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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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32、区切り

「誰だ……?」


 ルースは警戒しながらその青年に尋ねた。重心を少し後ろにずらし、いつでも踵を返して逃げられるようにする。この狭い船内でサーベルは役に立たない。何かあれば、逃げるのが先だ。


「あー、分かんないよな。そっちは変わってなくても、俺はずいぶん変わったし」


 青年は快活に笑った。どうやら、同盟の人間ではなさそうだ。かといって、誰かと聞かれても分からない。


「えーっと、ルースで間違いないよな?」


 ぱっとしないルースの反応に彼は自信が無くなったのか、そう言って首を傾げた。ルースが頷くと、ほっとしたように肩を下ろす。


「良かった。俺、お前と同じ初等学校だったミック・バウスだよ。ほら、良く一緒に川釣りに行っただろ?」


「……ああ!」


 その名前を聞いて、ルースもやっと彼のことを思い出した。記憶の中のあどけない少年が、目の前にいるたくましい青年の顔に重なる。思えば少し小生意気な口元や、黒目がちな瞳は昔のままだ。


「ミックか。こんなところで会えるなんて……」


 ルースは言葉に詰まった。ガベリアにいた頃の友人について、彼はとうの昔に消息を辿るのをやめていた。悪夢で失われたという事実を知りたくなかったからだ。ミックについても同じだった。


「悪夢で死んだと思ってたんだろ。顔に書いてある」


 ミックはルースの肩を叩いて、あっけらかんと笑った。


「気にすんな、誰でもそう思うよ。何の連絡もしなかったし。俺は噂で、お前が自警団の偉い奴になったって知ってたけどな」


 上から下までルースを眺めて、ミックは感心したように言った。


「しかし、似合ってるなぁ。俺が女なら惚れるぜ。というか、もう所帯持ちか?」


「いや……」


 彼の勢いに圧されつつ、ルースはふと自分の目的を思い出した。


「詳しいことはとりあえず置いておいて、水を一杯貰えないかな。仲間が船酔いしてしまって」


「なに? 早く言えよ。船酔いに効くのはやっぱり強い酒――」


「未成年だ」


「冗談だって。厨房にミント水がある。持って行かせるよ。何号室だ? 8? ちょっと待っててくれ」


 ミックは壁に備え付けられたラッパのベルのようなものに顔を近付け、何か話している。ベルからは長い管が伸び、壁を這うようにして何処かへ繋がっている。どうやら、伝声管のようだ。


「今、厨房の奴に頼んだよ。時間があるならもう少し話さないか? 十何年振りに会えたんだから」



 二人は船の甲板に出た。前方に見える太い川の左側には街と工場、右側には薄く雪の積もった畑や果樹園、その向こうになだらかな山の稜線が続く。燦々と陽が降り注ぐ中で、豊かな自然と人の営みが川を挟んでくっきりと分かれているかのようだ。

 船は大きな橋の下をくぐり、更に先へと進んでいく。刻々と自分の故郷が近付いているのに、ルースの胸に込み上げるのは虚しさだけだった。

 数々の思い出に満たされたその地は、今は闇の奥底に沈んでいる。やりきれない思いで急に叫びたくなったのを、ルースは唇を噛んで堪えた。


「……俺さ、初等学校を出てすぐに、スタミシアの船舶学校に入ったんだ。それからずっとこっちにいる」


 沈黙の中で、ミックが先に口を開いた。


「だから、悪夢が起こったあの日を生き延びた。でも家族はみんな消えた。ルースも、そうだろ?」


 ルースは静かに頷いた。自分の近しい人とガベリアの悪夢について話すのは、ミネを除いてこれが初めてだ。


「家族も、魔導師だった仲間も消えた。どうして彼らが消えなければならなかったのか、僕はずっと考えているよ。答えはまだ出ていない」


 悪夢の原因を知っても、ルースにはそれが答えだとは思えなかった。心は未だに、何一つ悪夢から解放されてはいない。

 ミックは手すりに腕を乗せて、遠くを見ながら言った。


「真実を追うのは苦しい。追えば追うほど、ガベリアにいた人間が跡形もなく消えたっていう事実にさいなまれるんだから。何も考えない方がずっと楽だよ。

 それでも俺は追わずにはいられない。ガベリアが消えたとしても、大切な人たちがそこにいて、間違いなく生きていたっていうことを忘れたくないんだ」


 彼の目に、うっすらと光るものがあった。


「俺さ、夢というか、これが出来たらいいなって思うことがあるんだよ。せっかく会えたから、お前に言っておきたい」


「……聞かせてくれるか」


「ああ。ガベリアに、花を手向(たむ)けに行きたい。……誰かをとむらうっていう儀式は、生きている俺たちが区切りを付けて前に進むためのものだと思う。ガベリアの場合はそれが出来ないから、俺たちはいつまでもあの日に囚われているんだ。消えた人たちの亡骸も、思い出の場所も、何も残されていないんだからさ」


 ルースはそれを聞いて、セルマの言葉を思い出していた。


 ――理不尽に消されてしまったその人達は、今生きている誰かの大切な人に違いないんだ。何年経っても、いなくなったことに納得なんて出来ないと思う。

 だから、私は私の力でガベリアを甦らせたい。遺された人が、例え僅かでも、消えた人達の痕跡を辿れるように。


 ミックは指先で目頭を拭い、こう続けた。


「大切な人たちがもう戻って来ないなら、ちゃんと、さようならを言って区切りを付けたい。最近はそう思うようになったんだ。どんな魔術でも時間は戻せないし、俺たちはこの世界で生きていくしかないんだから」





 ルースが部屋に戻ると、セルマはベッドで静かに寝息を立てていた。カイはその横で椅子に腰掛け、宙を見つめている。


「遅くなってごめん。セルマの具合は?」


「あ、おかえりなさい。水を飲んだら少し良くなったみたいです」


 カイが立ち上がろうとするので、ルースはそれを制し、自分も近くの椅子を引いて腰掛けた。


「少しはゆっくりしていても大丈夫だよ。気を張りすぎると、この先持たない。お前は真面目すぎるから」


 ルースが笑うと、カイは明らかにむっとした顔になった。


「別に真面目じゃないです」


「そうかな。ライラックもフローレンスも、お前のことを褒めていたけどね。教え甲斐があるって」


 そう言われ、カイは少しだけ頬を弛めて俯いた。照れているのかもしれない。しばらく経ってから、彼は顔を上げた。


「そういえば、昔聞いたことがあるんですけど」


「うん」


「ガベリアに近い、スタミシアのどこかの山奥に、俺たちとは違う言語を話す民族がいるらしいんです。あくまで噂の域ですけど、火の無い所に煙は立たないって言うし」


 ルースは興味を持ったように、椅子に座り直した。


「それは初めて聞いたな。どうして急に?」


 カイはちらりとセルマを見た。


「セルマの寝言です。医務室で寝ていたとき、セルマは古代ガベリア語を話したじゃないですか。その民族が話す言語っていうのも、古代語なのかなって」


「うん。有り得なくはないかもね」


「その民族、ガベリアへの抜け道を知ってたりしないかなって思ったんですけど。俺たち、まだどうやってガベリアに入るかを決めてないじゃないですか」


「本当にいるとすれば、だろう?」


「ですよね……」


 カイは肩を落とし、また視線を宙に漂わせたのだった。

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