34、小舟
貨物船は南1区の船着場に到着した。カイたちは乗組員のミックに見送られながら、船を降りた。
船着場から続く道には大きなマーケットがある。目移りするほど沢山の出店が軒を連ね、忙しなく行き交う人々の活気に溢れていた。セルマは物珍しげに、その光景を眺めている。
「気分は?」
ルースがセルマに向かって尋ねた。ずっと休んでいたおかげか、彼女の顔色は良いようだ。
「大丈夫、治った」
「腹が減ってると酔いやすいって言うぞ。昼飯はちゃんと食べろよ」
カイがつっけんどんに言うが、それは心配の裏返しだ。ルースはそれを微笑ましく思いながら、言った。
「そういえば、お腹空いたね。出発前にお昼にしよう。時間にはまだ余裕があるし」
こうして、三人はマーケットの人混みに紛れていった。
腹ごなしが済んだ三人は、また川沿いへ戻ってきた。太い本流はそのまま南東へ向かい、途中から南へ向かう支流へと分岐している。支流の先には質素な街並みが続いているのが見えた。
時折、荷物を乗せた細長い小舟が支流へと入っていく。船頭は船の後方に立ち、長いオール一本で器用に操船していた。
「ちょっとここで待ってて」
ルースは迷うことなく同じような小舟が並ぶ船着場へ歩いていき、そこにいた人物に声を掛けた。
「……あの船、借りる気か? 操るの難しそうだけど」
セルマが首を傾げる。何かを交渉していたのか、数分経ってからルースは二人を手招いた。
「僕たちもこの船を借りることにしたよ。南3区までの流れはずっと緩やかだから、よっぽどのことがなければ沈んだりしない」
ルースが言って、小舟の一つに軽やかに乗り移った。
「副隊長、操船出来るんですか?」
「出来なかったら船で行こうなんて言わないよ。さあ、乗って」
「はい」
カイは事も無げに乗り移るが、セルマは水面を見つめたまま、中々足が出なかった。
「怖いのか?」
「いや……結構揺れてるし、ここの水、深そうだし」
「大丈夫だって。ほら、掴まれ」
カイはセルマが恐る恐る差し出した手を取り、軽く引き寄せる。
「……っと。ありがとう」
舟に乗り移ったセルマはすぐにカイの手を放した。照れや恥ずかしさからではない。触れた手から、カイの記憶を覗いてしまいそうになったからだ。
一瞬だけ視えた彼の記憶は、真っ黒だった。声は微かに聞こえたが、視界には何も映らない。
クロエの記憶を最初に視たときもそうだった。「思い出したくないことだからかな。蓋を閉めてしまったのかも」と彼女は言った。「無理矢理にでも、開けていいよ。私はあなたに知ってもらいたいから」。そうして、セルマはクロエの辛い過去を視たのだった。
「もう酔ったのか?」
急に黙ったセルマの顔を、カイが心配そうに覗き込んでいた。
「まさか。ちゃんと昼は食べたよ」
セルマは笑って誤魔化した。ほんの一瞬視ただけなのに、カイが心に抱えた闇が想像以上に深いような気がして、どう接するべきなのか分からなくなってしまった。
記憶の中で微かに聞こえた声は、女性のものだった。恐らく、メニ草のせいで未だに入院しているという彼の母親の声だ。
(自分から話してくれるのを待った方が、いいんだろうな……)
動き出した船の上で、セルマはじっとカイの背中を見ながら考えた。一体、彼はそこにどれだけのものを背負っているのだろう。自分が少しでも、それを軽くすることは出来ないだろうか、と。
小舟が街並みを抜けると、周囲には徐々に木が繁ってくる。ずっとオールを漕いでいたルースには、微かに疲労の色が窺えた。
「副隊長、代わりま――」
カイが立ち上がった瞬間、小舟はバランスを崩して左右に大きく揺れた。セルマが慌てて縁にしがみつく。
「……すみません」
彼が大人しく座り直すと、ルースは咎める様子もなく笑った。
「慣れが必要だからね。大丈夫、ここからは流れに乗れば良さそうだから」
ルースはオールを水から上げて小舟の上に置くと、カイ達の後ろへ腰掛けた。舟はゆっくりと進み、また景色が変化してくる。
生い茂る木々の間を抜けると、両側に切り立った高い崖が現れた。まるで星空のように、その黒い表面には点々と鉱石が光っている。壮観な景色だった。
それに三人が目を奪われていると、前方で声が聞こえた。獣ではなく、明らかに人の声だ。
「今、何か聞こえた?」
ルースが声の方向に顔を向ける。水面は穏やかで、どこにも人の姿は無い。と、思ったその刹那だった。
「あそこだ!」
小舟から5メートルほど先、セルマが指差した場所で水飛沫が上がっている。合間にちらりと、人の手が出ているのが見えた。
「誰か溺れてる!」
西7区。運び屋を使ってそこに到着したエスカたちは、自警団立寄所になっているカフェで顔を突き合わせていた。
「あの運び屋、怪しかったですよ。俺たちのこと結構見てました」
言いながら、オーサンがオクロジュースを啜って顔をしかめた。オクロはこの地区原産の、かなり酸味の強い柑橘類だ。
「すっぱ……。先輩、よく平気な顔して飲めますね」
エーゼルも同じものを飲んでいたが、こちらは平然としている。
「そんなにか? ……あの運び屋が見てたのは俺たちじゃないよ。エスカ副隊長ひとりだ」
「ん?」
優雅にコーヒーを飲んでいたエスカが、カップから視線を上げた。
「俺が目立つのは仕方ない。自警団で一番の美形だからな」
「ちょっと、自惚れが過ぎるんじゃないですか?」
オーサンが苦笑する。ただ、日常的に第二隊の隊員たちを目にしている彼らにとっては見慣れた顔でも、街に出ればその美貌が注目の的になるのは事実だ。
「自信があるってだけだ。……すみません、いいですか」
エスカは通りがかった女性店員に声を掛ける。彼女は途端に頬を染めて、嬉しそうに近付いてきた。
「はい、何か」
「この辺りは、狩猟が盛んですよね」
「ええ。山が近いですから」
「猟銃の店はこの辺りにも?」
「はい。7軒先に、有りますよ。ついこの間、窃盗に入られちゃって、お店閉めてますけど」
それから事件の詳細を聞き、エスカは店員に飛び切りの笑顔を贈って、三人は店を出た。
「なんで猟銃のことなんか聞いたんですか?」
窃盗に入られたという狩猟専門店に向かって歩きながら、オーサンが尋ねる。
「同盟の武器は主に銃だろう。拳銃も必要だが、奴等は遠くから狙える猟銃も必要としているはずだ。猟銃に関しては製造にも厳しい規制があるから、完成した物を店から盗む可能性が高い」
エスカがそう答えた。三人は店の前に到着する。色褪せた『サリス狩猟専門店』の吊るし看板が風に揺れ、ドアには紙が貼られていた。『諸事情により半年間休業致します。店主』とある。
「半年間……、ずいぶん長いですね」
エーゼルが言うと、エスカが説明した。
「銃を扱う店が窃盗に入られると、管理不十分ということで営業停止処分になる。半年は軽い方さ」
「警備費をけちったんですかね。自警団直属の警備人は高いから」
カーテンの引かれた窓を覗きながら、オーサンが言った。
「誰もいないみたいですよ」
「うちの店に何か?」
背後から声がし、三人は振り返る。そこに立っていたのは、うらぶれた店構えには不釣り合いな、若い女性だった。