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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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28、相手

 第二隊の隊長室には、肘掛け椅子に背を預けて目を閉じているイーラの姿があった。消えかかったランプに照らされる顔は彫刻のように美しく、そして生気がない。

 時刻は深夜2時を回ろうとしていた。イーラはついさっきまで、エスカから得た情報について確認作業をしていたのだ。カイを痛め付けた男――自分が過去に自警団を追放した男についてだ。

 確かに、記憶があった。名はナサニエル・ファーリー。彼を追放したのは二十年も前になる。当時のイーラは副隊長だった。隊長の指示で、自警団の隊員全てに厳しく目を光らせていた頃だ。

 ナサニエルは21歳、第二隊の中では特に目立つ存在ではなかったが、堅実に仕事をしていた、とイーラは思っていた。

 だがある日、イーラが地下牢を訪れたときに、一人の収容者が必死で訴えてきた。ナサニエルが自分たちに身体的な拷問を加えて、自白をさせていると。

 イーラは本人を呼び出し、話を聞いた。彼は反省など全くしていない様子で、こっちの方が早いじゃないですか、と言ってのけたのだった。

 その男が今、反魔力同盟にいる。由々しき事態だった。


「いい加減にしやがれ……」


 寝言とは思えないほどはっきりと口にして、イーラはまた静かな寝息を立てる。

 部屋のドアが静かに開いた。そこから身を滑り込ませるように入ってきたのは、レナだ。彼女はイーラの側へ行き、肩を叩こうと腕を伸ばす。


「……毒でも盛りに来たか?」


 イーラがぱちりと目を明けた。同時にランプが煌々(こうこう)と灯り、薄暗かった部屋が明るさを取り戻す。


「正解だ」


 レナは机の上に、毒々しい液体の入ったボトルを雑に置いた。


「飲め。多少は疲れが取れる」


「味は?」


「死ぬほど不味い」


 二人は顔を見合せ、ぷっと吹き出した。


「慣れってのは恐ろしいな。こんな状況なのに、笑ってるんだから」


 レナが言うと、イーラは机の上にあったコップにその毒々しい液体を注ぎながら、こう返した。


「人間、深夜はおかしな状態になりがちだ。お前は四六時中おかしいけどな」


 そして、コップの中身を一気に飲み干した。眉間に深く寄った皺が、それがどれほど不味かったかを示している。だが、青ざめていた彼女の頬は微かに赤みを取り戻していた。


「これ、失敗作だろう」


「研究の成果と言え」


「……それで、何しに来た。あの同盟の少年が、何か喋ったか?」


 イーラは姿勢を正してそう尋ねた。


「あいつは、何も。同盟の下っ端も下っ端、使い走りみたいなもんだ。尋問したって何も出てこないだろうな。そうじゃない。お前の部下のことで報告しにきた」


「第二隊の?」


「ああ。ナンネル・ローズのことだ」


「ナンネルがどうした」


「さっき、中央病院に入院させた」


 イーラは少し前のめりになる。


「なぜだ。同盟の奴に襲撃されて――」


「違う。単に、妊娠していてつわりが酷いってだけだ」


 レナが言うと、イーラは意表を突かれたような顔で一瞬固まった。


「妊娠だって……? ちょっと待て、事件性は無いんだろうな」


「無い。安心しろ、相手は獄所台の魔導師でもない。だが、どうしても言いたくないらしい。今は、その相手に妊娠を明かすつもりもないそうだ」


「理由は」


「迷惑を掛けたくないと。……気持ちは分からなくもないがな」


 レナはその言葉の真意を知られたくないとでも言うように、目を逸らした。イーラはしばらく黙った後、小さく溜め息を吐いてこう言った。


「……心当たりはある」


「なに?」


「これでも隊長なんだ。部下の誰が誰と親しいか、全て把握している」


「ナンネルに、恋仲の相手がいるってことなのか?」


 イーラは頷く。


「その相手本人が認めていた。ナンネルが今は明かせないと言ったことと、彼女の誠実な性格を考えるに、子供の父親は……エスカで間違いないだろうな」





 夜明けと共に、第一隊の隊員二名が本部を出発した。副隊長補佐ライラック・グルーと、弟のフローレンスだ。白んだ空の下、屋根の上を駆け抜ける二人の外套が風にはためいている。


「なあ、兄貴」


 フローレンスがあくび混じりに言った。


「なんだ」


「兄貴はルース副隊長より先輩なんだろ? 副隊長の座、先に取られて悔しいと思ったことないの?」


 ライラックは少し考えてから、こう答えた。


「無いな。仮にだが、もしカイがお前より先に副隊長になったら、悔しいか?」


「えー? 別に。向き不向きってあるじゃん。俺は人をまとめるの、苦手だな」


「そういうことだ」


 ライラックは笑った。


「ルースには人を率いる力がある。俺にはあまり無い、それだけだ」


 二人は屋根を降り、細い路地を進んでいく。周囲よりも更に薄暗く、地面に散乱したゴミや割れたままの窓、板を打ち付けたドアなど、進めば進むほど治安の悪さが際立ってくる。

 ライラックは突き当たりのドアの前で立ち止まり、フローレンスに目配せして頷いた。他の家々と同じく朽ちかけたこの建物は、二階建てのようだ。

 フローレンスは音も立てずに、一階の屋根に飛び乗った。それから二階の窓の上枠に手を掛けて飛び上がり、勢いを付けて両足でガラスを蹴破った。家の中で怒声と、銃声が何発か聞こえる。

 ライラックはサーベルに手を掛け、ドアの横で待機した。すぐに、足音が近付いてくる。フローレンスは上手くやったらしい。

 ドアが勢い良く開いた。そこから飛び出して来た影に、ライラックは流れるような手捌きでサーベルを振るった。


「ぐあっ……」


 一人の男が地面に倒れ込む。ライラックはその男を足で仰向けにひっくり返し、喉元にサーベルを突き付けた。


「ナサニエル・ファーリー。礼をしにきた。うちの部下をいたぶってくれた礼をな」


 ライラックの目には怒りが燃え、倒れたナサニエルは顔をひきつらせていた。


「兄貴、いいとこ取りはなしだ」


 フローレンスが揚々と屋根の上から降りてきた。中にいた同盟の人間は、全て片付いたようだ。


「俺がこのアジト、発見したんだからさ」


「分かっている」


 ライラックは外套の内側から銀色のロープを取り出し、ナサニエルの上に放る。ロープはまるで蛇のように動き、彼の手首と胴体を捕縛した。


「俺たちはこいつとは違う。正規の方法で全部吐かせるさ。正しい魔導師の在り方ってやつを、教えてやるよ」


 サーベルを鞘に納め、ライラックはにやりと笑った。

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