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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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39、墓暴き

 部屋に飛び込んできたその発光するはやぶさは、エイロンの追跡の魔術に間違いなかった。山に住み、他人との接触が全くないブロルに魔術を掛けられるのは、一緒に暮らしていた彼しかいない。


「くそっ、封印が間に合わなかったか」


 エスカの言葉と同時に『丘屋敷』のドアが開き、木製の球体が部屋の中に投げ入れられた。握り拳ぐらいの大きさだ。それはごろごろと転がり、隊員たちの近くで止まる。

 その刹那、破裂音と共に部屋に白い煙が充満した。焦げた臭いと、口の中に感じる甘味。ジヤギスの煙だ。

 何が起きたのか考える間も無く、煙を吸った全員の意識が朦朧となっていく。視界も塞がれていく中で突如、カイの口元に布が押し付けられた。


「なっ……」


「防煙布だ。セルマを連れて逃げ――」


 オーサンの声だった。すぐ側で、彼がどさりと倒れる音がする。

 迷っている暇は無かった。これがエイロンの襲撃だとしたら、狙われているのは他でもなくセルマだ。

 カイは防煙布を口に当てて頭の後ろで結び、手探りで誰かの腕を掴んだ。この手首の細さはセルマで間違いない。カイは彼女を背負って、辛うじて薄明かりが見える窓の方へと走った。



 二名の近衛団員とエディトが宿に到着したのは、カイが脱出してから数分後のことだった。まだ中には煙が充満し、周囲には微かにジヤギスの臭いが漂っている。宿の前には人垣が出来ていた。


「今すぐ離れて下さい! 危険です!」


 近衛団員たちが人垣を蹴散らすように進み、エディトがそれに続く。


「少々遅かったようです」


 エディトは呟き、宿をじっと見つめた。次の瞬間、宿のドア、窓という窓が全て破壊され、人々から小さな悲鳴が上がる。


「大丈夫ですよ。お気になさらず」


 彼女はさっと手を振り上げる。すると、周囲を突風が吹き抜けた。どうやら魔術を使って中を換気したらしい。


「これで安全です。行きましょうか」


 そう言って、宿に足を踏み入れた。一階にある食堂の床に四人の隊員とブロル、調理場の奥に宿の主人が倒れていた。皆、意識がないだけで呼吸は安定している。


「この子が、報告にあった山の民族でしょうか」


 団員の一人がブロルの側に屈んだ。


「ええ。ここにいる全員の保護をお願いします」


 エディトは部屋を見回し、足早に階段へと向かった。ここにはカイとセルマの姿が無い。さらわれたか、逃げることが出来たか。後者であることを願いながら、エディトは二階に上がる。

 ブロルについての報告をルースから受けて、エディトはすぐに、エイロンがブロルを利用する可能性について考えた。

 いや、利用という言葉は正しくないかもしれない。恐らくエイロンは、自分が山を去ったことで一人きりになったブロルを純粋に心配した。故に彼が今どこにいるか、常に把握出来るようにしていたはずだ。

 その副産物として、セルマの居場所がばれたとしたら。そこに思い至って近衛団本部を飛び出したが、エディトは一歩遅れを取ってしまったらしい。


「……っ!」


 階段を上りきったところで気配を感じる。彼女は割れた廊下の窓に目を遣り、そこに駆け寄った。数件先の屋根の上、夕日を背に黒いローブがはためいているのが見える。


(エイロン……!)


 彼がセルマを連れている様子はない。エディトは窓から身を乗り出し、勢いを付けて隣の屋根の上に飛び移った。エイロンはこちらに背を向け、逃げていく。その先は森だ。


(現役を舐めていますね)


 エディトは走り出す。無駄のない動きで屋根から屋根へ飛び、距離を詰めた。森の奥まで入られると、鬱蒼と繁る木々のせいで視界が遮られてしまう。その前に足止めしたかった。

 森を目前にして、切っ先が届く位置まで近付いた。エディトはサーベルを抜く。エイロンが振り返る。風を切る音、それに続く金属音。


「……どこで調達した?」


 つばり合いになりながら、エディトはエイロンが手にしたサーベルを一瞥いちべつした。全体的に少し錆びているが、鍔の部分には獅子の刻印がある。近衛団のもので間違いない。

 ただ、刻印の下にある個人の識別番号は『8057』。エディトにとって見覚えのある数字――ベイジルの識別番号だった。

 エイロンは力任せにエディトのサーベルを押しやり、距離を取った。


「知りたいか?」


 彼の嗄れた声が言った。フードの下から覗く口元が、にやりとつり上がっている。

 エディトは自分が徐々に冷静さを欠いていくことに気付いていた。ベイジルのサーベル。それは彼の遺体と共に、墓の中に眠っているはずのものだ。


「ベイジルの墓をあばいたのか」


 彼女は指の関節が白くなるほど強くサーベルを握る。彼が安らかに眠る墓を掘り起こすなど、許されざる侮辱行為だ。その上、潔白な彼のサーベルで人を傷付けようなどと。

 エディトの目は怒りで微かに血走った。


「あれから9年か。まだベイジルのことを想っているとは驚いたよ、エディト」


 エイロンはせせら笑った。


「あいつがいなければ、お前はただの、近衛団の厄介者だったからな」


 彼はエディトの心をえぐるような台詞を吐いた。しかし、エディトの視線は揺らがない。彼女の脳裏にはカイの顔が浮かんでいた。『近衛団として何が正しいか、証明しなくてはならない』。彼のためにも、自分の言葉に嘘をくことは出来なかった。


「過去がどうであれ、今の私は団長です。リスカスのために為すべきことを為す、それだけだ」


 エディトは地面を蹴ってエイロンに向かっていった。エイロンはそれをかわして、森へと走り込む。彼女の力が自分と互角かそれ以上であることを察して、少しでも彼女が不利な状況へ持ち込もうとしていた。

 長い年月をブロルと共に山で過ごしたエイロンは、夜目が利く。薄暗い森の中でも、相手の動きがはっきりと見えるのだ。

 突然、エイロンの頭上の枝が束になって落ちてくる。彼がそれを振り払う一瞬、その隙に、エディトの切っ先が彼の顔面をかすめた。


「……はっ」


 エイロンは鼻で笑い、エディトの姿を探す。団長ともあろう者が小手先の目眩(めくら)ましをしようなどとは、笑わせてくれる。

 視界の端に臙脂色が映り込んだ。彼は振り向き、容赦なくサーベルを振るう。空を切るような軽い感触。見れば、地面に切り裂かれた外套が落ちている。


(今度は子供騙しか)


 エイロンは再びサーベルを構えた。日は完全に落ち、森の中は薄闇に包まれている。夜目が利く彼は、それでも風に揺れる葉の一枚一枚まではっきりと捉えることが出来た。

 だが、視界は鮮明でもエディトの気配が何処にも無い。そう思った時だった。

 ざくり、と鋭い刃先が足首の裏に食い込み、そのまま素早く横へ抜けていく感触があった。

 エイロンは立っていられず、思わず地面に膝を着く。どうやら腱を切られたらしい。傷口に猛烈な痛みと熱さが襲ってくる。


「厄介者にされていたが故の、特技ですよ。気配など必要ないと思っていましたから」


 エイロンが顔を上げると、目の前にエディトが立っていた。彼が魔術で抵抗しようにも、知らぬ間に銀色のロープが体に巻き付いている。魔力を封じるロープだ。

 エディトはサーベルの先端をエイロンの喉元に突き付けて言った。


「観念して下さい。あなたの負けです」


 エイロンは殺意を剥き出した目でエディトを睨み付けたまま、黙っていた。

 負けを認めるつもりなどない。この世界に正義などない。人の醜さに蝕まれたリスカスの、全てを壊す。そのためにセルマを殺さなければならない。絶対にガベリアを甦らせはしない――彼の心に溜まった黒いおりは怒濤のように彼を襲い、良心が一瞬でも顔を出すのを許さなかった。


「自警団の者たちが、そして私が、あなたのことを獄所台に黙っている理由が分かりますか、エイロン」


 エディトは静かに言った。憎しみに歪むエイロンの顔を見つめる視線には、微かに憐憫(れんびん)の色が浮かんでいる。


「獄所台に捕まれば、エイロン・ダイスという名も、あなたがここへ至るまでの真実も、全て闇の中に葬られる。……私たちは本当のことが知りたい。それだけですよ」


「本当のこと、か。そんなものは巫女にでも聞けばいい」


 エイロンは嗄れた声で吐き捨てた。


「勘違いするな。巫女は人の心など読めない」


 そう言ったのはエディトではなかった。彼女は振り返り、そこにいた人物の姿に目を見開いた。


「……ロット!」

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