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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
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34、正しい道

「隠していて、すみませんでした」


 クロエはそう言って、ミネに頭を下げた。真実を話したことで心は幾分軽くなった。しかし、自分が魔導師の掟を破ろうとしたことに変わりはない。ミネの表情を見るのが恐ろしく、顔は上げられなかった。


「大丈夫だよ、クロエ」


 ミネの優しい声が聞こえた。


「話してくれてありがとう。……聞きましたか? この子には悪意があったわけじゃないんです」


 彼女は唐突に、部屋の暗がりを振り返る。そこですっと人影が動き、女性の隊員が一人、姿を現した。医療部の人間ではない。クロエは驚きに、何度か目をしばたいた。


「はい、聞かせてもらいました。……申し遅れました、わたくし、監察部第二隊のナンネル・ローズです。キペル本部にいる隊員の処罰、処遇についての業務を担当しております」


 ナンネルが丁寧に頭を下げると、栗色の長髪が背中からさらりと流れ落ちる。第二隊というだけあって容姿は美しく、その微笑にはつい見とれてしまうような魅力があった。


「クロエ・フィゴットさん、あなたが医務室の襲撃犯を殺しかけた件で、事情を伺いに来ました」


 彼女が歯に衣着せぬ言い方をすると、クロエは微かに唇を噛んだ。


「騙し討ちのような真似をしてごめんなさいね。でも、新人のあなたを呼び出して尋問するのも気が引けたもので。信頼する上官になら、真実を話してくれるかと。……さっきの話で、大方、事情は察しました。辛い過去があったのですね」


 ナンネルは同情するように、眉尻を下げた。


「一つ、教えて頂けますか。あなたが魔導師を目指した理由」


「……力を正しく使いたかったんです」


 クロエはそう答えた。


「憎しみに呑まれずに、自分の魔力を人を救うために使いたい。魔導師になれば、きっとそれが出来ると思っていました。自分にとっていばらの道だとしても、犯罪者と反対の立場で生きていくべきなんだと。でも、間違っていたみたいです」


「間違っていたかどうかは、あなたが決めることではありません」


 ナンネルはきっぱりと言った。


「そして私が決めることでもない。あなたは身分を偽って魔術学院に入学したわけではありませんし、医務官としても正当な評価を得ています。今回の件は非常事態であって、その上あなたは新人だった。それらすべてを考慮し、そして医務官や患者を救ったという結果を鑑み、判断すべきことです」


「クロエは、魔導師をやめなくてもいいということですか?」


 ミネが尋ねると、ナンネルはまた微笑した。


「その可能性が高いでしょう。私は今の話を持ち帰り、他の担当者と客観的に検証します。結果は追ってご連絡いたします。では」


 一礼し、彼女は颯爽と部屋を出ていった。

 白んだ空に太陽が顔を覗かせ始める。窓から射し込む光が部屋を照らし、クロエの頬に一筋の線を浮かび上がらせていた。


「……夜明けだね。何だか、すごく長い夜だった気がする」


 ミネはそう言って眩しさに目を細め、考えた。自分達がエイロンに負ければ、この光がガベリアのように闇に飲まれるかもしれない。そして全てが消え去ったリスカスの地に、光が届くことは永遠に無い。

 そうなればもう自分が苦しむこともない。悲しむ人もいない。何もかも無くなるのだから――でもそれで、いいのだろうか。

 義足を着けているミネの右脚が、微かに痛みを持った。その痛みは、大切な人を失っても、体の一部を失っても、彼女が生きることを選んだ証だ。


「ねえ、クロエ」


 ミネが呼び掛けると、彼女は頬を拭ってから顔を向けた。


「はい」


「私たちにはまだ、やるべきことがあると思うんだ」


 ミネはポケットから紺色のハンカチを取り出し、それを握りしめた。学生の頃、訓練初日に鼻血を出してエイロンに差し出されたものだ。以来、辛いときでもずっと心の支えにし、大切にしてきた。

 かつては誰よりも尊敬した魔導師が、今は全ての魔導師の敵。どんなに心が痛んでも、立ち向かうしか道はない。さもなくば、リスカスと共に消えるまでだ。


「あなたが言うように、魔力を正しく使って戦わないといけない。間違った使い方をする人間に、これ以上、大切なものを奪われないように」





 初めて耳にしたその真実に、カイは言葉を失っていた。

 ルースから父の死について聞かされた彼は、感情を露にするでもなく、俯いて拳を握り、ただじっと堪えていた。

 ここで怒りに任せれば、魔導師としての道を外れるかもしれない。悲しみに沈めば身動きが取れなくなる。耳の奥で、風の唸るような音が響いていた。


 ――父さんならどうする? 父さんは誰かを憎んだりしないのか? 教えてくれ。俺はどうしたらいいんだ。


 混乱する頭で、カイは遠い記憶の中を辿る。かつて父から掛けられた言葉の中に、きっと答えはあるはずだ。

 そして、思い出した。『迷ったときは大切な人のことを思いなさい。その人が悲しむようなことをしないのが、お前の正しい道だ』と。

 全ての感情を一筋の涙に変えて、カイは顔を上げた。


「……エヴァンズ隊長のしたことは許せないと思います。憎くて仕方ない。それでも俺は、復讐はしません。俺にはまだ守りたいものが沢山あるんです。間違ったことに費やす時間なんてない」


 ルースを見つめる瞳は言葉とは裏腹に、傷付いて崩れそうな心の内をさらけ出していた。それに胸をえぐられそうになりつつ、ルースは心を鬼にして言った。


「守りたいものがあるなら、分かるだろう。お前の父親は何よりもお前を守りたかったんだ。僕も彼にそう約束した。だから、ガベリアへは行かせられない。死なせるわけにはいかない」


「それで、俺が言うことを聞くと思ってるんですか」


 カイの目付きが変わる。さっきまでの脆さは消え去り、目の奥に挑むような光が宿った。カイを止めようとしたルースの言葉が、反対に火を点けたようだ。

 離れた場所にいるエスカたちが、心配そうに二人の様子を見ていた。


「副隊長は副隊長であって、俺の父さんじゃない。それに例え約束をしたとしても、その父さんはもういないんです。俺が何をして結果がどうなったとしても、それが正しかったかどうかなんて教えてはくれない。記憶にすがっていたら、今生きている大切な人を守れないじゃないですか。ガベリアへ行かせて下さい。俺は自分の手でセルマを守ります」


 いつものように生意気なことを言うカイに、ルースは苛立ちはせず、余計に胸を抉られるだけだった。真っ直ぐすぎるこの子を、何とかして守りたい――約束の有無は関係なしに、それがルース本人の思いだった。


「口だけ立派でも仕方がない。お前は目的のためなら人間がどれだけ無慈悲になれるか知らないんだろう。エイロンと一戦交えたくらいで、知った気になるなよ」


 カイと視線をかち合わせながら、ルースの手はゆっくりと腰のサーベルへ伸びる。考えを変えないのであれば、強硬手段で従わせるつもりだった。


「俺は――」


 カイの言葉と同時に鞘から覗いた刀身が、洞窟の明かりに鋭く光った。

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