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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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35、スター・グリス

 川で溺れている人物を目にして、いち早く行動したのはカイだった。彼は外套と制服の上着を脱ぎ捨てると、大きく息を吸って水の中に飛び込んだ。

 前方で激しく水飛沫を上げながら溺れているのは、どうやら少年のようだ。カイは泳いでそこへたどり着き、少年の腕を掴んだ。だが、混乱している彼はむやみやたらに手足を動かし、カイにしがみつく。

 必死になっている少年の力は凄まじく、カイの体は水の中に引きずり込まれていった。このままでは二人とも溺れることになりそうだ。


「カイ! 気絶させろ!」


 舟の上からルースが叫んだ。何を言っているのだとセルマが驚く一方で、カイは決死の思いで少年の額に手を当てる。

 途端に水飛沫が収まった。意識を失った少年の体は水に浮かび、カイに支えられてゆらゆらと揺れていた。

 ルースは小舟を近くまで寄せ、セルマと二人でずぶ濡れの彼らを引き上げた。


「寒い……死ぬ……」


 川の水はかなり冷たかったのだろう。舟の上に転がり込んだカイの唇は紫色になっていた。力なく横たわる少年の顔も青白くなっていたが、呼吸はしっかりとしている。ルースはすぐに魔術で二人を乾かした。


「大丈夫か?」


 ルースが尋ねると、カイは寒さに震える手で上着を羽織りながら頷いた。外套も纏おうとしたが、一瞬迷い、それは少年に掛けてやった。


「副隊長の指示がなかったら、俺も危うく溺れるところでした」


「どうしてあんなふうに?」


 少年をちらりと見て、セルマが言った。


「水に浮くためにはまず落ち着いてもらわないといけないけど、そんな余裕は無さそうだったから」


 ルースが言ったその時、少年が少し咳き込んで目を開けた。彼は視線を左右に動かしてカイたちの姿を確認すると、ゆっくりと体を起こした。

 その顔立ちは凛として美しく、歳はカイと同じくらいか、もう少し上に見えた。服装は一般的なリスカスの人間と同じく、ズボンとシャツ姿だ。

 髪は月光にも似た銀色、そして瞳は、驚くほど鮮やかな瑠璃(るり)色をしている。三人とも、こんな色の瞳を持つ人間には出会ったことがなかった。


「具合は大丈夫? 病院まで送ろうか」


 ルースが尋ねると、少年は首を横に振った。


「大丈夫、どこも悪くない。助けてくれてありがとう」


「君の名前は? どうしてこんなところで溺れていたんだい?」


「……ブロル。人を探して山から下りて来たんだ。そうしたら足を滑らせて、川に落ちて、そのまま流されてきた」





 狩猟専門店の店主はユフィ・サリスと名乗った。エスカたち魔導師三人に囲まれても物怖じしない、勝ち気な女性だ。明るい茶髪を高い位置でお団子(シニヨン)にまとめ、飾り気のない化粧をした姿が若々しい印象を与える。


「話なら中で聞きます。どうぞ」


 ユフィは店のドアの鍵を開けて、三人を中へ通した。


「……何にも無い」


 オーサンが呟いた。かつては猟銃や罠などが置かれていたであろう棚は空になっていて、店の中には寂れた空気が漂っている。


「売り払いましたからね、全部。私はこんな店継ぎたくなかったので、いい機会ですよ」


 ユフィは溜め息混じりにそう話し、挑むような視線でエスカたちを見た。


「それで、何の用ですか? 窃盗事件のことなら、自警団に散々話しましたよ。窃盗に入られたのは警備費を安く済ませようとしたからだって、嫌味まで言われて。

 私は騙されたんです。あの警備人は自警団直属だから、大丈夫だって。世間知らずでしたからね。祖父が死んで、父は蒸発して、私は急にこの店を押し付けられた。これ以上の面倒はもう嫌です」


「それは災難でしたね。私たちはキペルから来たもので、そちらの事情は存じ上げませんでした。失礼を」


 エスカが詫びると、ユフィは面食らったように目をしばたいた。


「いえ、謝らなくても……。どうしてわざわざ、キペルから?」


 予想外の反応に毒気を抜かれたらしい。彼女の言葉は少し柔らかくなっていた。


「実は、私たちはある犯罪集団を追っていまして。彼らがどこかで、猟銃を手に入れた可能性があると考えているんです。こちらのお店のものは、性能がいいとお聞きして」


 エスカはさらりと褒めることも忘れない。オーサンとエーゼルは顔を見合わせ、これは彼女を懐柔しにかかっているな、と二人で合点した。


「まあ、かつて雇っていた職人の腕は良かったみたいですから。祖父が死んでからは、別の店に移っていきましたけど」


「盗まれた猟銃は、どの程度の威力ですか?」


 エスカの問いに、ユフィは棚から一冊の紙束を取り出して台の上に乗せた。ぱらぱらと数枚めくり、そのページを指差す。猟銃の全体図と、簡単な分解図があった。


「スター・マニリスといって、中~大型の獣を仕留める時に使うものです。有効射程距離は300m、……あ、威力を保ったまま命中させられる最大の距離ということです」


 ユフィはすらすらと説明する。店を押し付けられたとはいえ、知識はしっかりとあるらしい。


「人間に使われると、どうなりますか?」


「距離によりますけど、致命傷にはなりますね。使われる弾丸は、獲物の肉が少しでも無駄にならないように作られています。要するに、弾は変形せずに貫通し、なおかつ貫通創は小さい」


「なるほど。素人が扱えるものですか?」


「構造自体は単純ですから、扱おうと思えば。但し、命中させるのは無理でしょう。よっぽど腕がなければ……」


 それからユフィは、少しだけ口をつぐんでいた。


「どうしました」


「いえ。実は、この店から猟銃が盗まれたのは二回目なんです。10年前、まだ祖父の代だった頃に」


 10年前と聞き、エスカたちの頭にはある事件がよぎる。その1年後に起きた、王族を狙ったクーデターだ。


「盗まれたのは、スター・グリスという型の猟銃です。大型の、危険な獣を仕留めるためのもので、有効射程距離は800mほどあります。狩猟歴の長い者にしか売ることが出来ません」


 ユフィは紙束のページをめくる。


「ここに有るように、弾丸は獣の固い頭蓋骨を貫通するように作られています。危険な獣用ですから、もちろん、殺傷を目的としたものです。一般的に射入口……弾の入口の傷は小さくても、出口である射出口はかなり大きくなります」


 彼女の顔は青ざめていたが、それでも話すのはやめない。三人はそこから、誰かに話してしまいたいという彼女の切実な思いを感じ取った。


「9年前のクーデター……。この店のものが使われたとは、誰も言っていません。祖父からも窃盗事件があったということ以外何も聞いていないし、関係ないかもしれない。でも、私はこの店を営業停止にされてから調べたんです。あのクーデターで亡くなった、近衛団の方について。銃を扱う人間として、今さらだけど知るべきだと思ったから。

 どの新聞にも、詳しいことは書かれていなかった。銃撃に遭ったとしか。情報が規制されたのだと思いました。だから私は、ゴシップ紙の記者を訪ねました。彼は、詳しいことを知っていました。その近衛団の方が、撃たれた直後の状況。とても……ごめんなさい、口にするのはちょっと」


 ユフィはハンカチを取り出して、目頭を押さえた。エスカはオーサンの表情を盗み見る。彼女が話しているのは、間違いなく親友であるカイの父親のことだからだ。オーサンは強張った顔で、じっとユフィを見つめていた。

 彼女は深呼吸して、再び話し始めた。


「彼は頭を撃たれたと、記者は言いました。かなり遠くからの狙撃だったようだと。そして、自分も近衛団から強く報道規制をされたと。それほどの状態だったんです。そんな威力を持つ銃は、スター・グリス以外に考えられない。恐ろしくなりました。それで、店を畳むことにしたんです。これ以上、この店の銃で人が死ぬのは……」


 ユフィの目からは涙が溢れ、幾筋も頬を伝っていた。最初の強気な態度は、彼女なりの精一杯の虚勢だったのかもしれない。


「あなたが責任を感じることではありませんよ」


 エスカは優しく言った。


「犯罪者を捕らえるのは我々の仕事です。取り逃がした窃盗犯が何かしたとしたら、それは我々の責任ですから。……今回、スター・マニリスを盗んだ犯人は、私たちが捕まえます」


 彼の突然の申し出に、オーサンとエーゼルは目を丸くしたのだった。

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