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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
二章 出立
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4、覚悟

 医務室のベッドではルースが穏やかな寝息を立てていた。枕元の椅子では、ミネがその背にもたれてうとうとしている。彼女も彼女で、疲労困憊していたのだ。

 セルマは少し離れた場所からそれを見ていた。羨ましい、と思った。ミネがルースを大切に思っていることは、その光景だけで伝わってくる。自分があんなふうに誰かに想われることなんて――


「似合ってるね、その格好」


 彼女の側に来たクロエが、そう声を掛けた。今のセルマは自警団の制服に身を包み、雑に切ってあった髪も整えられている。思いの外、その場に馴染んでいた。


「あ……りがとう。あなたは?」


 クロエと初めて会ったときにセルマはまだ眠っていたから、話すのは初めてだった。


「医務官のクロエ。カイの同期で、あなたと同い年だよ。よろしくね」


 クロエはそう言って微笑んだ。


「そうなんだ。よろしく」


 セルマも表情を和らげる。思えば、同世代の女の子と親しく話すなんてことは久しぶりだった。

 幼い頃、スラム街でセルマが唯一親しかった少女は、ある日突然姿を消した。数日後、噂で、どこかの男に買われたと知った。買われた人間がそこでどんな目に遭うかも。悲しく辛い出来事だった。


「不思議だね。こうやって話してると、巫女って気がしないや。あ、悪い意味じゃなくて」


 クロエが慌てて付け加えると、セルマは小さく笑った。


「大丈夫、私もそう思う。平気で洞窟から出てるし。……クロエは、カイと仲が良いのか?」


 何の気なしに聞いたことだが、一瞬クロエの表情が翳ったのをセルマは見逃さなかった。


「あ、うん。魔術学院に入学してすぐの頃、なんだか誰とも友達になれなくて暗い顔してたら、声を掛けてくれたのがカイだったんだ。『せっかく魔導師になれるのに、その顔かよ』って、喧嘩腰だったけど。それから仲良くなった」


「口悪いな。今もだけど」


「でしょう?」


 二人は顔を見合わせて笑い、セルマの胸はじわりと温かくなる。かつて笑い合った、友達のことを思い出していた。


「ふふ。セルマも、こんなことで笑うんだ」


「そりゃ、感情が無いわけじゃないから」


「そっか。そうだよね……」


 クロエもふと思い出していた。ガベリアで虐げられていたあの日、自分が全てを捨ててスラム街へ行こうとしていたことを。

 別の未来があったなら、同じ場所で生きていたかもしれない少女。カイを通して繋がったことは、何かの縁なのだろう。今はそうとしか思えなかった。


「さっきから、気になってたんだけどさ」


 セルマは単刀直入に言った。


「え?」


「何か不安なことでもあるのか?」


 真っ直ぐな彼女の目に射抜かれて、クロエはたじろいだ。ただの少女に見えても相手は巫女だ。胸の奥を覗かれたようで、にわかに動悸がしてくる。

 カイに話せずにいる秘密を、セルマに打ち明けたらどうなるのだろう――心は激しく揺れていた。隠しておきたい。けれど、知って欲しい。


「……巫女って、何でも分かるんだね」


 言葉が口を突いて出ていた。


「その顔を見たら、誰でも気になると思うけどな。巫女の力は万能じゃない。でも強いて言うなら、相手に触れると少しだけその人の記憶を視ることが出来る」


 セルマの言葉に、クロエは意を決して手を差し出した。


「お願いがあるんだけど。……見てみて、私の記憶。あなたに知って貰いたい。そうすれば自分の口から、カイに本当のことを話せる気がするの。私はこれ以上、逃げちゃいけないから」





 エスカは第二隊が管理する部屋の一つに入った。隊員の処遇、処罰を担当する部署だ。両の壁際に資料の詰まった棚が並び、部屋の中央に円卓がある。席は7つだが、埋まっているのは1つだけだ。

 小さく開いた窓からは燦々と陽が射し込み、そこからナシルンが忙しなく出入りして情報を運んでいた。時折、ナシルンは壁を抜けて姿を現す。席に着いている女性隊員は、メッセージを聞き取ってはメモを取っていた。


「ここにいたか」


 ナシルンの往来が収まった所で、エスカはその人物に近付いて声を掛ける。彼女は座ったまま、憂いを帯びた視線を彼に向けた。


「いけませんか。ここがわたくしの仕事場なのですが」


「連れないことを言うなよ、ナンネル。あまり顔色が良くないようだけど。……心配させて悪かったな」


 エスカはすっと手を伸ばし、愛しげにナンネルの美しい髪を撫でた。彼女は嫌がる素振りは見せず、単なる寝不足ですと呟いてから続ける。


「心配程度で済むとお考えですか。さっき情報が入りました。ガベリアへ、行かれるんですね?」


 平静を装いながらも、ナンネルの瞳は微かに曇っていた。彼女は優秀な諜報員で、業務上、感情を表に出したことはない。だが、恋人であるエスカの前では別だった。


「ああ」


 彼は短く答える。説明が不要と思ったわけではない。ナンネルの顔を見て胸が締め付けられたのだ。


「どうしてそんなに簡単に決められるのですか。ガベリアへ行ったら……戻れる保証なんてないのに」


「命懸けなのは確かだ。それでも俺は諦めていない。新たな巫女のセルマを信じている。ガベリアはきっと甦るし、俺は戻ってくるよ」


 ナンネルは否定するように首を振って、俯いてしまった。例えガベリアが甦った所で、そこにエスカがいなければ意味がない。それでも、止めることは出来なかった。


「あなたは魔導師として間違っていません。だから私も、魔導師として止めないんです。ですが、あなたを大切に思う人間として言わせて頂けるなら……」


 言葉に詰まり、ナンネルは堪え切れなくなったように立ち上がる。そして、エスカの顔を正面から見つめた。

 行かないと言って欲しい――そう思っても、絡み合った視線から彼の覚悟を感じ取ると、やはり何も言えなかった。


「お互いに理解しているだろうけど、俺たちには私情を排して動かなければならないときがある」


 エスカは静かにそう言った。


「ええ、存じています。任務遂行の上で『情報』と『感情』は相容れない。感情を麻痺させろと、そう指導されましたね。……任務の上では忠実に守れたことですが、私は」


 ナンネルの声は震え、目からは大粒の滴が落ちていく。


「こんなときにまで、それを守ることなんて出来ません」


「分かっているよ」


 表情を歪めたエスカが伸ばした腕は、彼女を強く抱き締めていた。


「今だけは泣いてもいい」


 部屋にはしばらく、ナンネルのすすり上げる声が響いていた。

 やがて二人は体を離し、お互いの瞳を見つめる。そこにまた、自分の姿が映るかどうかは分からない。それでも覚悟は出来ていた。


「リスカスが続く限り、私はあなたのことを信じて待っていますから。あまり長いこと待たせないで下さいね。言いたいのはそれだけです」


 ナンネルは赤い目のままで微笑んだ。


「俺からは一言だけだ」


 エスカは不意に、彼女の首の後ろに手を回す。そのままそっと、唇を重ねた。

 愛してる。唇を離した彼はそう呟いて、部屋を後にした。

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