22、手掛かり
「カイを助けないと!」
セルマが慌てて建物の中に入ろうとするのを、オーサンが腕を掴んで止めた。
「馬鹿、やめろ。煙を吸ったら元も子も無いぞ」
カイを助けたいのは自分も同じだが、迂闊な真似は出来なかった。カイにセルマを託された以上、彼女を守らなければならない。
「でも――」
「お前たち、無事だったか!」
二人が揉めているところへ、エスカとルース、エーゼルの三人が駆け寄ってきた。エスカが安堵の息を吐く横で、ルースはカイの姿が無いことに気付く。
「カイは?」
「脱出途中、何者かに襲われて二階に。……セルマを頼みます」
オーサンはポケットから灰色のハンカチを取り出すと、それで口元を覆い、頭の後ろで縛った。何かあったときに使って欲しいと出発前にクロエから預かった防煙布だ。彼女の試作品らしい。
「何をする気だ」
「カイを探してきます。短時間なら、この布があれば大丈夫ですから」
そう言って、止める間も無く一階の窓から中へと侵入した。焦げ臭さは布を通過して鼻に届いたが、意識が朦朧とすることはない。防煙布の効果はあるようだ。
一階にはまだそれほど煙は充満していない。視界も確保出来ている。オーサンは廊下を走り、階段を駆け上がった。上がるにつれて煙は濃くなってくる。
二階へ着くと、視界が完全に遮られた。これでは前に進めない。
「カイ!」
返事はない。オーサンはサーベルを抜き、壁に手を着いて進んでいく。カイが突っ込んだ部屋は、左から三番目だったはずだ。
一つ目のドアが手に触れる。そのまま進み、二つ目。そして、三つ目。背中をぴたりとドアに着け、ノブに手を掛ける。
サーベルを握り締め、勢い良くドアを開ける。そこに人の気配は無かった。
「カイ! どこだ!」
もう一度呼び掛けるが、やはり返事はない。ドアを開けたことで割れた窓から風が入り込み、徐々に煙が薄まっていく。床に、何か落ちているのが見えた。
「これ……」
玉虫色に光る鎖付きの小さなプレート。カイの認識票だ。さっきまで、カイがここにいたのは間違いない。
認識票にはべっとりと血が付いていた。それが彼のものかどうかは分からない。
「くそっ」
オーサンは悔しさに歯噛みし、部屋を見回す。他に手掛かりとなるものはなさそうだ。
不意に意識が朦朧としてくる。防煙布の効果もそろそろ限界らしい。彼はすぐに窓から脱出した。着地に失敗して派手に転げたが、外の空気を吸うと意識は徐々にはっきりとしてくる。
「オーサン、大丈夫か!」
セルマたちがすぐに駆け寄った。
「ああ、大丈夫。カイはいなかった。でも、これが落ちていた」
オーサンはカイの認識票を掲げた。セルマはそれを見て青くなる。
「血が……」
「カイのだと決まったわけじゃない。それに、部屋の床に血は落ちていなかった」
「誘拐か。だとしたら、誰の血かはともかく居場所を知る手掛かりだな。皆、こっちへ」
エスカはそう言うと、全員をスタミシアの隊員たちがごった返す喧騒の外に連れ出した。
「体の一部があれば追跡が可能だ。例え血液でもな。オーサン、それを」
彼は認識票を受け取り、手の平に乗せる。途端に青白く光る球体が現れ、それが燕の形に変化した。追跡の魔術の応用だ。
「すごい……」
エーゼルが思わず呟いた。必要な手順を省いて、一瞬でここまで出来るとは驚きだ。
エスカが指先でその燕に軽く触れると、空中に青白く地図が浮かぶ。どうやらスタミシアの地図らしい。現在地の中央区からは離れた街、西8区辺りに、点滅する光があった。それが、血液の主の居場所のようだ。
「馬車でも三時間は掛かる場所だな。……やはり運び屋が絡んでいるか」
エスカは眉間に皺を寄せる。ものの数分でこれだけの距離を移動したとなると、運び屋を使ったとしか考えられない。懸念した通り、そこにも同盟の人間が入り込んでいるということだ。
すると、ルースが言った。
「でも、僕たちはカイを助けないといけません。……考えがあります」
(狭くて暗いところ、嫌いなんだよな……)
息を殺して身を小さくしながら、オーサンはそう思った。幼い頃、父に閉じ込められた納屋を思い出すからだ。
普段は各種の荷物が詰まっている木箱。西8区に送られるその木箱の中に、彼らは身を潜めていた。
もし仮に運び屋が同盟の人間だったとしても、正体が露見しない限りはこれで無事に目的地に着くことが出来る。
「重さを変えるための魔術は掛けておきました。怪しまれることは無いかと思います」
箱の外からベロニカの声が聞こえる。
「皆さんの無事を祈っています」
彼女の足音が遠のいていった。しばらくして、何人かの男の声がする。運び屋たちだろう。オーサンは更に息を殺した。
「しっかし、聞いたか?」
「なんだ」
やや間があり、男の一人は声を落として言った。
「裏仕事してる奴がいるらしい」
「裏仕事?」
「ああ。キペルの方で、許可されてない物を運んでる奴がいるって聞いた。俺は、メニ草とか運んでるんじゃねぇかと思ってんだけどよ」
「いや、俺は怪しい人間を運んでるって聞いた。夜中に、こそこそとな。やばい人間なんじゃないか? メニ草じゃなくて、メニ草の売人と見た」
「はぁ。犯罪の片棒担ぎじゃねえか。自警団に捕まったら獄所台行きだぜ? いくら金貰えるのか知らんが。疑われるだけでも厄介だ」
その自警団が箱の中にいるとは、露ほども思っていないようだ。
「だな。ほら、お前そっち持て。それでよ――」
オーサンの体が揺れる。男たちの会話は止まることがない。普段から、こんなふうに私語混じりで仕事しているのだろう。
「話は変わるが、ゴヘスのとこの倅、来年魔術学院に入るんだってよ」
「へえ、あの坊っちゃん。魔力あったのか」
「らしいな。でもよ、そのことで奥さんと大喧嘩したらしくて。もう一週間、口利いてないんだとさ」
「なんでだよ。息子が魔導師になれば安泰じゃねぇか」
「女親は違うんだよ、相棒。まず一番に、子供を危険な目に遭わせたくねぇって思うんだろ」
「まあ、命懸けではあるな。ゴヘスの世代なら、9年前のクーデターも覚えてるだろうし……」
「あれは、なぁ。スタミシア出身の人だったっけ。可哀想に、あの人にも倅がいたんだよな」
「今頃何してるんだか。確か、あの頃はまだちっこい子供だっただろ? どっかで、事件のことは忘れて幸せに暮らしてるといいけど」