5、ある人
近衛団本部の広間に、臙脂色の制服を纏った団員たちが整列している。少数精鋭、25名の部隊だ。高所の窓から斜めに射し込んだ陽が、彼らの凛々しい顔を照らしていた。
規則的な足音が大理石の床に反響し、一人の女性が団員たちの前に立つ。灰色掛かったブロンドは首の辺りできっちりと切り揃えられ、意思の強い瞳、真一文字に結んだ唇と相俟って、厳格な雰囲気を醸し出していた。彼女が近衛団長、エディト・ユーブレアだ。
「全員揃いましたね」
エディトは静かに、しかし後方までよく通る声で言った。団員に緊張が走る。前列の方に、オーサンの父であるラシュカの姿があった。
「私が臨時招集をかけた意味を、諸君らは十分に理解していると思います。既に情報は耳にしているでしょう。エイロン・ダイスについて」
ざわめきも目配せも起こらない。エディトが言うように、自警団からの情報は素早く全員に回っていた。
「かつての仲間がリスカスを滅ぼそうとしている。加えて、ロット・エンバーも失踪しました。殺人という罪を犯して。……我々の任務は王族と巫女の警護であるからして、本来であれば自警団に一任することですが」
その端整な顔をしかめて、エディトは一段声を低くした。
「エイロン、ロットの両名は過去に、この近衛団にいた。言い換えれば我々の手の内を知っているということだ。エイロンが巫女に手を出そうとしているのであれば、我々は容赦などしない。かつての仲間であろうと何だろうと、王族と巫女に危害を加える者には制裁を」
不意に、彼女は腰に提げたサーベルを抜き払った。それを陽に翳し、眩しそうに目を細める。
「審判を下すのは獄所台ですけど、ね」
そう言って鞘へ戻し、団員たちを見回した。
「エイロンを、巫女に指一本触れさせてはならない。キペルの巫女イプタ、スタミシアの巫女パトイ、そして新たなガベリアの巫女、セルマ。時を経て再び、全ての巫女が揃いました。我々は二度と、彼女らを失うという過ちを犯してはならないのです」
団長室の出窓に腰掛け、エディトは湯気の上がるカップを口元へ運ぶ。それを一口啜り、深く息を吐いた。
「行儀が悪いですよ、団長」
側で見ていた副団長のレンドル・チェスが、窘めるように言った。隙のない雰囲気を帯びた中年の男性だ。背は高く、ぴったりと撫で付けた黒髪と、手にはめた白手袋が彼の神経質さを窺わせる。
「飲食は席に着いてお願いします」
彼は切れ長の目で、机の前にある椅子を見遣った。
「細かい男ですね、レンドル。その歳で独身な訳だ」
ふふ、と笑って、エディトは席に着いた。
「君、いくつになりましたか?」
「45ですが」
感心したように、エディトはレンドルの顔を眺めた。そんなに歳がいっているようには見えない、と彼女の顔には書いてある。
「私より10も上でしたか。魔導師としては大ベテラン……希望するなら、獄所台に推薦してもいいですよ」
「厄介払いですか? 結構です。私は近衛団の仕事に誇りを持っていますから。……それ、何ですか。変わった匂いですけど」
鼻をひくつかせ、レンドルはエディトの持つカップを指差した。
「これですか? 昔、ある人に教えて貰った飲み物です。ハニー・シュープスという」
「初めて聞きました」
「スタミシアの田舎の方で飲まれているそうですよ。体が芯から温まります」
そう言って中身を飲み干し、彼女は一瞬、遠い目をした。ある人の顔が頭に過ったのだ。
近衛団を率いる家系の一つに生まれたエディトにとって、団長になるまでの道は孤独だった。魔力が発現してすぐに過酷な英才教育が始まり、子供らしく友達と遊ぶことも、思春期に恋をすることも許されず、ただひたすらに腕を磨いた。
16歳になると初めから近衛団に放り込まれ、周囲から腫れ物に触るように扱われた。将来の団長――自分にも他人にも、これほどに重い言葉は無いように思えた。
それに耐えて、5年が過ぎた。相変わらず誰とも打ち解けないまま、半ば諦めの気持ちも持っていた中で、エディトはその人物と出会った。
自警団から異動してきたばかりの彼は、他人と距離を取るエディトにこう言った。「人を知らなければ、人を率いることは出来ませんよ」と。
生意気な奴だと思った。自分を誰だと思っているのか……。しかし、そこで気付かされた。誰よりもその役目に縛られていたのは、自分であったと。
「……団長?」
急に黙ったエディトの顔を、レンドルが覗き込んでいた。彼女の視線は彼を通り越して、どこか遠くを見ている。
「ああ、すみません。ちょっと昔のことを思い出していました」
エディトは呟いた。
「かつての部下、いえ、仲間ですね。彼が今生きていれば、どれだけ良かったか」
それを聞いて、レンドルの頭にはある名前が浮かぶ。
「ベイジル・ロートリアンのことですか」
一瞬、その瞳が揺れ、エディトは静かに頷いた。
「ええ。聡明で、優しくて、勇敢。でもどんな言葉を使ったところで、彼を正しくは言い表せません。何と言うか……君には白状しておこうかな、レンドル」
「何でしょう」
ごくりとエディトの喉が動く。出かかった言葉を、呑み込んでしまったかのようだった。
「やっぱり、やめておきます。君に弱味を見せると後で揺すられそうだ」
「私がそんなことをするとでも?」
顔をしかめたレンドルに、エディトはただ、寂しそうな微笑みを返しただけだった。
昼日中の太陽は、沈黙の続く部屋を穏やかに照らしていた。外から聞こえる小鳥の声が、いつも以上に耳を打つ。街の人々はいつも通りに生活を営み、もうすぐリスカスが滅びるかもしれないなどとは想像もしていないのだろう。
エディトは立ち上がった。
「行きましょうか。我々にも戦いの準備が必要です」
一羽のナシルンが壁を抜け、薄暗い王宮の廊下を進む。そして端の方に一人佇む、ラシュカの肩に止まった。
彼はメッセージを聞き取る。オーサンからだった。
『もう聞いたかもしれないけどさ、パパ。俺、カイと一緒にガベリアに行くことになったよ。巫女に選ばれるなんて、近衛団に引き抜かれるより光栄じゃん? なんてな。
心の準備は出来てる。パパがそういうふうに育ててくれたからさ。ガベリアの悪夢のようなことが再び起こるかもしれないって、しょっちゅう話してた。パパが信頼してるその占い師って、実は凄い奴なのかもな。
でさ、ちょっと困ってるのが、カイと仲良くなりすぎたってことなんだ。まあ、その内ばれるんだろうけど、今更、切り出しづらくなっちまったよ。俺が歳、サバ読んでるって』