8、告白
医務室前の廊下にはオーサンとカイの姿がある。カイは呆然と窓の外を眺め、オーサンはどこか困ったようにその横顔を見ていた。
「大丈夫か?」
オーサンはそう話し掛けたが、反応は無い。魂を抜かれたようなカイの表情を見るに、声すら届いていないのだろう。仕方なく壁にもたれて、オーサンは反応を待つことにした。
ついさっきまで、ここにクロエがいた。彼女はカイに、自分の父親がベイジルの死に関わっていたことを打ち明けたのだった。
カイは一言、気にしなくていいと言った。涙ながらに謝るクロエに、これからも友達でいようと笑顔を見せたのだ。
だが、彼女の姿が消えた途端にこの状態だ。その口が、彼の心と相反する言葉を吐いたのは明白だった。
「頭では分かってるんだ」
やっとのことでカイがオーサンに顔を向け、口を開いた。感情が昂るのを必死で抑えていたのか、彼の目はひどく充血している。
「クロエは何も悪くないし、はっきり言って父さんの死には無関係だ。でも、心のどこかで、知っていてどうして友達でいられるんだって……。裏切られたような気になるんだよ。なあ、オーサン。俺ってこんな嫌な奴だったか?」
「本人に直接言うだろ、嫌な奴だったら。お前はクロエが傷付かないようにあんな嘘を吐いた。俺は間違ってなかったと思うし、大切な人の死が絡んでたら、ちょっとくらい感情的になって当然だろ? 時間が経てば大丈夫だ」
小さく息を吐いてから、オーサンは笑った。
「いつも思うけど、お前って優しすぎるよな。あんまり魔導師に向いてないんじゃねーの」
「ふざけんな。お前よりは向いてる」
カイはムッとした表情になる。いつもの調子が戻ってきたように見えて、オーサンは密かに安堵した。
「どうだか。とりあえず、このことはクロエには言わないから安心しろ」
「……ありがとな、いろいろ。セルマのことも、クロエのことも」
カイも肩の力を抜いて、弱々しく笑う。
「まあ、俺は年上だから。フォローはするさ」
自分で言ってから、オーサンははっとする。まだ、自分がカイより年上だとは話せていなかったのだ。カイは怪訝な表情をしていた。
「年上? 誕生日が俺より早いってだけだろ」
「……いや、まじで年上なんだ」
オーサンはこれをきっかけに、話すことにした。いつまでも隠しておくようなことではない。
「初等学校の頃に、2年間矯正院に入ってた。だから、実際は2つ上。18歳だ」
「嘘だろ」
カイは微かに目を見開いた。オーサンが矯正院に入っていたことは、特段驚くべきことではない。むしろ、彼の嗜虐性を考えれば当然に思えた。驚いたのは、別のことだった。
「年上のくせに、俺と喧嘩してたのかよ。同レベルじゃん」
「お前さぁ、ほんとに生意気だな」
オーサンは呆れて、思わず笑ってしまった。そして真実を知っても何も変わらない彼に、心のどこかでほっとしていた。
「言っとくけど、年上って知ったところで敬語なんか使わないからな」
「別に期待してない。……友達でいてくれたら、それでいいよ」
オーサンにしては珍しく、素直な言葉が出た。カイは口をつぐみ、じっと彼の顔を見る。次の瞬間、顔をしかめてこう言ったのだった。
「気持ち悪い。鳥肌立ったぞ。調子狂うからやめろ」
「絶対に、帰って来るんだよね」
常緑樹が繁る中庭をルースと歩きながら、ミネはそう言った。気丈に振る舞うつもりでいたのに、辛い現実を言葉にしてしまうと、勝手に声が震えてくる。
「誤解しないでほしい。僕は死ぬためにガベリアへ行くわけじゃないよ。命は懸けるつもりだけど、それはリスカスを守るためだ」
ルースは立ち止まり、空を仰いで目を細めた。陽射しを遮る雲は無く、彼の顔には木漏れ日が降り注いでいる。
穏やかな昼下がりだ。だが、自分はいつまでもこの穏やかさの中にいることは出来ない。ルースは深く息を吸い、こう言った。
「この国にもう一度春が来るかどうかは、僕らがどう戦うかに懸かっている。エイロンに負ければ、春なんて永遠に来ない」
「やっぱり……ダイス教官、とは呼ばないんだね」
ミネはそう言い、ルースの視線を感じて目を伏せた。
「ごめん。もう、敵だって分かってはいるんだけど」
「謝らなくていい。ミネの気持ちは、分かるよ」
学生時代、彼女が担任であったエイロンにどれほど支えられてきたのか、ルースはその目で見ていた。一年生の頃、クラスでも最下位だった彼女の戦闘技術を、何とか進級出来るまでに引き上げたのはエイロンだったのだ。
「イプタの話だと、彼にはまだ良心が残っているみたいだ。僕はそれを信じたい。けど、信じているだけじゃ大切な人は守れないから。僕は戦うよ」
ルースはミネに向き直った。
「君に、これを預けておいてもいいかな」
そう言って、首に掛けていた物を外した。玉虫色に光る丸いプレートが付いたペンダント。魔導師の認識票だ。
「それ……」
「僕のではないよ」
ルースはそう言って、ペンダントを差し出した。ミネはそれを受け取り、認識票に刻まれた文字を見る。
「クラウスの……。どうしてあなたが?」
ガベリアの悪夢で、認識票は本人もろともに消えたはずだ。
「クラウスって、抜けてるところがあっただろう。大事な認識票を、僕の部屋に遊びに来たときに置きっぱなしにして帰ったんだ。だからこうして、ここに残っている」
「でも、どうして私に?」
「お守りとして。君が一人にならないように」
ルースは認識票を持つミネの手を、両手で優しく包んだ。
「君に、無事でいてほしい。僕もクラウスも、そう思ってる」
顔を上げたミネの目から、不意に涙が溢れ落ちた。
「お別れみたいなこと、言わないで」
ルースは答えなかった。ミネの気持ちを思えば、絶対に戻ってくると約束するのが一番良いのだと分かってはいる。
だが、果たせない約束は彼女を苦しめる。クラウスとミネが交わした、もう二度と果たされることのない約束をルースは知っていた。
医務官として独り立ちしたら、伝えたいことがある――ミネはクラウスに、そう言った。そして、それを待っているとクラウスは約束した。その矢先にガベリアの悪夢は起きた。
ルースの腕は、ミネの震える体を抱き締めていた。彼女が求めているのは、本当は自分の腕ではないことを知りながら。
「……ごめんな」
ミネに何も言葉を掛けられないこと、そして、恐らくは彼女の想いに気付いていたクラウスへの謝罪だった。
「もう、行くよ。どうか無事でいて、ミネ」
ルースは腕をほどき、自然と頬を伝ったものを見られないように、足早に去っていった。