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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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30、亡霊

 朝、街の人々がそれぞれの仕事へと向かう時刻、王宮の門の前にはイーラの姿があった。


「ラシュカ・メイに会わせて欲しい。約束は取り付けてある」


「伺っております。どうぞ」


 門番の近衛団員は会釈し、門を開いてイーラを招き入れた。

 近衛団本部は王宮の一角にある。団員に続いて荘厳な玄関へ足を踏み入れると、入れ違いで一人の女性が出ていくところだった。

 彼女は質素な服装に白い生成(きな)りのエプロンをし、髪はターバンの中にまとめ、片手に木箱を抱えていた。何かの職人だろうか。


「……」


 イーラの目は自然と彼女の後ろ姿を追う。


「ご存知なんですか?」


「いや……。誰か、知っている人に似ているような気がしただけだ」


「そうですか。彼女は銀細工職人のフリム・ミードです。まだ若いですが、腕は確かですよ。王室御用達の職人ですから」


 そう言って、また歩き出す。横の扉を抜けて回廊を奥まで進むと、近衛団本部の建物があった。入り口には既にラシュカの姿がある。


「お待ちしていました。……中へどうぞ」


 イーラが来た目的をまだ聞かされていない彼は、怪訝な表情を隠しきれていなかった。

 案内役の団員は下がり、二人は本部の中へと入った。大理石の床に、足音がやけに響く。


「さっさと話を聞きたいだろうが、少し我慢してほしい。他人の耳には入れたくない」


 イーラは小声で呟いた。本部の広間には何人かの団員がいて、イーラの姿を物珍しげに見ている。ラシュカは答えた。


「誰についての話かだけでも、聞かせて貰えませんか」


「あなたの息子についてだ」


 二人は広間を抜け、廊下を更に進んで応接室に入る。ドアが閉まるなり、ラシュカは焦ったように尋ねた。


「オーサンに何かあったんですか?」


「心配するな。オーサン自身の問題ではない」


 イーラはそう言うと手の平を上に向けて、そこにナサニエルの顔を浮かび上がらせた。


「反魔力同盟の一人で、カイに危害を加えた男だ。今朝方、我々が確保した。ああ、大丈夫だ、カイなら無事だから。で、この顔に見覚えは?」


 ラシュカはしかめ面でその顔を眺め、首を横に振った。


「全く分かりません。分かりませんが……」


 彼の頭にはある考えが浮かんでいた。この男がオーサンに関係あるとしたら、それは。


「少し、顔が似ていますね。オーサンと」


 ラシュカは自分の言葉に歯噛みした。いくら我が子のように愛情を注ごうとも、オーサンには実の父がいる。切り離すことの出来ない血の関係を、彼は呪いのように感じていた。


「そうだ。それを伝えに来た」


 イーラは冷静に、こう続けた。


「名はナサニエル・ファーリー。元魔導師だが素行に問題があり、20年前に自警団から追放された。奴が尋問で吐いた話によると、それから名前を変え、宝石商として成り上がったらしい。金を手にした奴は娼館通いを始めた。そこで出会ったのがダリアと名乗る娼婦だ」


 ラシュカの頬がひくりと痙攣した。その名は知っている。一度、オーサンの母についての話を聞きにその娼館へおもむいたことがあるのだ。誰かに目撃されるのではないかと、その時は気が気ではなかった。


「ナサニエルはダリアが自分の子を産んだことを知っていた。もちろん責任を取るつもりなど小指の先程も無かっただろう。それでも、子供の名前は把握していた」


「……それが、オーサンだと?」


 イーラは頷いた。


「ラシュカ、あなたがオーサンを引き取った経緯は第二隊として私も知っている。今までどれほど愛情を掛けて育ててきたかもだ。だからこそあなたに確認したかった。この事実を、オーサンに伝えるべきかどうか」


 ラシュカは迷わず答えた。


「答えは一つです、イーラ隊長。オーサンには黙っていて下さい。……誰よりも自分の血に悩んでいるのはあの子なんです。実の父が誰かを知り、それが同盟の人間で、更に親友のカイに危害を加えたと知ったら、心が壊れてしまう。

 第三隊にはいますが、優しい子ですから。私が一番良く知っています。誰が何と言おうと、あの子は私の息子です」





 魔術によって傷付いた患者たちは今日も目を覚ますことがない。レナはベッドサイドに立って彼らの治療をしながら、怒りと無力感にさいなまれていた。


「……医長、医長」


 医務官の一人が遠慮がちにレナに声を掛けた。


「なんだ」


「お客様がいらしているそうです。応接室で待っているとか。ジェイン・オーズと仰る方だそうですけど」


「ジェイン? 知らないな。誰だ。……とりあえず行く。後を頼む」


 レナは病室を後にする。それからノックもせずに応接室のドアを開けた。

 ソファに掛けていたその人物の姿に、彼女は一瞬言葉を失った。


「……コール」


 口から掠れた声が漏れる。

 コールと呼ばれたその客人はゆっくりと立ち上がり、レナを見つめた。

 焦げ茶色のコートを着て、白髪混じりの髪を撫で付けた、壮年とも老年ともつかない風貌の男性だった。姿勢の良いその佇まいと頑として揺るがない瞳が、そこはかとなく威圧感を漂わせている。


「私を覚えていてくれたのか。君は随分、容姿が変わったようだが」


 コールは真顔のまま言った。それから、その場から動けずにいるレナの元へ二、三歩近付いていく。


「それ以上近寄るな」


 レナはコールを睨みながら吐き捨てた。その目に浮かぶのは怒りだ。


「……獄所台の人間が、名を偽ってまで何の用だ」


「今日は獄所台として来た訳ではない。個人的に、君に会いに来たんだ」


「私は会いたくなかった。二度とその顔を見たくなかった」


 レナは半ば叫ぶように言った。


「私の中であなたは死んだ人間だ。亡霊と話すことなんて、一つも無い」


「レナ」


 コールは懇願するような声を出した。


「私のあやまちを償わせてほしい。25年前に君を裏切ったことを」


「四半世紀も経って今更? どういう風の吹き回しか知らないが、帰ってくれ。償わせてたまるか。私は一生許さない」


 レナは背を向け、部屋を出ようとする。


「子供を」


 コールが言うと、レナの足は止まった。


「君が24年前に、子供を産んだと知った。時期から考えて私との子だろう。……一目でいい、会わせてくれないだろうか」


「妄想も大概にしろ。二度と来るな」


 語尾が微かに震えていた。レナは部屋を飛び出し、屋上へ駆け上がった。そこには一面にうっすらと雪が積もり、誰の姿も無い。

 彼女はドアの鍵を閉めてそこに背を預け、両手で顔を覆った。叫びたいのを必死で堪えていると、膝の力が抜けていく。

 ずるずるとしゃがみこんで、レナはそのまましばらく動かなかった。顔を覆う手を伝って、水滴が一つ、二つと雪の上に落ちていった。

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