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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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15、スタミシアの巫女

 朝陽の眩しい廊下を抜け、階段を降りていく。スタミシア支部の地下に、巫女の洞窟へ繋がる通路はあった。セルマは胃の中に金属でも流し込まれたような重苦しい気分で、前を歩くレンドルの背中を追う。


「こちらです」


 レンドルが足を止めると、そこにはキペルにあったものと同じ、オルデンの樹が描かれた石扉(いしど)があった。


「私は外にいろと言われておりますので、どうぞ」


 レンドルは扉を開ける。中は暗く、通路がどこまで続いているか定かではない。

 だがここで立ち止まっている時間はない。エイロンや同盟の人間が、いつまた襲ってくるか分からない。セルマは唾を飲み込み、一歩踏み出した。

 キペルのときのように分かれ道が続くと思っていたが、ほんの数歩で、セルマは洞窟に辿り着いていた。


「え……」


 拍子抜けしながら、洞窟の中を見回す。中央に巨大なオルデンの樹、どこまでも高い天井から降り注ぐ光。キペルの洞窟とほぼ変わらない造りになっている。

 樹の下に、セルマに背を向けて立っている人物の姿があった。青い装束の背中に、豊かな栗色の髪の毛が流れている。彼女が、スタミシアの巫女パトイだ。


「来ましたか」


 冷たい響きの声だった。パトイは振り返り、足音も立てずにセルマの前に立った。

 イプタと同じように、黒曜石の瞳を持つ美しい少女だった。ただ、ベールの向こうにあるその表情に温かさは皆無だ。


貴女(あなた)が、セルマ」


「はい」


 緊張の面持ちで佇むセルマの顔を、パトイは穴が開くほどに見つめた。


「貴女の心は常に揺らいでいる」


 セルマはどきりとする。昨夜、カイが口にした言葉が心を掻き乱していたのは、事実だった。


 ――セルマは俺の大切な人だから。


 それだけなら、自分が巫女だからそう思ってくれるのだと割り切ることが出来た。しかし、彼はこう続けた。


 ――例え巫女じゃなくても、それは同じだ。


「あの……私は」


「話はレンドルから聞いている。オルデンの樹を通して、貴女がここへ至った経緯も知っています。一つ、私に言えるのは」


 パトイはすっと手を伸ばし、セルマの胸元に揺れる首飾りに触れた。


「タユラも貴女も、巫女としての役目を放棄しているということです」


「そんなこと――」


「ないとは言えまい。貴女は知らないのでしょう。オルデンの樹を制御し続けるために、どれほどの覚悟が必要なのか。試してご覧なさい」


 そう言うと、パトイは一歩後ずさった。

 オルデンの樹が枝葉を揺らし始める。不穏な気配にセルマが息を呑んだ次の瞬間、吹き荒れる風が黒水晶の葉を洞窟の中に激しく舞い散らせた。

 もはや数歩先にいるパトイの姿すら見えないほど、視界が黒く染まっている。鋭い葉は、嵐の中にいるセルマの皮膚を容赦無く裂いていった。


「……っ!」


「巫女として覚悟があるのなら、オルデンの樹を止められるはずです。さあ」


 轟々と唸る風音の中、パトイの声がどこからともなく聞こえる。だが、セルマには為す術がない。地面には自分の血が滴り、立っていることすらできなかった。

 耐えきれずセルマが膝を着くと、不意に嵐は収まった。舞い散っていた葉はその場で動きを止め、跡形も無く消え去った。

 パトイはゆっくりと近付いてくる。侮蔑を含んだ視線が、セルマに向けられていた。


「分かりますか。貴女の覚悟などその程度のものです」


 傷だらけになったセルマはふらふらと立ち上がり、怯えた瞳でパトイを見つめ返す。


「貴女はオルデンの樹を制御することすら出来ない。ガベリアを甦らせることなど、到底不可能です。タユラは道をあやまった。……この世界を思うなら、貴女を巫女の器として育てるべきだった」


 パトイはセルマに近付き、命を持たないかのように冷たい指先で、彼女の頬に触れた。


「巫女の役目は何ですか、セルマ。このオルデンの樹を制御し続け、秩序を守る。ただそれだけです。リスカスに生きる、全ての人間のため。……我々はただ一人のために存在することは許されない。それが出来ぬのならば」


 パトイの指先はゆっくりとセルマの胸元に移る。彼女が何か呟くと、抵抗する間も無く、セルマの意識はすっと遠退いていった。


「オルデンの樹の一部となるまでです」





 キペルの中央病院にある休憩室で、レナはずきずきと痛むこめかみを揉んでいた。昨夜、ほんの数十分仮眠を取ったつもりが、朝陽が昇りきるまでしっかりと眠り込んでいたらしい。

 ソファから体を起こしたところで、同僚の医務官が姿を現した。長いブロンドを後ろで一纏めにした壮年の男性で、魔術学院ではレナの先輩でもあった人物だ。


「目は覚めたか?」


「なんで起こさなかった、バジス。私は寝ている暇なんてないんだぞ」


 レナはぎろりと彼を睨み付けた。


「特に変わりはないから安心しろ。あの少年も眠っている。お前はもう少し仲間を信頼した方がいいぞ。それに、無理は体に祟る。俺たちも結構な歳だからな」


 バジスは軽く笑って、レナの前にあるテーブルに紙袋を置いた。


「なんだこれ」


「朝飯くらいは食べろ。酷い顔してる。……昔はあんなに可愛かったのになぁ」


 彼はレナが奇抜な容姿になる前を知っている、数少ない人間だった。レナはその一言を完全に無視し、紙袋から堅焼きのパンを取り出してかぶりついた。彼女の好物だ。


「食べながら聞いてくれ」


 バジスは真剣な面持ちで、レナの隣に腰を下ろす。


「自警団で何か起きているみたいだが」


 レナは食事の手を止め、ゆっくりと彼に視線を向けた。エイロンのこともロットのことも、一部の人間にしか知らされていないはずだ。


「……何を知っている?」


「何も。俺が知っているのは医務室が襲撃されたことくらいだ。ただ、お前の様子がいつもと違うのが気になってな」


「先輩面するな」


 レナは目を逸らし、誤魔化すようにパンを咀嚼した。バジスは続ける。


「お前の能力は誰よりも高い。だからこそ自警団の医長なんだろうが……俺は心配だ。()()一人で抱え込むんじゃないかと思うと」


 それを聞いたレナは、さっと険しい顔をして立ち上がる。そして、怒りのこもった目でバジスを見下ろした。


「お前もあの変な噂を信じている口か。私に子供がいると。話にならない」


「もう24年も前のことだ。昨日今日知り合った仲じゃないんだから、そろそろ本当のことを話してくれてもいいんじゃないか?」


 見返したバジスの目は、確信があるとでも言いたげだった。


「私があの頃、長期間休んだことを言っているならとんだ見当違いだぞ。母親の具合が悪くて実家に帰っていただけだ。……もう行く」


 踵を返し、レナは逃げるように部屋を出ていった。

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