14、帰る家
夕食を終え、和やかになるはずの部屋の雰囲気は今までで一番重苦しくなっていた。イーラが飛ばしたナシルンが到着し、カイ達はロットについての真実を知ったのだ。
口を開く気力もなく、一同は誰かが話し出すのを待っていた。
「……復讐か」
最初に言葉を発したのは、やはり最年長のエスカだった。
「ロット隊長が最もやりそうにないことだが、それは俺たちの勝手な想像だからな。家族を奪われて、その犯人が手の届く場所にいる。力もあり、チャンスもある。同じ立場になって、そこで踏み留まれるかどうかは俺にも分からない」
ややあって、ルースがはっとした表情になった。
「ロット隊長は、僕とカイがセルマを保護して巫女の首飾りを手に入れた後、それを持ってイプタの元へ行きました。そしてイプタは首飾りからタユラの記憶を視て、ガベリアの悪夢の真相を知った。もちろん、ロット隊長にも話したと思います。そこで疑問に思うんです。イプタはロット隊長が復讐に走ろうとするのを、分かっていたんじゃないかと」
「知っていて止めなかったと?」
「ええ。無論、巫女が一魔導師を止める義理などないとは思いますが。隊長とイプタの間には何かがある。近衛団を退いてからも隊長が洞窟に出入りしていたことを考えると、有り得ない話ではありません」
「私もそう思う」
セルマが口を開いた。
「イプタは何か隠しているんだ。たぶん……タユラと同じような――」
その時だった。また別のナシルンが、壁を抜けて部屋に滑り込んで来る。首に『G』のタグが付いた、近衛団専用のナシルンだ。
「たぶん、レンドル副団長からだな」
エスカがそのナシルンに触れる。
「……明朝6時、スタミシアの巫女パトイと会うことになる。ただ、セルマが一人で来てほしいそうだ。レンドル副団長によると、パトイは最も厳格な巫女らしい。イプタやタユラのように人の心を解さない」
「恐ろしいですね」
そう口にしたオーサンに、全員の視線が向いた。彼は焦ったように付け加える。
「いや、パトイのことじゃなくて。彼女をそんなふうに育て上げた人間たちがってことですよ。どんな酷い仕打ちをしたら、巫女の役目のためだけに生きるようになるのかと思って」
「確かにな。タユラはそれをセルマに経験させまいとした。だから、君はここにいるわけだ」
そう言って、エスカはセルマに視線を向けた。
「結果として今に繋がったけど、それが正しかったかどうか俺には分からない。君自身は、どう思う?」
深夜、ベッドから起き出したセルマは、物音を立てないようにそっと廊下へ出た。ひやりとした空気の中、窓から射し込んだ月明かりが床に規則正しく四角形を並べている。
セルマは窓から外を覗く。中庭の向こう、雲のない夜空を背景に、敷地を囲む背の高い針葉樹が揺れている。キペルでは見たことのない種類の木だ。
(私、初めてキペルから出たんだ……)
一生ここで過ごすと思っていたスラム街の光景が、彼女の頭に浮かぶ。もうあそこに戻ることはないのか。無事にガベリアが甦ったら、洞窟の中で、巫女の役目を終えるまで生き続けるしかないのだろうか。
タユラが自分を巫女の器として育てさせなかったことは正しいかどうか。エスカの問いに、セルマは答えられなかった。
(そんなこと、私にも分かるわけない)
胸元の首飾りを握り締める。いっそのこと、タユラがこの体を乗っ取ってくれたらいい。そうすれば、何も考えなくて済む。
ふと、物音が聞こえた方向へ顔を向けると、部屋のドアが静かに開くところだった。
「一人で外に出るなよ。危ないだろ」
カイが目を擦りながらセルマの隣に並んだ。あまり寝癖が付いていないところを見るに、彼も熟睡はしていなかったらしい。
「ごめん」
「眠れないのか?」
「うん。……でも、カイもだろ」
「オーサンみたいに、こんな状況でよだれ垂らして寝られる奴の方が珍しい」
カイはそう文句を言った。
「……そういえばさ」
セルマはスタミシアに着いてから、ずっと気になっていたことがあった。カイの家族についてだ。
「うん」
「カイの家って、スタミシアにあるんだろ?」
「ああ。ここからは結構遠い、南15区っていう端の方だけどな」
カイも窓の外を眺める。
「魔術学院に入学してから、一度も帰ってない」
「え、一度も?」
「家に帰ったって、誰もいないから」
冷静さを保とうとするかのように、カイは一度深く息を吐いてから話し始めた。
「父さんが死んでから、母さんはずっと病院の精神棟にいる。……セルマ、メニ草って知ってるか?」
セルマは頷いた。スラム街でも、それの闇取引を何度か目にしたことがある。高揚感をもたらす一方で、効果が切れると暴力的になる危険な植物だ。メニ草の乱用者が溢れる一角では、殺人事件も頻発している。
「ショックで塞ぎ込んでいた母さんに、誰かがメニ草を使わせた。最初は母さんが元気になったと思って俺も嬉しかったけど、段々、暴力を振るうようになってきてさ。それでも母さんと離れたくなかったから、2年くらいは我慢した。メニ草のせいだなんて知らなかったし。けど母さんは、……最終的には俺の首を締めて殺そうとしてきた。
そこからの記憶が曖昧なんだ。たぶん、誰かが助けてくれたんだろうけど。母さんは病院に入れられて、俺は叔父の家で育てられることになった。でも俺は、母さんが悪いなんて一つも思ってないよ。悪いのは母さんを守れなかった俺だ。父さんが知ったら、何て言うんだろう」
彼は弱々しく笑って、セルマに顔を向けた。
「だから今度こそ、ちゃんと守りたい。セルマは俺の大切な人だからさ」