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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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26、隠したいこと

 夜も更けて日付の変わった頃、中央病院の休憩室で仮眠を取っていたレナの元に、一羽のナシルンが飛んできた。

 彼女は寝惚け眼をこすってそのメッセージを聞き取ると、素早く白衣を羽織って休憩室を飛び出した。


「レナ医長、さっき休憩に入ったばかりでは?」


 廊下で医務官に声を掛けられると、レナは早口に言った。


「自警団からの急患だ。ベッドを一つ空けておけ。個室の」


「重症なんですか」


「いや。だが、医務室では手に負えない種類の患者だ」


 レナは一階に降り、玄関近くにある部屋のドアをノックもせずに開けた。髪をひっつめた生真面目そうな女性が一人、机に向かって書類仕事をしている。動きやすそうな紺色のつなぎ服を見るに、事務員ではなさそうだ。

 彼女は病院専門の運び屋、オリエッタだった。主に医務官や患者の移送を担っている。


「医長。急患ですか?」


 突然の来訪にも嫌な顔一つせず、彼女は立ち上がった。


「ああ。自警団に迎えに行くぞ」


「かしこまりました。医務室ですね」


 オリエッタは立ち上がり、軽くレナの腕に触れる。次の瞬間、二人の姿は部屋から消えていた。





「もう少しで迎えが来ますから。大丈夫ですよ」


 静まり返った医務室の中、カーテンで囲まれた中にぼんやりとランプの明かりが灯り、人影が動いている。そこには、ナンネルの着替えを手伝うミネの姿があった。


「申し訳ありません。汚してしまって……」


 ナンネルは青白い顔のままそう言った。医務室へ来てから徐々に吐き気が強くなり、夜半、ついに吐いてしまったのだ。


「気にしないで下さい。ナンネルさんの体が一番ですから」


 ミネは不意に、人の気配を感じた。彼女がベッドを囲うカーテンから外に出ると、そこにはレナとオリエッタが立っていた。

 レナはミネと少しだけ言葉を交わすと、カーテンを開けてナンネルと顔を合わせた。ナンネルは少し緊張した面持ちで、小さく頭を下げる。

 戦闘に参加しない第二隊の隊員が医務官の世話になることはほとんど無かった。加えて、彼らは非常に我慢強い。多少の体調不良程度では、滅多に医務室を訪れなかった。


(まあ、隊長があれだから、仕方ないか)


 レナは思った。隊長であるイーラの我慢強さは折り紙付きで、かなり昔、腕の骨折を黙っていたときには叱り飛ばしたことがあるほどだ。


「そう不安になるな。ここよりは病院の方が快適だぞ」


 レナは安心させるように、そう言った。


「あのクソ魔女には私から報告しておいてやる。とりあえず、移動だ」





 病室のベッドの上でナンネルは相変わらず嘔吐(えず)いていた。胃が空っぽでもう吐くものは無いのに、気持ち悪さは消えず、その苦しさに涙が滲んでくる。

 そこへ、湯気の上がるカップを手にしたレナが足早にやってきた。


「待たせたな。これを飲め。少しは良くなるはずだ」


「ありがとうございます……」


 ナンネルはカップを受け取り、口を近付ける。薔薇のようなかぐわしい香りに、心がほっと落ち着くようだった。一口飲むと、嘘のように吐き気が治まってくる。


「これは……?」


「イラモラスの種を煮出したお茶だ。つわりには良く効く」


 レナの言葉に、ナンネルはしばし黙り込んだ。これから何を聞かれるのかは予想が付く。だが彼女には、何を聞かれても隠し通さなければならないことが一つだけあった。


「とりあえず、診察してもいいか?」


 彼女の表情を観察しつつ、レナはそれだけ言った。ナンネルは頷き、ベッドに横になる。

 レナの手が彼女の下腹部に触れる。そのまま集中するように目を閉じ、一分ほどしてから、レナは手を離した。


「もう少しで妊娠3ヶ月ってところだな。まさか、気付いていなかったとは言わないだろ?」


「……はい。一週間ほど前には、さすがに気付いていました」


 レナは枕元にあった椅子を引き、腰掛ける。彼女の大きく丸い目が、秘密を見透かしたようにナンネルを射抜いていた。


「ナンネル、お前は独身者だ。そして自警団の魔導師という立場上、イーラに報告する前に一つ確認させてほしい。……その子の父親は?」


 それこそが、ナンネルの一番恐れていた質問だった。


「お話し出来ません」


 彼女は声を震わせ、レナから目を逸らした。


「なぜだ」


「ご迷惑をお掛けするわけにはいかないんです……」


「ナンネル」


 レナの表情がさっと険しくなった。


「まさか、獄所台の魔導師じゃないだろうな」


 自警団の魔導師が決して情を通じてはならない相手、それは獄所台の魔導師だった。

 公正に罪を裁くために、獄所台は完全に独立し、どこからも干渉を受けない存在である必要がある。故に、獄所台の魔導師個々人が、量刑の決定に影響を及ぼす人物と繋がりを持つのも厳しく規制していた。

 その最たるものが自警団の魔導師だ。犯罪者を捕らえ、機密を扱う存在である彼らが獄所台と癒着すればどうなるか。秘密裏に、都合の悪い存在を終身刑に処してしまうことも可能なのだ。


「それは違います」


 ナンネルは首を振って否定した。


「獄所台の魔導師ではありません」


「じゃあ、それ以外で父親を明かせない理由はなんだ。事件性があるのか?」


「それも違います。……申し訳ありません、医長。何度聞かれても、この子の父親については、私は何もお話し出来ません」


 ナンネルは涙を浮かべながらも、決意のこもった目でレナを見返した。


「……いいだろう。獄所台でないなら、それでいい」


 諦めたように息を吐いて、レナは笑った。


「第二隊の奴らは本当に強情だな。最後に、これだけ聞かせてくれ。その相手は、お前が妊娠していることを知っているのか?」


「……いいえ」


「明かすつもりは?」


 ナンネルは首を横に振ったのだった。


「少なくとも、()()ありません」

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