12、既に
ベロニカは一行を隊舎の一室に案内した。他から来た隊員を泊めるための簡素な部屋だ。中央に机と椅子、両の壁際に2段ベッドが二つずつ並んでいる。
「出立の準備が整うまでは、こちらの部屋を使って下さい。食事は食堂で、シャワー室はそこに……、あーっ!」
唐突に彼女が大きな声を出したので、全員がびくりと肩をすくめた。
「何か?」
エスカが尋ねた。
「とんでもないことに気付いてしまいました。あなたは、女性ですよね?」
そう言って、ベロニカはセルマに顔を向ける。
「え、うん」
「年頃の男女が同じ部屋なんて、ダメですよね。うん」
「私は別に気にしないけど」
「いいえ。いくら巫女でも、レディはレディですから」
ベロニカがさっと片手を上げると、壁を抜けてきたナシルンが素早くそこに止まった。動きが忙しなく見えるだけで、手際はいいようだ。
「アルゴ隊長、ベロニカです。セルマさんと、他の隊員の部屋を分けることを希望します。大至急、返信お願いします」
ナシルンにそうメッセージを預け、送り出した。それから申し訳なさそうに頭を下げる。
「初っ端から不手際を晒してしまいまして……」
「構わないよ。スタミシア支部も、急なことで大変だろうしね。ところで、どうして案内役が医務官の君になったんだい?」
エスカは優しげに尋ねる。彼は微笑みの裏で、既にベロニカを懐柔しにかかっていた。隙あらば相手から情報を引き出そうとするのは、第二隊の日常だ。
「優しいんですね、本部の方って」
ベロニカはほっとしたように、表情を弛めて答えた。
「私が選ばれた理由は、やっぱり、私がスタミシアで一番の医務官だからですね。……っていうのは置いておいて、実際は、エドマー・ワーズのことがあるからです」
「エドマーの?」
反魔力同盟と繋がり、ミネを拷問した後輩の医務官だ。レナによって遺体としてスタミシアに送られていた。同盟に、彼が死んだと思わせるためだ。
「はい。彼の隠匿を、レナ医長から直々に頼まれていて。その関係で、案内役も頼まれました。今回のことで事実を知っている隊員は、ごく僅かですからね。ほとんどの人は、あなた方が視察に来たくらいに思っています」
その時、ナシルンが返事を持って帰ってきた。メッセージを聞き取ったベロニカは、眉間にさっと皺を寄せる。
「却下だそうです。エイロンや同盟に狙われている今、巫女を一人にしてはならないと。何のためにあなた方が着いているんだって……。隊長達って、頭が固いんですね」
「仕方ないとは思うよ、この状況だし。気を遣ってくれてありがとう、ベロニカ」
エスカの二度目の微笑みに、ベロニカが完全に絆されたのは言うまでもない。その様子を見ていたルースは、彼の諜報員としての能力を改めて恐ろしく感じたのだった。
一段落して、ベロニカは部屋を後にした。一行は誰が言い出すでもなく、中央にある机を囲み、席に着いた。
「休む間も無く申し訳ないが」
エスカが口火を切る。
「これからのことを話し合う必要がある。ガベリアへ向かうと言っても、大まかなことしか決まっていないからな」
リスカスは北から南西に向かって、順にキペル、スタミシア、ガベリアと並んでいる。つまりここから南西の方向へ下って行けば、ガベリアに到着するという算段だ。
魔術を使って人に長距離移動をさせる『運び屋』は使えない。そこに同盟の人間が紛れていれば、セルマが一瞬にしてエイロンの手に落ちる可能性がある。
問題は何処からガベリアへ入るかということだった。過去に使われていた唯一の街道が封印されている今、ガベリアへ入るには山を越えていく必要があった。
「俺たちの目的を確認しよう。第一に、セルマを無事にガベリアの洞窟へ連れていくこと。そのために、まずはスタミシアの巫女パトイに会う必要がある。手筈は近衛団の……誰だっけ、あの白手袋の副団長」
「レンドル副団長です」
ルースが答えた。
「そう、その人。彼が手筈を整えてくれている」
「強そうですよね、あの人。パパが、謎の多い人って言ってたけど」
オーサンが口を挟んだ。
「近衛団員は基本的に謎が多い。俺たちよりも秘密主義だよ。国家を守る覚悟が違う」
エスカの言葉を聞いて、カイは父親のベイジルを思い出していた。家でも仕事のことはほとんど口にせず、結局、最後まで全容を把握出来ずに終わった。彼が命を落とした、その仕事でさえ。
向かいに座っているセルマが、カイの翳った顔を心配そうに見ていた。
「私は一度病院に戻る。患者を放っておくわけにはいかない」
レナは白衣を脱いでばさばさと埃を払い、またそれに袖を通した。
「外でやれ、埃が舞うだろう。大事な資料が汚れる」
イーラが顔をしかめた。ここは第二隊の隊長室だ。窓の無い部屋の中で、舞い上がった埃がランプの明かりにちらちらと光っているのが見える。
「短気になるな。おおらかでいてこそ、トップだろ」
「うるさい、言われなくても分かっている。……なあ、レナ」
いつもイーラからは『半魚人』や『お前』としか呼ばれないのに、突然名前で呼ばれてレナは面食らった。イーラは真剣な表情で彼女を見ていた。
「なんだよ」
「ロットには家族がいるよな」
「家族? ああ。確か、妻と娘が。スタミシアかどっかにいるんじゃなかったか? なんでそんなこと」
「このことを知らせるか否か……、正直、迷っている」
自分の夫が殺人を犯して失踪。ごく普通に生きている人間が耐えられる事実ではない。二人はしばし、黙り込んだ。
「……どちらにせよ家族の居場所は把握しておくべきだろう。もしかしたら、ロットが会いに行くかもしれない」
レナが言った。ロットの真面目な性格を考えれば、罪を犯した上で家族に会うなどといった行動を取る可能性は低い。それでも、今はあらゆることを想定した方がいい。
イーラは頷いた。
「そうだな。……いや、待て」
彼女の頭にはある仮定が浮かんでいた。また、それが真実に近いという予感も。
「そもそも、ロットは家族がある身でこんなことをすると思うか?」
レナの表情が険しくなる。
「つまり、奴の家族は既に存在しないと?」