3、行く先
「ふー、荒れたな。ルース副隊長の心労も分かる気がする」
オーサンは散らかった部屋で椅子の背にもたれ、朝食兼昼食のサンドイッチを頬張っていた。ここは隊舎にある彼の自室だ。机の上には物がごちゃごちゃと、床には脱ぎ捨てたシャツがそのまま放置してある。
「食べないのか? 洞窟出てからまともに食べてないんだろ。倒れるぞ」
そう言って顔を捻じ向けた先にはカイがいる。窓からの陽光が、壁に寄り掛かっている彼の険しい顔を照らしていた。眩しさに目を細めているのか、あるいは何か考えているのか。恐らくは後者だ。
「腹なんて減ってない」
カイは呻くように言って顔を逸らした。オーサンが気を遣ってくれたのは分かっているが、それに応えるだけの気力がない。会議での隊長たちのやり取りは、他の誰でもなくカイを打ちのめしていた。
上長会議はかなりの紛糾の上、先ほどようやく話が纏まったのだ。セルマをガベリアへ向かわせることに対する反対はなかった。誰もが最後の希望にすがっているのは明らかで、カイ達がそれに随行することも、巫女が決めたことならばと渋々認められた。
問題はロットの処遇だった。彼の件を獄所台に通報するか否か、キペル本部とスタミシア支部できっぱりと意見が分かれたのだ。
支部の隊長、副隊長たちは、即時に通報すべきだと言った。エヴァンズを殺害した彼の行いは、魔導師として到底許されるべきではないと。同時にエイロンの件も報告し、それらはすべて獄所台に任せて、我々はセルマが無事にガベリアへ着くよう力を注ぐべきだとも。
しかし本部の人間は反対した。もちろんセルマのことは最重要だ。だが、獄所台がロットを捕らえる、則ち、真実は闇の中。本部の人間は若くして自警団を率いることになったロットの、血の滲むような努力と苦悩を知っている。罪を犯したとはいえ、そう易々と切り捨てることは出来なかった。
事態が紛糾する中、会議室に突如、一羽のナシルンが壁抜けして入ってきた。それは真っ直ぐにイーラの元へ向かう。メッセージを受け取った彼女は、皆にこう報告した。
キペルの街外れで、未明から点々とナシルンの死骸が見付かっている。調べた所、魔術の痕跡があった。ナシルンを殺すための魔術と、もう一つ、追跡の魔術だ。
誰かがナシルンを利用して、人を追っていた。ここは、ロットがエイロンを追うために使ったと考えるのが定石だろう。殺したのはそれに気付いたエイロンとみて間違いない。つまり、ロットは現在進行形でエイロンを追っているということだ。
だとしたら行く先はスタミシアか、とフィズが言った。エイロンは死にかけのルースに、次の目的はスタミシアの巫女を殺すことだと話していた。
ロットはエイロンを止めるつもりなのか、何か他の目的があるのか。どちらにせよ早急に二人を確保しなければならず、話は獄所台へ通報するか否かに戻った。
その時、カイが気付いた。ルースの様子がおかしい。疲れて青ざめた顔は更に色を失くし、目の焦点はどこにも合っていない。そして彼は突然、机に伏すように倒れ込んでしまった。
レナが彼を医務室に運び、残った人員で話し合いが進められた。そして最終的に決め手となったのは、イーラの言葉だった。
人が悪魔になるには必ず理由がある。どこかで道を違えたとしても、エイロンもロットも同じ魔導師だ。我々の手で止め、真実を明らかにしなければ、例えガベリアが甦りリスカスが救われても、二人とも悪魔として闇に葬られることになる。仲間ならそれを願ってはいけない。彼らに少しでも良心が残っているのなら、人として裁かれるべきだ、と。
「顔色悪いぞ、カイ。とにかく座れ」
オーサンは自分の向かいにある椅子を顎でしゃくった。カイは覇気のない動きで、のそのそと腰掛ける。その目は虚ろだ。
「考えてることあるなら、話せよ。一応友達だろ? セルマも心配してたぞ」
そのセルマは、ルースに何かあったときのために医務室にいる。彼女は会議室を出る際にカイに何か言おうとしたが、それは叶わなかった。彼は既に自分の視界から他人を締め出していたのだ。
「……父さんの葬儀のときにさ」
カイは俯いたまま、話し出した。
「ロット隊長は泣いている俺の背中をずっと撫でてくれてたんだ。ベイジルは立派な魔導師だ、君は誇りに思っていいって。絶望していたあのときに、どれだけ慰められたか分からない。
第一隊に入ってからもずっと、尊敬する隊長だった。そんな人が魔導師の道を外れて殺人なんて。有り得ない。信じたくない」
「だから理由が知りたいんだろ、みんな。俺だって信じたくない。けど証拠は揃ってる」
「分かってるんだよ、そんなことは……」
カイの声はかすれている。この葛藤は、16歳の少年が抱えるには少々大きすぎたようだ。
「馬鹿らしいよな。こんな状態で、ガベリアに行こうとしてるんだから」
カイは自嘲気味に呟く。それからしばらくして顔を上げた彼の目は、微かに光を取り戻していた。
「でも、セルマは絶対に巫女の洞窟まで連れていく」
「お前のそういう絶対に諦めないところ、俺は結構好きだぜ。ま、とりあえずここにセルマがいなくて良かったな」
オーサンは笑い、カイにサンドイッチをずいと差し出した。
「格好悪くても気にしなくていいだろ? ほら、食え。辛いときは食うに限る」
「……ありがとな」
カイはそれを受け取り、ゆっくりと口に運んだ。何の変哲もないサンドイッチが、体に染み渡るほど美味しく感じる。じわりと目頭が熱くなった。辛いのか、優しさが嬉しいのか、自分でもよく分からない。
オーサンはすっと立ち上がり、窓の側へ寄った。
「いい天気だな。あ、ほとんど雪溶けてんじゃん。こういうの、靴濡れるから嫌なんだよ……」
横目で、カイがそっと頬を拭ったことに気付く。オーサンはそこからしばらく、振り返らずにいたのだった。