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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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16、生き残った理由

 またあの夢だ。

 自分はガベリアの街を歩いていた。何度も何度も、繰り返し見た光景だ。これから何が起こるかは分かっている。分かっているのに、逃げることが出来ない。

 夢の中で体の自由が利かない、あの感覚。徐々にその瞬間は近付き、恐怖で胃が締め付けられ、指先が冷たくなっていく――


「ミネ」


 誰かの呼ぶ声で、ミネは頬に涙を伝わせながら目を覚ました。体を起こして部屋を見回してみても、人の気配はない。普段通りの寂しい自室に、朝陽が薄く射し込んでいるだけだ。


「クラウス……」


 忘れるはずのない、想い人の声だった。ミネははっとして、自分の胸元に手を遣る。ルースから預かったクラウスの認識票が、指先に触れた。

 これのせいだろうか。今まで一度も、夢の中ですら彼の声を聞いたことがなかったのに。タユラの首飾りに彼女の意志が宿っていたように、この認識票にはクラウスの意志が宿っているのかもしれない。

 ミネは認識票を握り、もう一度彼の声を聞こうと目を閉じた。だが、耳に届くのは部屋の静けさだけだ。しばらくして彼女は肩を落とし、諦めたように頬の涙を拭った。


(そんなに上手くいくはずないよね……)


 ルースがガベリアへ向けて出発したことで、彼女が混乱しているのは間違いなかった。その不安な心が、クラウスの声の幻聴となって現れたのだろうか。

 ベッドから降りる前に、ミネは義足を着ける。もはや生活の一部になっているその動作だが、そのとき、ふと思ったことがあった。

 自分はガベリアの悪夢で脚を失ったが、こうも考えられる。失ったのは()()()()()()()、と。

 本来なら、跡形も無く消えていたはずなのだ。実際、あの時すぐ側にいた先輩は消えてしまった。なぜ自分だけ生き残ったのか――その理由がもう少しで分かりそうな気がして、鼓動が微かに速まった。

 ルースがクラウスの認識票を渡すときに言った「お守りとして」という言葉。守る。そう、自分は悪夢が起きたあの瞬間、誰かに守られたのかもしれない。

 その誰かが、クラウスだったとしたら。


(そんな都合のいいこと、あるはずがない)


 ミネは自分に言い聞かせた。あの時クラウスが側にいたとは思えないし、守ってくれたのは、悪夢にいち早く気付いていた先輩かもしれない。

 でも、もしかしたら、と膨れ上がる期待は抑えられなかった。

 もし何らかの魔術でミネが守られたのだとしたら、それが彼のものかどうか、確かめる方法が一つだけある。その魔術の痕跡と、クラウスの霊態(タイプ)が一致するかどうか調べればいいのだ。

 問題は、魔術の痕跡がまだ残っているかどうかだった。人の体に残った痕跡は、長くても2日程度で消えてしまう。ガベリアの悪夢は7年前で、ミネの体には既に残っていないことになる。

 ただ、物の場合は別だ。耐久性が高い程、魔術の痕跡も長く残る。例えば金属や石などからは、数十年前の痕跡が出たこともある。


(あの当時、私が身に付けていた物……)


 ミネは枕元に置いていた、自分の認識票を手に取った。


「これだ」


 彼女は呟いた。悪夢が起きた瞬間も、身に付けていた物。これに、クラウスの魔術の痕跡が残っているかもしれない。

 ミネは手早く着替えを済ませ、部屋を飛び出した。



 第三隊の隊長室に着いた。堅牢なドアの向こうからは、獣の唸り声のようないびきが聞こえてくる。隊長であるフィズは日頃「どうせすぐ呼びつけられるから」とこの部屋で寝泊まりしているのだ。

 ミネがドアをノックすると、唸り声はぴたりと止んだ。


「誰だ」


「ミネです。こんな朝早くにすみません。あの、隊長に用があって」


 焦る気持ちを抑えながらそう説明する。カチリと錠の回る音がして、ドアが数センチ開いた。


「入れ」


 ミネが部屋に入ると、机の向こうの椅子に寝癖頭のフィズがいた。かなり機嫌の悪そうな顔で髪を掻いている。第三隊の部下であれば物を投げ付けられてもおかしくないが、彼はミネに対しては殊更に優しかった。


「具合はどうなんだ?」


 気遣うような表情をしながら、フィズは席を立って彼女の前に移動した。


「大丈夫です。それよりフィズ隊長、お願いがあります」


「なんだ、言ってみろ」


「これに残っている、魔術の痕跡を調べたいんです。私にはその力がないので」


 ミネは自分の認識票を差し出した。


「痕跡? どうしたんだ、急に」


「ガベリアの悪夢の時、誰かが私を守ってくれたのかもしれないんです。だから私は、生き残ることが出来た。きっとそうなんです。それがもしかしたら――」


 やや興奮気味で話すミネの肩に手を置いて、フィズは頷いた。皆まで言わなくても、彼女の考えていることが分かったらしい。


「落ち着け、ミネ。痕跡を抽出することは可能だが、誰の霊態と照合するつもりだ?」


「これです」


 今度は自分の首元から、クラウスの認識票を取り出した。フィズは目を細め、そこに刻まれた名前を読み上げる。


「クラウス・ヴィット……。悪夢で消えた、お前の同期か。なぜ持っている?」


「彼が忘れていったのを、ルースが預かっていたそうです。フィズ隊長、認識票にはその隊員の霊態が登録されていますよね?」


「ああ。つまり、お前の認識票に残った痕跡と、クラウスの霊態を照合しろということか」


 ミネは真剣な目で頷いた。


「お願いします」


 彼女の真剣な頼みを断るつもりはない。ただ、フィズには一つ懸念があった。


「もし、クラウスじゃなかったら?」


「その時は、また謎が増えるだけです。……心配しなくても大丈夫ですよ、フィズ隊長。私はそれくらいで落ち込んだりしません」


 ミネはそう言って、微笑んでみせた。


「……分かった」


 彼女は強い。今まで何度過酷な目に遭っても、こうして医務官を続けていることが何よりの証拠だ。

 フィズは覚悟を決め、机の上に二つの認識票を並べる。そして、ミネの認識票に手を翳した。


「……」


 確かに痕跡は残っている。ただ、直近にかけられた拷問の魔術のものが濃く残っていて、過去のものは微かにしか感じられない。

 だが、そこは隊長だ。出来ないなどとは口が裂けても言いたくないし、言うつもりもない。常に険しい顔をさらにしかめて、フィズは痕跡を探った。


「……よし、これだ!」


 ミネの認識票から、白いもやが細長く立ち上った。フィズはそれを握り、クラウスの認識票の上に持っていく。


「もしこの痕跡がクラウスのものなら、認識票は青く発光する。そうでないのなら、何も起こらない。いいな?」


「はい」


 ミネはしっかりと頷いた。フィズが手を開く。そこから零れた靄は、クラウスの認識票にすっと吸い込まれていった。

 二秒、三秒と時間が流れていく。まだ何も起こらない。


「そうですよね……」


 ミネが諦めの言葉を口にしたそのときだった。

 クラウスの認識票が、青い光を放った。見間違いなどではなく、はっきりと。


「見ましたか?」


 ミネは目を見開いて、フィズに顔を向けた。彼はほっとした表情で、ミネに笑いかけた。


「ああ。間違いなく、クラウスのものだな」


「本当に……」


 声を震わせ、ミネは両手に顔を埋めた。涙が止めどなく溢れてくる理由は、自分でも分かっている。

 想い続けた人が、自分の命を捨ててまで守ってくれた。あの時、彼が何処にいたのかは分からない。だが、それだけは紛れもない真実だった。

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