10、同じ間違い
エディト以外、全員が驚きの表情でエーゼルを見た。彼は目を伏せて、噛み締めるようにこう話す。
「調査が行われたのは6年前、俺がまだ魔術学院の学生だった頃です。兄はとても優しい人でした。ちょっとだけ、ルース副隊長に似てて」
(副隊長に似てる……)
カイはそこで、エーゼルのルースに対する異常な執着の理由が分かった気がした。心のどこかで、ルースに消えた兄を重ねていたのだろう。
「調査員の名簿に、パシモンの名は無かったように思うが」
イーラが呟いた。第二隊にはその当時の記録が残っていて、彼女も一度、目を通した事があった。
「腹違いの兄なので、姓が違います。知っている人もほとんどいないでしょう。でも俺にとっては、大切な家族に違いないんです。
だから、自分がガベリアへ向かう一員に選ばれたときは嬉しかった。これで兄が消えた場所に近付けると思って。でも現実を前にしたら、急に恐ろしくなってしまったんです」
「抜けるなら今の内ですよ、エーゼル」
エディトは容赦のない言葉を投げ掛ける。彼の恐怖心を彼女なりに理解しているからだ。しかしエーゼルは、顔を上げて挑むような視線をエディトに向けた。
「俺は逃げません。ここにいることが偶然ではない以上、その運命に従います」
「……なるほど」
エディトは頷いた。思っていた以上に、この若い隊員たちは肝が据わっているらしい、と。それとも、彼らに希望を持たせる何かが存在するのだろうか。
彼女の視線は自然と、セルマに向けられた。緊張で強張った顔をしながらも、セルマの蒼い目に宿る光は揺らぐことがない。
「『抗う者は光の下に集い、追う者は闇に堕ちる』。……予言は当たっているようですね」
その言葉を聞いたオーサンの喉仏が、ごくりと小さく動いた。エディトの言う予言とは、自分がラシュカから聞かされた、謎の占い師の言葉と一致する。
エディトの視線が、素早く彼に向けられた。
「それほど驚くことでもありませんよ、オーサン・メイ。私もラシュカからこの話を聞きました。街で出会った占い師の予言……諸君らにも教えておきしょう」
彼女は立ち上がると同時に指を鳴らす。ふっとシャンデリアの明かりが消え、暗闇の中、彼女の頭上に青白く光る文字が浮かんだ。
一つ、それは巫女を殺した。
二つ、それは未だ死せず、再びかつての仲間と見える。
三つ、悪夢は繰り返す。
そして四つ、抗う者は光の下に集い、追う者は闇に堕ちる。
「覚えましたね」
数秒経ってから、エディトはまた指を鳴らした。文字は消え、シャンデリアに再び明かりが灯る。
「それ、とはエイロンのことですか」
まず、ルースが口を開いた。
「ええ。察しが良くて助かります。一つ目と二つ目の予言は、正に彼のことを指している。そして三つ目。悪夢は繰り返す。これに関しては、絶対に実現させてはならない予言です」
小さく息を吐いて、エディトは椅子に腰を下ろす。
「そうさせないための、四つ目の予言だと私は考えています。抗う者とは諸君ら、追う者とは」
「ロット隊長のことですよね。隊長は今、エイロンを追っています」
急き立ったようにカイが口を挟んだ。不穏な言葉を聞かされ、黙ってはいられなかったのだ。
「闇に堕ちるって、隊長はどうなるんですか?」
「どうなる……ですか。私は既に、彼は闇に堕ちたものと考えている。そうでなければ殺人など犯せない」
「でもそれはきっと、エヴァンズ隊長が俺の父さんの死に関わって――」
「魔導師が人を殺していい理由など存在しない」
エディトは被せるように言って、カイを黙らせた。彼の過酷な境遇を思えば、本当は優しい言葉の一つも掛けてやりたいところだ。だが、今はその時ではない。
私情に流されず、敵に立ち向かう術を身に付けなければならない。カイがどれほどロットを慕っていようと、向こうは容赦などしないかもしれないのだ。
「現実を見なさい、カイ。掟を破り、自警団の身分を捨てて姿を消したロットは、もはや我々の敵です。彼は人の心など捨てたと思った方がいい。
そうなった人間は恐ろしいことを平気でやってのけます。エイロンがいい例でしょう。かつての教え子を魔術で拷問するなど、心ある人間なら不可能です」
ルースが静かに唇を噛んだ。エディトは続ける。
「ただエイロンにもロットにも、人の心を捨てるだけの理由があったことは確かです。ロットの場合はまだ判然としませんが……」
そう話す彼女の頭には、かつて耳にしたイプタの言葉があった。
人間は常に感情の下で生きている。それがこの世界の希望にもなれば、絶望にもなる、と。
オルデンの樹はまるで嵐の中にあるように、激しく枝葉を揺らしていた。ぶつかり合った黒水晶の葉は砕けて、矢のように鋭く地面に降り注ぐ。
やがて嵐は収まり、その黒く染まった地面に、横たわるイプタの姿があった。
「……人に干渉するなということか」
イプタは呟き、ゆっくりと体を起こした。顔色はいつにも増して青白く、目の焦点は合っていない。
彼女はふらふらと立ち上がり、樹の幹まで歩いていく。そして、そこに手を添えて言った。
「私を終わらせるのなら好きにすればいい。滅びる覚悟は出来ています。ただ、セルマがガベリアの洞窟へ辿り着くまでは」
イプタの目に、再び力が宿る。
「絶対に終わらせない。これが私の、最後の役目です」
地面に落ちた葉が一斉に光を放ち、次の瞬間には跡形もなく消えていた。オルデンの樹は何事も無かったかのように、再び葉を繁らせて鎮座している。
イプタは乱れた呼吸を整えてから、洞窟の奥にある泉へと向かった。水面は凪ぎ、底知れない暗闇が続いているのが見える。
そこに映り込んだ彼女の顔が、徐々にぼやけて別の顔になった。
「……タユラ、私は貴女と同じ間違いを犯してしまったようだ」
イプタはそう言ったが、返事はない。水面に映るタユラの顔は、ただじっと彼女を見返していた。
「見届けてくれますか。貴女と同じように、一人の魔導師に許されぬ想いを抱いた、私の末路を」