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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
35/230

35、これから

 サーベルを抜きかけたルースの動きが、ぴたりと止まった。カイは予想もしなかった彼の行動に目を見開き、身の危険を感じて一歩後ずさる。


「副隊長……?」


「……」


 ルースの視線はゆっくりと横へ流れる。その先には、足早にこちらへ向かってくるエスカの姿があった。


「どんな理由であれ部下に剣を抜く奴がいるか。それを収めろ、ルース」


 エスカの表情は普段と変わらず、余裕すら感じられるほどだった。ルースの動きを魔術で封じたのは彼だったのだ。


「どうした。俺の指示には従えないか?」


「……いいえ」


 ルースはサーベルを鞘に収めて、唇を噛んだ。この行動を正当化する理由などないことは最初から分かっている。それでもカイを止めたかったのだ。

 ただルースの本心を知らないカイは、なぜ彼が自分に剣を抜いたのか、理解出来ずに混乱していた。


「ちゃんと説明しないと、お前の気が狂ったと勘違いされるぞ」


 エスカがそう言って、カイをちらりと見る。本当の意味で、これほど周りから愛される人間も珍しい――エスカはそう思った。それは人望ともまた違う、カイの不思議な力だ。

 ルースは小さく息を吐き、言った。


「手荒なことをしてすまなかった。でも、僕は力ずくでも止めたかったんだ。お前がどれだけ素直で、優しい人間か知っているから……。エイロンが本当に恐ろしいのは、その心に付け入ろうとしてくるところだ。従わなければ、容赦もしない」


 拷問で味わった苦痛を思い出したのか、彼の頬の筋肉がひくりと動いた。


「彼は人の弱い部分を知っている。その人が何を望んで、何を恐れているかを」


「俺が、エイロンに利用されるかもしれないってことですか?」


「ああ。騙されはしなくても、拷問されたらどうだ。きっと耐えられないと思うよ」


 カイは少しだけ顔をひきつらせて言った。


「でも、副隊長は耐えました」


「僕だってあと少し長くやられてたら、心が折れていたよ。たぶん、エイロンが手加減しただけだ」


「だとしても……」


 カイは反論しかけて口をつぐみ、ちらりとルースの手元を見る。それを察して、ルースは少しだけ笑った。


「大丈夫、もう剣を抜いたりはしないから。何?」


「俺が狙われるとしたら、何処にいても同じなんじゃないですか? だったら本部でじっとしているより逃げ回っていた方が安全な気がするし、そもそも、狙われないかもしれない」


「まあ、確かに」


 答えたのはエスカだ。


「本部だって安全ではないからな。内通者があと何人いるかも分からないし。俺は新人の意見にも一理あると思うが」


 ルースはそこからしばらく思案していた。そこへ、離れた場所にいたセルマたちが近付いてくる。


「話し掛けても、大丈夫?」


 セルマが遠慮がちに言うと、エスカは微笑んだ。


「どうぞ。一段落したところだから」


「誰をガベリアに連れていってもいいって、あなたは言ったから……考えたんだ。私だけじゃなくて、タユラの意志も含めて」


「それで、決まったのか?」


「私が決めたと言うより、最初から決まっていたんだと思う。この洞窟に辿り着いた全員が、ガベリアを甦らせるために必要な人っていうことが」


「え、俺も?」


 オーサンが驚きの表情を見せた。


「全然、行くつもりなかったんだけど」


「俺もですか?」


 エーゼルは少し嬉しそうだった。憧れのルースと共に旅が出来るとあって、今は恐怖や不安よりも喜びの方が勝っている。


「私も自分以外の誰かを危険に曝したいわけじゃないけど、一人では絶対に、ガベリアの洞窟まで辿り着けないと思うんだ。キペルの外に出たことなんて一度も無いから。まともに文字も読めないし、戦う力だってない」


 セルマは一人一人の目を見ながら、続けた。


「それでも私は行きたい。巫女として戦いたいんだ。だから、お願いします」


 彼女はそう言って頭を下げる。オルデンの樹が、微かに枝葉を揺らした。


「私からも頼みます」


 イプタがすっと彼女の横に立った。


「千年余り生きてきて、人間に失望することも数多ありましたが……私はまだ、希望はあると思っている。貴方たちがそう思わせてくれた。

 私はこの洞窟を離れることは出来ない。故に、託します。人間である貴方たちに、このリスカスの運命を」





 朝陽がいつも以上に目に染みる。セルマを連れて王宮の外へ出た彼らは、冷たい風に身を縮めながら、これからまた普段通りの生活を営んでいく街並みを見下ろした。

 縦横に伸びる煉瓦敷きの小路、色とりどりの屋根にうっすら積もった雪、凍り付いている広場の噴水。冬の間でも所々に緑が繁り、小鳥がさえずりながら白んだ空を飛んでいく。夜の間は気が付かなかった景色に、セルマは小さく感嘆の息を吐いた。こんな場所から初めて見たけど、この街って意外と綺麗だ、と。


「何も変わらないように見えますね」


 エーゼルが呟いた。人々は朝食の準備をしているのだろう。各々の家の煙突からは、煙が立ち上っている。


「実際、まだ変わっていないからね。そして、変えさせてはいけない」


 ルースが言った。心は消えた故郷を思う。ガベリアの街並みも、かつてはこんなふうに生活を営んでいたはずだ。


「戦わないと、スタミシアも消えるんですよね」


 カイは自分の故郷を思った。あそこにはまだ、自分の家族も友達もいる。何としても守りたかった。


「自警団って、新人にきつい任務を与えすぎだと思うんですけど」


 オーサンがエスカに向かって愚痴を言うと、エスカは鼻で笑った。


「生意気な。将来のために有り難く経験しておくべきだろう。俺たちにはまだ()()()()があるんだから。さ、本部に戻ろう」


「そうですね。どうする? 俺がまた背負ってもいいけど」


 オーサンはセルマに声を掛けた。彼女は本部脱出のときに怖い思いをさせられたことを思い出し、顔をしかめた。


「絶対嫌だ」


「お前は一人で行けよ。セルマは俺が連れていくから」


 心なしかむすっとしたカイが口を挟んだ。感情が表に出やすい彼に、こんな状況とはいえ、皆、声を上げて笑ったのだった。

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