませると、息を吸って水に潜った。鎖を掴み、石を引き上げる。それを持って水面に上がった。


「ぷはっ……。この石、何か書いてあるぞ」


 カイはセルマに石の表面を見せる。ごつごつとした表面に、細い文字が一行、刻まれていた。


「見せられても、私には読めないよ。何て書いてある?」


「『沈めば、地上へ』って。……何を言ってるんだ?」


 カイは顔をしかめた。井戸に沈めば、それはもちろん水の中ということだ。地上に上がれるはずがない。


「その鎖、引っ張ってみたらどうだろう」


 セルマが言った。


「引っ張る?」


「壁の中に繋がっているみたいだし。沈むって、水位が上がるって意味かもしれない。引っ張ると水が増えるのかも。そうすれば上の方に浮かべる」


「確かにな。やってみるか。沈まないように押さえててくれ」


 カイはセルマに腕を掴んでもらい、力を込めて鎖を引いた。ガチャリ、と何かに引っ掛かる感触があり、それ以上は引けない。


「変な音が聞こえる」


 セルマが言った。耳を澄ますと、轟々と地響きのような音が水の底から聞こえてくる。


「あれ……、下がってる!」


 期待とは裏腹に、水位はどんどん下がり始めていた。

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